Archive for 10月, 2013

交遊通信: あるときひとり静かにすわって

現場の工程変更で4~5日間の0FFとなり、従来なら東京に留まるのだが、                                                                                                                                             友人の「苦境」(?)に何か手を差し延べることが出来るかもしれない、という思い上がりもあって帰阪した。                                                                                                                                                                              その「苦境」は当人自らが自力で脱出しつつあるようなので、僭越だが見守ることとした。ぼくこそ、妻や誰彼に見守ってもらっているのだから…。                                                                                                                                   金曜日中に帰京する。週末から次の現場だ。img_557375_8199561_0[1]

ところで、その友人に、そして誰よりもぼく自身とFB中毒(?)の「友達」に、                                                                                                   昔読んだ衣更着信(きさらぎ・しん、「荒地」同人。1920~2004)の詩を・・・。                                                                                                                                                                                      故:吉本隆明はこの詩についてこう言っていた。                                                                                                                                    「出来上がった芸術が何ごとかを伝えるとすれば、コミュニケーションによってではなく、ディスコミュニケーションによってである」。(衣更着信の詩が優れているのは、)「芸術の本質を」「ひとり静かにすわっていること、とか、何も産まないことにおいてかんがえているからだ。」と。

 

芸術   衣更着信                                        

どうしてこんなに子どもを産むのだろう

ぼくにはわからない

ぼくにはやりきれない

 

戦争を避難して行く荷車のうえでさえ

若い女がお産をしている

夏の雷のように砲声

彼女の夫は列のなかにはいない

居合わせた人たちの

だれが世話をするのか

 

あられが走る麦畑のなかで

中年の農婦が産気づく

農具をまとめて彼女は足ばやに帰る

彼女は経験から自分でしまつする

 

アパートでは若妻が

森のなかではインディアンが

特急列車では女の子を連れた人妻が

砂漠ではジプシーが

 

どうしてこんなに子どもを産むのだろう

産むことはそんなにほめたことじゃない

 

あるときひとり静かにすわって

なにも産まないことを誇れ

 

 

交遊録: 雨の円山野音と 我らジジ・ババ

帰阪しており、10月20日午後、雨の中、                                                                                              京都円山公園の「変えよう!日本と世界。反戦・反貧困・反差別共同行動」の集会・デモに参加した。(参加者:500)                                                                                                                                                                                      辛淑玉さんの講演は、在特会の排外主義ヘイトスピーチに対して、「日本人の心ある先達に育てられた私」「この社会は深く豊かでもある」と返す、思わず頭を垂れてしまい、目頭がウルウル来る豊かな語りだった。あゝ、在特会、情けない。                                                                                                                                               鵜飼哲さんの講演は、例えば立川基地跡地が「昭和記念公園」と命名され、砂川闘争の記憶を消し去り天皇の「御代」を刻印する装置として年号が登場することからも見えて来る、明治~昭和~戦後を深く貫くものを、日本居住外国籍者との関係で語られた。                                                                                                                         山本太郎議員も『秘密保護法』阻止の緊急アピール。                                                                                                                                                             デモ出発時には雨も上がり、「関大校友連絡会」は今回、?~67歳の高齢者(ぼくを含む)も多いジジ・ババ隊列(20数名)。                                                                                                                                   野外音楽堂~四条通り~河原町通り~京都市役所をプラカードを持って行進した。10.20 円山野音

