交遊通信: 『熊取の学者たち~学問のあり方を問う~』
11月22日 熊取六人衆講演会in京都大学
『熊取の学者たち~学問のあり方を問う~』
今日は、40数年ぶりに学生をした。 京都大学:同学会(学生組織)の「熊取六人衆講演会実行委員会」主催の「学問のあり方を問う」を聴講して来た。 京都百万遍の京大キャンパスにいい思い出など有りはしない。が、たぶん、1969年2月13日深夜、某事件で負傷した左足の古傷の傷みより、その傷を負わせた人々と手を繋ぐことへの想いの方が強い。時代は「戦前」であり、「治安維持法」直前に在るのだ。
海老沢徹氏、小林圭二氏、瀬尾健氏(94年没)、川野眞冶氏、小出裕章氏(実験所留守番役で本日欠席)、今中哲二氏。 熊取六人衆と呼ばれている。 アカデミズムの内側に在り、しかも原子炉実験所に居て、政府と財界と大学の要請に合わせるのではなく、「学問とは何か?」と問い続け反原発を訴え続けた六人。老境に差し掛かり発する言葉は重く響き、間違いなく250人の聴衆に届いていた。 ぼくも、幾人かの師・先輩・友人が、老体に鞭打ち、「言い続けた」ことを今なお持続し発展させようとしている姿を見聞きしている。 自然科学・社会科学・人文科学を貫いて在る「学問」の神髄は、金になる「学問」、権力や財界の歴史観・価値観・社会観に沿う「御用学者」の「学問」に在るのではなく、「学」を「問」う孤塁の側にこそあるのだと語る講演者の、その精神に宿る本来の「学」に圧倒される。 「学」の府の姿勢を、「学」の意味を、そして「学」を行う自身を、「問」う。それが「学問」だと聞こえた。
あゝ、「学問」してこなかったなあ~。 大きな階段教室に座り、映画『ハンナ・アーレント』を思い浮かべていた。 今日ぼくは、アーレント教授の講義シーンで、彼女の発言に集中する学生だった。