交遊通信: あるときひとり静かにすわって
現場の工程変更で4~5日間の0FFとなり、従来なら東京に留まるのだが、 友人の「苦境」(?)に何か手を差し延べることが出来るかもしれない、という思い上がりもあって帰阪した。 その「苦境」は当人自らが自力で脱出しつつあるようなので、僭越だが見守ることとした。ぼくこそ、妻や誰彼に見守ってもらっているのだから…。 金曜日中に帰京する。週末から次の現場だ。
ところで、その友人に、そして誰よりもぼく自身とFB中毒(?)の「友達」に、 昔読んだ衣更着信(きさらぎ・しん、「荒地」同人。1920~2004)の詩を・・・。 故:吉本隆明はこの詩についてこう言っていた。 「出来上がった芸術が何ごとかを伝えるとすれば、コミュニケーションによってではなく、ディスコミュニケーションによってである」。(衣更着信の詩が優れているのは、)「芸術の本質を」「ひとり静かにすわっていること、とか、何も産まないことにおいてかんがえているからだ。」と。
芸術 衣更着信
どうしてこんなに子どもを産むのだろう
ぼくにはわからない
ぼくにはやりきれない
戦争を避難して行く荷車のうえでさえ
若い女がお産をしている
夏の雷のように砲声
彼女の夫は列のなかにはいない
居合わせた人たちの
だれが世話をするのか
あられが走る麦畑のなかで
中年の農婦が産気づく
農具をまとめて彼女は足ばやに帰る
彼女は経験から自分でしまつする
アパートでは若妻が
森のなかではインディアンが
特急列車では女の子を連れた人妻が
砂漠ではジプシーが
どうしてこんなに子どもを産むのだろう
産むことはそんなにほめたことじゃない
あるときひとり静かにすわって
なにも産まないことを誇れ