日曜日 テレビ漬け。 橋下・石原 茶番劇、そして森光子さんの「放浪記」

久し振りに予定の無い日曜、TV三昧とばかりにアレコレ観ていた。

ひとつは、橋下・石原の合流茶番劇のニュースの繰り返しだ。                                                                              「合流には政策の一致が前提」と力んで語っていた「維新の会」代表:大阪市長:橋下らは、「暴走老人」と自称する元首都知事:石原のにわか作りの党が解党して「維新の会」に合流するというカタチの合流を決め、「維新の会」の代表に何とその「暴走老人」が座るというデタラメ裏技戦法を演じて見せ、                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             予想通り「2030年代に原発全廃を」を「原発安全基準などルール構築」に変える「調整(?)」をして見せた。                                                                                                          安倍が自民党総裁選に立候補する直前には、彼に「是非、うちのトップに座って欲しい」と言っていたのだが・・・。                                                                                                  (早速、今日安倍は維新の会を「良きライバル」と持ち上げている。合わせて三分の二をと願っているのだ)                                                                                                                   そもそも彼らの擬組織が「党」などと自称したり、民主主義を語ること自体が一種の詐術なのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                 ボスとボスの手打ちで合流のカタチを決めたり、代表を決めたり、・・・。この作法・手続の中に既に彼らの政治思想の核心が見えている。                                                                                       こうした独断性・個人プレーに「維新の会」内部から異論が出ないのなら、「私党」だと言わざるを得ない。「党」の体を為していないし、「党員」に自覚も自尊も民主主義も無い。あるのは維新ブームと石原・橋本人気にくっ付いて「議席」を確保したい邪心だけなのだ。                                                                                                                                                                                      このドタバタ劇に有権者はどんな審判を下すのだろう・・・?                                                                        まさか、このインチキを見抜けないほど有権者は無思慮だとは思えないのだが、しかし・・・。

