たそがれ映画談義: 公園の猫小母さん と 『七人の侍』菊千代
事務所から徒歩3分のところに、旧東海道に面して、かつ街道(疎らな商店街でもある)に直角に交わる路地との角に、狭い公園と言うかまぁ広場のような空間がある。町内会商店会で管理しているはずだ。路地を通ってその先に向かう人の殆どが、広場角まで行って路地へ折れるのではなく、僅かな近道とばかりに街道から広場内を斜めに横切って路地へ進む。
この広場で、コンビニへの行帰りなどにしばしば「猫小母さん」に出遭う。たいていは、仕事帰りの7時8時だった。彼女は自転車でやって来て、将棋や囲碁をする人や休憩する人用に置かれた縁台にドンと座る。彼女が猫の名を二つ三つ呼ぶと、木陰や隣接の家の奥から猫が数匹現れる。猫たちは警戒心強く、広場を横切る人に一々身構えながら小走りに彼女へ向かう。彼女が座る縁台に集まり、抱いてもらったりじゃれたりするのだが、彼女はちょこっとエサを与えはするが、缶詰やレトルト・パックなどを持参しているのでもない。猫たちと小母さんの団らんのようだ。夜11時を過ぎて小母さんに遭遇したこともあった。
彼女がいない時にも二・三度猫に出遭ったが、ぼくがクッキー片などエサをチラつかせツッツと舌打ちをして招き手をしても、決して寄っては来ない。猫たちは、遠巻きに警戒態勢で低く構えジッと視ているだけだ。ヘタに近付いて痛手を負った苦い記憶があるのだろうか、その疑いの視線は、虐げられ裏切られ見捨てられた者に染みついた根の深いものだ。
先日、徹夜の現場を終えての帰路朝6時前、街道から路地へ向かおうとして広場を横切り、また彼女に出遭って、こんなに早朝から?とさすがに驚いた 猫たちが出て来ていて、一匹が縁台にもたれ座る彼女の膝にじゃれている。 初めて声を掛けた「猫ちゃんたち、よく懐いていますね。こんなに朝早くからでは、おうちも大変でしょ。」 「いえ、わたしが懐いているんです。それに家は一人ですし・・・・この子たちは、私なんです」 初めてお顔を視た。女優:永島暎子(映画:83年『竜二』、97年『身も心も』、01年『みすゞ』など。数年前NHKドラマ『ハゲタカ』に出ていたが、どうしているかなぁ~。もう60歳近くのはず。)を老いさせ、ボロ着を着せたようなかつてOLだった風の、たぶん75歳前後の、身なりはともかく気品ある高齢者だった。彼女を「生」へと繋いでいる尊厳のようなものに圧倒され、精いっぱい「ご苦労様です」とだけ返し、立ち去った。
事務所までの僅かの距離、映画『七人の侍』のワン・シーンが思い出された。 確かに、人は、「この存在こそは自分なのだ」と思える時、自身を動かせるのだ。
【映画『七人の侍』 1954年、東宝作品】
言わずと知れた、黒澤明の最高傑作。ここでヘタな作品紹介をしても陳腐な映画評をしても始まらないので止めるが、上の文に引用したシーンについてだけ書いておく。 いよいよ野武士が村を襲い始める初期段階。村防衛網(柵など)に収まりきらない川向こうの外れの家が、皆の進言を聞き入れず移転せずに居た。果せるかな、野武士の急襲で一家は惨殺される。急遽駆けつけた菊千代(三船敏郎)は、命果て逝く母親の手から乳飲み児を受け取り、その児を抱きながら川の流れの中に立ち尽くして叫ぶのだ。「俺だ。こいつは俺だ。」 菊千代の出自とその後とを、ワン・シーン+ワン・トークで表した名場面だ。 『七人の侍』は、一部から「エリート思想だ」「代行主義だ」「インテリの自己満足の投影だ」と言われたりもした。ぼくも昔、菊千代という想像・創作の人物の存在(事実シナリオ執筆時の追加キャラだったと黒澤氏自身の回想譚にある)(何と三船はニヒルにして寡黙な剣豪:久蔵の予定だったという)は「インテリらしい申し訳か?」とふと感じたのだが、最近観て「彼こそがこの映画の作者たちと我々観衆を繋いでいる、映画の中で侍と百姓を繋いでいる」と、言われ続けたことではあるがやや違う趣で強く再認識した。 街へ侍募集に来て数日、宿でコメを盗まれ自分たちは稗を喰い、侍にはなけなしの白飯を出す百姓に、半受諾で百姓といっしょになって侍探しを続けていた勘兵衛(志村喬)が、「このメシ、おろそかには喰わんぞ」と語るシーン。助っ人正式受諾の瞬間だ。 百姓の忍従と小狡い本性を泣いて訴える菊千代に、勘兵衛が目を潤ませ「おぬし、百姓の生まれだな?」と語るシーン。「おぬしは、拙者ら一団の立派な一員だ」と認める言葉だ。 これら名場面を含め、この映画はやはり三船・志村のダブル主演なのだと痛感している。 猫と人を一緒にするな!と聞こえては来るが、公園広場の猫小母さんに遭った帰路、映画を思い出したぼくだった。 それにしても、勘兵衛さんこそ、理想のリーダーやね!