デモ後、恒例の呑み会(実は、ぼくはこれが楽しみ[?]の参加)。                                                                                                                                 話は弾み、「西欧近代を追いかけた明治の殖産興業・富国強兵の国つくりは、脱(奪)亜入欧のスローガンの下、アジア各国・各地域の主権・資源・民俗・文化を奪うことでなされた。当時、近代化を果たすに違う選択肢はなかったのだと言うのが、全体としての司馬史観だ」と誰かが言った。                                                                                                                          歴史に「たら」「れば」は無いけれど、その後漱石が構想した「もう一つの明治」とは、西欧を評価しつつ批判的に接取するを目指し圧倒的な西欧近代に立ち向かうに、神国・天皇・大和魂・武士道など持ち出さず確立する近代的「個人」、他国を奪うことなく達成する「近代」、西欧列強に見る覇権主義の道具となり果てた「国民国家」ではないもの・・・への文脈に於いて構想されていたと言われている。「もう一つの明治」はそこに在る。五日市憲法草案                                                                                                                今朝の「朝日新聞:天声人語」は、明治憲法の発布前、自由民権運動盛んなりし頃、西多摩の有志によって練り上げられた『五日市憲法草案』について述べている。『日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可(べ)シ他ヨリ妨害ス可(べか)ラス且(かつ)国法之ヲ保護ス可シ』。何人も侵せない基本的人権の尊重や、法の下の平等といった近代原理を謳っている。現憲法が押しつけだと言う人びとよ、現憲法には『五日市憲法草案』の精神が脈々と生きており、それは明治以来の「民」の知恵の積み重ねだ。と結んでいる。                                                                                                               「天声人語」は、美智子皇后が、、10月20日の誕生日に当たり宮内記者会の質問に、文書で寄せた回答を紹介している。                                                                                            皇后は、『この一年で印象に残ったことの一つに憲法論議を挙げ、「五日市草案のことを、しきりに思い出しておりました」と記し、「長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と結ぶ。』                                                                                                                                                                     改憲論・押しつけ論者をチクリと刺し、現憲法の普遍的価値を説いている。改憲論者が敬愛する(と称する)皇室からの発言だ。

20日の集会でも、鵜飼哲氏は言っていた。現憲法は「戦力不所持」「戦争放棄」の9条を挟んで、前1~8条の「天皇条項」と10条以降のいわば「近代憲法」という構造で構成されいる。今、9条と10条以降の危機にあってもちろん改憲反対・憲法擁護派だが、1条~8条の根深い意味を抑えておきたい、と。                                                                                                                                      美智子皇后の文書回答を当然認知していよう天皇および宮内庁は、「現憲法が9条並びに10条以降を容れるをもって、1~8条(天皇条項)を確保した」という経緯をよく承知しているのだ。

 

ほろ酔い通信: フェイスブック4か月 雑感。

夏にFBを始めて4か月になる。少し言っておきたいことがある。

ことわざ辞典によれば「君子は豹変す」の本来の意味は、無節操な朝令暮改や身勝手な都合で意見・態度を変える軽い処世を言うのではなく、                                                                                                                                                                      君子=【学識・人格ともに優れた人】たる者は、過ちに気付けば即座にそれを改めるものだ、という意味らしい。                                                                                                          出典は『易経・革卦』にある『君子は豹変す。小人は面を革(あらた)む』で、豹の毛の斑紋が季節で抜け変わるときクッキリしていて目立つことから、「君子は過ちを改めるに、豹の模様の変化のようにはっきりしているが、小人はただ外面を改めるだけである」との意だという。                                                                                                                                                                                                                                                                                ぼくなどは小人の部類なので、君子のようにはクッキリすっきりとは全く改められず、ことわざを噛み締めたいところだ。

FBでは、旧知の人や新しく知り得た人などから多くの情報を頂き、目が覚めたり気付いたりの日々は心地よく、「さあ、俺に出来ることはするぞ」と思わせてももらっている。各種私事の投稿も、投稿者の人となりや異業種・異領域での取組が解り感心することが百も千も有って有難い。ご家族の近況や写真はほほえましく親しみが倍加するものだ。例え「箸が転んだ」的エピソードでも、人柄が滲み出ていて楽しいものだ。かく言うぼくも「箸」ならぬ「自身の肉体」が「転んだ」的泣き言を投稿してもいる。全ては「友達」のなせる業でもある。ただ、ぼくの場合その人の発信を常時キャッチしたいという理由で友達申請した事例もあり、「友達」と言うには気恥ずかしい。「友達」未満を含めて「友達」と括るのは辛いねぇ~。                                                                                                                                                                                             辛淑玉さんは、多くの人(ぼくを含む)からの「友達申請」に、「446781304cdb2fe9dba830bd8b18ea57[1]私にとって友達とは半径3M以内の関係だ」と言いにくいことをズバリ仰っている。                                                                                                                                      解ります。心したい。「友達」ではなく「受信希望」てな位置取にして欲しいなぁ。