                                                                                                           もうひとつは、森光子さん追悼特別番組だった。こっちは味わい深く、                                                                                                                                    米倉斉加年・黒柳徹子・池内淳子(ご生前の録画)・石川さゆり・篠山紀信・赤木春恵など親交のあった人々の言葉には重みがあった。                                                                                       吉永小百合さんがナレーターを務めた「放浪記」公演2000回、『芸術座』建替記念のNHK2005年の特集番組の再放送は、                                                                                                                                                   森光子さんの幼児期からを辿り「昭和を生き貫いた女役者」の圧倒的な一生を、昭和という時代を重ねて描き秀逸だった。                                                                                                                                   嵐寛寿郎の従妹だった森さんは、1920年、京都木屋町の料理旅館の女性と学生だった男性との間に生まれたという。13歳で親と死別。                                                                                                        戦争中は、戦地慰問団の一員として中国戦線を回った。その道中の列車の中で四つ年少の赤木春恵と出会い、以来二人の友情は続く。                                                                                      赤木の「金八先生スペシャル版」での長~い「校長の反戦講話」セリフ(10分)は実体験を土台にした実に見事なものだった。                                                                                               赤木は森さんを「心友」と言っており、二人は慰問団の歌唱を正座して聴く若い兵士の表情を忘れることなど出来ないと言っている。                                                                                                  森さんは南方の慰問先=セレベス島で空襲に遭い九死に一生を得る。                                                                                                                     戦後大阪のお笑い舞台と創生期テレビに、58年菊田一夫に見出され東京へ、61年菊田一夫脚本『放浪記』林芙美子役で初主演、41歳だった。                                                                                        以来『放浪記』芙美子を演じ続け、2009年5月、東京帝劇の千秋楽で2017回公演となった。                                                                       森さんが遺した言葉が印象的だ。                                                                                                           『役者はちょっと不幸な方が、いい芝居ができるのよ』                                                                                                                『戦争をする政府は、そうしなければならない理由があったんだと、必ず言うけれど、もしそうだとしても、                                                                                                                                                                  それはしてはならないんです。戦争を知っている私たちが、そのことをもっと大きな声で言う責任がある』                                                                                                                                              この言葉には、「芙美子の戦争協力に対して舞台:菊田『放浪記』が沈黙することへの、複雑な想いが滲んでいるとぼくには思えてならない。                                                                                                                                                                                                                   林芙美子は、新聞社の従軍特派員や陸軍報道班員として中国やインドネシアの前線に行き、大日本帝国の戦士たちの勇壮な「物語」を、                                                                いくつも書き「太鼓叩いて、笛吹いて」戦争を後押ししたそうだが、ぼくは詳しく知らない。                                                                      http://toku.blog2.fc2.com/blog-entry-77.html                                                                                                                                                           http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/onna-senso-sekinin/                                                                        http://klis.tsukuba.ac.jp/assets/files/s0711569-2011010610420116500A.pdf#search=’%E6%9E%97%E8%8A%99%E7%BE%8E%E5%AD%90%E3%81%A8%E6%88%A6%E4%BA%89′                                                                                  戦後は、一転して戦争未亡人や復員兵ら、戦争に翻弄されたふつうの人々を描く作品を次々に発表した。                                                                     戦中の国民を鼓舞する作品への非難もさることながら、その変わり身は小ざかしい処世だと多方面から論評された。                                                                                                                                                                                                                      森さんは役作りに当って、自身の「慰問団」体験を動員したと思うが、彼女の二度の婚姻を含めた戦中戦後の実人生の                                                                                                                                                          「ちょっと(どころではない)不幸」は、芙美子への非難をも容れた上で芙美子になり切るに相応しものだったのだと想う。                                                                                                                                                                                                           いつか『徹子の部屋』で、森さんより約一回り強若い1933年生まれの徹子さんとペギー葉山さんが「勤労動員、学童疎開」世代の責任に触れて                                                                                        「語り部」になるべきだと「世代」の「伝える義務」を力説されていたのだが、世代の責任を語る人が、一人又一人と去って行く。                                                                             公的体験を伝えるということの自覚が、言い換えるとどうしても伝えたいことが、わが世代にはあるだろうか?                                                                                                                                                            いや、その前に、わが世代の公的体験とは何なのか?                                                                                                  80年以降、それぞれの場で、今日橋下旋風がまかり通るような世の、そもそもの生成過程を見過ごして来たというのが、                                                                                                                                                                                                                          お前達世代の「公的記憶」の核心ではないのか?と問われれば、ぼくは否定できはしない。                                                                                      (例えば、ぼくならぼくは、後に87年「国鉄分割民営化」、87年「全民労連」~89年「連合」へ、同年「総評」解散・・・に至る文脈の一環として、                                                                                                                          つまり雇用形態・労働秩序・働く人権の根本改変への大きな一歩として「労働者派遣法」《1986年施行》を捉えていただろうか?)                                                                                     

今日も「行政の仕事をどしどし民間に解放して行ってるのです。要は競争です。競争の無いところに改革はない」とうそぶく橋下が画面に居た。                                                                                               「公」の任務を外注下請化し競争に晒しての費用カットを断行し、自治体労働者の自発性の解体、無条件服従化・人減らし・下請化による                                                                                                                                 労働環境とサービスの質の低下を進める者が「解放」と言い、「改革」と言う。 言葉は怖い・・・自立支援・規制緩和・おもいやり、、、、                                                                      某週刊誌の佐野真一のレポートは切り口も方法論も大問題だし、中止し謝罪すべきだが、                                         彼の公的記憶ならぬ、金的記憶=サラ金の零細企業向け高利の別会社の弁護活動で「連戦連勝」ということの中身=で培った                                                                                                                                   世界観・人生観・価値観の根っ子を知りたいところだ。                                                                             「維新の会」は今、その価値観を「どうしても伝えたい」と行動しているのだろうから・・・

だが、ぼくらにも「どうしても伝えたい」ことはあるんだぜ!                                                                                   

 

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