国民栄誉賞と背番号96
背番号3氏は、愛すべきキャラクターの国民的スターだったが、 背番号96氏はいただけない。
国民的に人気は高いが、遠の昔に引退した長島茂雄氏と日米野球界で活躍し引退した松井氏を引きずり出しての「国民栄誉賞」授与という、ややピンボケの、これまでの授与とは異質な儀式が去る5月5日:東京ドームであった。 授与式の後、投手松井・打者長島・捕手巨人監督原の「始球式」形式のパフォーマンスがあり、そこに登場した安倍首相は何と96番の背番号を付けてアンパイア役をしたという。 「改憲は、96条から行くぞ」との決意表明だとネットにあった。国民栄誉賞は元々が歴代政権の「恣意的な」人気取り政策的面があったが、96番を付けるとはこの賞利用の魂胆を示して正直だとネットは言うが・・・。 いや私は第96代首相でして・・・との言い訳も準備しているそうな。悪乗りの類だ
ところで、安倍首相の盟友にして、ある面で自民党の上を行くとも言える某政党の綱領から・・・。 どう読むかは各自の歴史観・世界観・思考の世界性によるので、好きに読むしかないかな。 『日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる』(「日本維新の会」綱領) えっ? 現行憲法ゆえに孤立しているというのは何時のどの案件を指しているのか? 現行憲法ゆえに軽蔑されているというのは、いったい何処の誰から、どのように? そういう捉え方こそが「幻想」だろうが・・・! かつて近隣諸国の主権を奪った者が後世にそれを伝える責務を放棄し、又、植民地として扱って来た一部地域の施政権を戦勝国に売り渡し(今なお全く同じ扱いを続け)たその日を、自国の「(擬制)主権回復の日」として祝うという神経。 その神経と歴史認識こそが、「孤立」を呼び込み「軽蔑」の対象となるのだとぼくは考えている。
2012年12月、安倍首相街頭演説