ところで、冒頭に『君子は豹変す』を挙げたが、それが本日の本論だ。

1970年代、某政党はソ連や中国の核実験を「防衛的核実験」、原発を「核の平和利用」と言っていた。当時の世界政治地図から無条件に断罪する知識も思想も立場もぼくは有していないし、その言い分に含まれた一面の真理(?)を全面否定するだけの国際政治学情報も持ち合わせていない。                                                                                                               が、「そんなこと言うたことない」顔をされたのでは異議がある。                                                                                                  小泉純一郎氏は「かつては原発の安全性を信じていた。だから推進論だった。」 「3.11の事態で考えが変わった。安全じゃなかったのだ。よって脱原発だ」 「そもそも捨てる場所がない。原発ゼロしかない」 「(今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。に対して)逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ」と言っている。                                                                                                                    これが君子の豹変かどうか、他の事柄などから総合判断するしかないが、少なくとも一般には解り易く、小泉氏の方が「君子」だと思われるに違いない。(当記事は小泉氏賛美ではありません)

ぼくや「友達:某」はどうか?                                                                                                                                                          FBで「憲法」「集団的自衛権」「原発」「核」「米軍沖縄集中駐留」などを巡って、ン年前には全く違う主張をしていた御仁が豹変してPBであちこちに「いいね」を連発している。豹変なさったのならいいことだ。けれど、深夜に口角泡を飛ばしてつかみ合わんばかりに論争した身としては、『軍隊がないから、外交力が無いのだ』 『9条を含め憲法は改正し正規軍を持つべきだ』 『核兵器も持つべきだ』 『防衛的核実験の正当性』 『地政学上、沖縄への基地偏重は米軍であろうが日本軍であろうが当然』(その他もろもろ)なるマジな主張を忘れるのは難しい。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            その後の人生で左翼人士や旧知のオールド左翼との交流が増え、処世として前説の「面を革(あらた)」めFBの投稿に至っているのではなく、                                                                                                                                                                                                                                                                                    正に「君子が豹変」したのなら言うことはない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                            だが、やたら著名人との「友達」関係を追い求め、「いいね」を連発する前に、前説から豹変した回路を体系的に、少なくとも自己と論争相手には明らかにすべきだ。それが、見えない限りぼくは深夜の論争を忘れられないだろうと思う。数年後、十年後、再豹変されては「友達」たちが迷惑ですぜ!                                                                                                           FBの功罪の一端を申し上げた。自らが「豹変」する時は、豹でありたい。

告:                                                                                                        お心当たりの方、個人的に私信くださって結構です。何なら公開で討論してもいいけど・・・・。

 

たそがれ映画談義: 公園の猫小母さん と 『七人の侍』菊千代

事務所から徒歩3分のところに、旧東海道に面して、かつ街道(疎らな商店街でもある)に直角に交わる路地との角に、狭い公園と言うかまぁ広場のような空間がある。町内会商店会で管理しているはずだ。路地を通ってその先に向かう人の殆どが、広場角まで行って路地へ折れるのではなく、僅かな近道とばかりに街道から広場内を斜めに横切って路地へ進む。

この広場で、コンビニへの行帰りなどにしばしば「猫小母さん」に出遭う。たいていは、仕事帰りの7時8時だった。彼女は自転車でやって来て、将棋や囲碁をする人や休憩する人用に置かれた縁台にドンと座る。彼女が猫の名を二つ三つ呼ぶと、木陰や隣接の家の奥から猫が数匹現れる。猫たちは警戒心強く、広場を横切る人に一々身構えながら小走りに彼女へ向かう。彼女が座る縁台に集まり、抱いてもらったりじゃれたりするのだが、彼女はちょこっとエサを与えはするが、缶詰やレトルト・パックなどを持参しているのでもない。猫たちと小母さんの団らんのようだ。夜11時を過ぎて小母さんに遭遇したこともあった。

彼女がいない時にも二・三度猫に出遭ったが、ぼくがクッキー片などエサをチラつかせツッツと舌打ちをして招き手をしても、決して寄っては来ない。猫たちは、遠巻きに警戒態勢で低く構えジッと視ているだけだ。ヘタに近付いて痛手を負った苦い記憶があるのだろうか、その疑いの視線は、虐げられ裏切られ見捨てられた者に染みついた根の深いものだ。DSC_0164

先日、徹夜の現場を終えての帰路朝6時前、街道から路地へ向かおうとして広場を横切り、また彼女に出遭って、こんなに早朝から?とさすがに驚いた 猫たちが出て来ていて、一匹が縁台にもたれ座る彼女の膝にじゃれている。                                                                                                        初めて声を掛けた「猫ちゃんたち、よく懐いていますね。こんなに朝早くからでは、おうちも大変でしょ。」                                                                                                                                                                「いえ、わたしが懐いているんです。それに家は一人ですし・・・・この子たちは、私なんです」                                                                                                                                                                                                初めてお顔を視た。女優:永島暎子(映画:83年『竜二』、97年『身も心も』、01年『みすゞ』など。数年前NHKドラマ『ハゲタカ』に出ていたが、どうしているかなぁ~。もう60歳近くのはず。)を老いさせ、ボロ着を着せたようなかつてOLだった風の、たぶん75歳前後の、身なりはともかく気品ある高齢者だった。彼女を「生」へと繋いでいる尊厳のようなものに圧倒され、精いっぱい「ご苦労様です」とだけ返し、立ち去った。

事務所までの僅かの距離、映画『七人の侍』のワン・シーンが思い出された。                                                                                                                                                                                                                                                      確かに、人は、「この存在こそは自分なのだ」と思える時、自身を動かせるのだ。

 

【映画『七人の侍』 1954年、東宝作品】

言わずと知れた、黒澤明の最高傑作。ここでヘタな作品紹介をしても陳腐な映画評をしても始まらないので止めるが、上の文に引用したシーンについてだけ書いておく。                                                                                                                                                                     いよいよ野武士が村を襲い始める初期段階。村防衛網(柵など)に収まりきらない川向こうの外れの家が、皆の進言を聞き入れず移転せずに居た。果せるかな、野武士の急襲で一家は惨殺される。急遽駆けつけた菊千代(三船敏郎)は、命果て逝く母親の手から乳飲み児を受け取り、その児を抱きながら川の流れの中に立ち尽くして叫ぶのだ。「俺だ。こいつは俺だ。」                                                                                                                              菊千代の出自とその後とを、ワン・シーン+ワン・トークで表した名場面だ。       N0032131_l[1]                                                                                                                                                                                       『七人の侍』は、一部から「エリート思想だ」「代行主義だ」「インテリの自己満足の投影だ」と言われたりもした。ぼくも昔、菊千代という想像・創作の人物の存在(事実シナリオ執筆時の追加キャラだったと黒澤氏自身の回想譚にある)(何と三船はニヒルにして寡黙な剣豪:久蔵の予定だったという)は「インテリらしい申し訳か?」とふと感じたのだが、最近観て「彼こそがこの映画の作者たちと我々観衆を繋いでいる、映画の中で侍と百姓を繋いでいる」と、言われ続けたことではあるがやや違う趣で強く再認識した。                                                                                                                                  街へ侍募集に来て数日、宿でコメを盗まれ自分たちは稗を喰い、侍にはなけなしの白飯を出す百姓に、半受諾で百姓といっしょになって侍探しを続けていた勘兵衛(志村喬)が、「このメシ、おろそかには喰わんぞ」と語るシーン。助っ人正式受諾の瞬間だ。                                                                                                                                                                                                                                              百姓の忍従と小狡い本性を泣いて訴える菊千代に、勘兵衛が目を潤ませ「おぬし、百姓の生まれだな?」と語るシーン。「おぬしは、拙者ら一団の立派な一員だ」と認める言葉だ。                                                                                                        これら名場面を含め、この映画はやはり三船・志村のダブル主演なのだと痛感している。                                                                                                                                           猫と人を一緒にするな!と聞こえては来るが、公園広場の猫小母さんに遭った帰路、映画を思い出したぼくだった。                                                                                                 それにしても、勘兵衛さんこそ、理想のリーダーやね!

 

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