たそがれ映画談義: 女優 L・Aの隠居、ヴィスコンティ不在のイタリア映画
ヴィスコンティ&女優 L・A
ルキノ・ヴィスコンティの作品を最初に観たのは64年高校二年だ。作品は『山猫』だった。 65年:高三になって、確か60年に公開されたというある古い映画を、行ったことの無い名画館で映っているのを見つけ、「ヴィスコンティの前作を観るべし」と理由を付けて出かけた。神戸新開地の「大洋劇場」(記憶不確か)という名の上映館を捜し訪ねた。 アラン・ドロン、アニー・ジラルド、レナート・サルヴァトーリ、クラウディア・カルディナーレなどが出ていた。『若者のすべて』だ。 その後ヴィスコンティ作品は 『地獄に堕ちた勇者ども』(69年)、『ベニスに死す』(71年)、 『ルードヴィヒ』(72年)、『家族の肖像』(74年)、『イノセント』(75年、日本公開79年)、と観て来た。ヨーロッパの文化や伝統の死に立ち会う者の悲哀と、ヨーロッパへのいささかの(実は根本的で深い)矜持が、アメリカ的・即物的・効率優先のイズムに圧し潰されて行く景色を受容れざるを得ないことへの切情濃厚な70年代の作品には、間違いなく「死」ということへの彼の意識が重なって見えていた。ヴィスコンティは「死」を意識している。凡感なぼくにもそこはビンビン伝わって来た。 遺作となった『イノセント』では、撮影の後半期になってヴィスコンティの病状進行したが、押して現場入りし最後まで車椅子上で演出した。が、封切を見ることなく他界した。76年3月没、満69歳。ヴィスコンティについては、ヨーロッパをそれなりに知っていないことには語れないが、ぼくなりの切り口でいつか語ってみたい。 彼の死後、「ヨーロッパの擬敗北」と「伝統への矜持」を言内外に語る「堂々たる」ヨーロッパ映画に出会えていないように思う。
出自はミラノの伯爵家、生涯イタリア共産党員、バイセクシャルであることをオープンにしていた。そのヴィスコンティならではの純粋美的芸術的視点(?)から、彼に「ヴィーナスの体をしている」と言わしめ主人公の妻役に採用させしめた女優を、観ようという俗情に大いに駆られて、労働争議でバリケード占拠していた社屋を抜け出し、遺作『イノセント』を観に行ったのだったと思う。その女優の名を知った。ラウラ・アントネッリと言う。 後年『イノセント』を再度観て、その女優を別の機会に観たことを思い出した。TVで放映されたイタリアン・エロチック・コメディなるジャンル(艶笑劇?)の映画『青い体験』(73年)の女優ではないか。吹き替えの声優が、ヘップバーンや『銀河鉄道999』のメーテルの池田昌子さんだったので、よく記憶していた。 最近、その女優の経歴やその後を知った。 1941年イタリア領だったクロアチア生まれ、65年映画デヴュー、映画『コニャックの男』で競演したジャン・ポール・ベルモンドと71年ごろから10年近く愛人関係。75年のヴィスコンティ遺作『イノセント』以外にも、エットーラ・スコラ、マウロ・ボロニーニなど大物監督に使われた。『青い体験』と『パッション・ダモーレ』(81年)では、イタリアで権威あると言われる映画記者協会が選出するナストロ・ダルジェント賞主演女優賞も受賞している。
1991年、50歳で出演した『Malizia2000』(『青い体験』の原題が「Malizia」)で、プロデューサーと監督から「しわを隠せ」とコラーゲン注入を勧められ手術を受けて失敗。最後の映画となった。同年、自宅でコカインが押収され禁固刑判決(抗告の後、判決取消)。現在71歳だなぁ~。 イタリア映画。戦後すぐのデシーカ、フェリーニ、ロッセリーニから、ヴィスコンティ、アントニオーニなどへ続く映画作家たち、『靴みがき』『自転車泥棒』『にがい米』『道』『鉄道員』『刑事』『甘い生活』『ふたりの女』『鞄を持った女』『太陽はひとりぼっち』『ブーベの恋人』『誘惑されて棄てられて』『アポロンの地獄』『ひまわり』『山猫』『地獄に堕ちた勇者ども』『ベニスに死す』『家族の肖像』『イノセント』などの作品群、シルヴァーナ・マンガーノ、シルヴァ・コシナ、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダ、ジュリエッタ・マッシーナ、クラウディア・カルディナーレ、ステファニ・サンドレッリ、ラウラ・アントネッリなどの女優さん。ハリウッドがちょっかいを出す、欧州の側も半ば喜んで尾っぽを振る、本来の個性・美点・美学が損なわれる・・・。けれど、女優は、気付き最後に故郷に戻って来る。戦後の、ハリウッドとヨーロッパ映画界との関係の経済版が今日のグローバリズムだと言えなくはない。
映画は、テーマ・パークなんかで再体験することでも、こけおどしのセット見学でもジェットコースター感覚の投機ごっこでもないのだ。 USJになんか、絶対に行くものか! ハリウッドに席捲され、慌て恐怖し・・・、60年代末70年代の日本映画でのヤクザ映画、ロマン・ポルノのごとく、イタリアではマカロニ・ウエスタン、イタリアン・ホラー、イタリアン・エロチック・コメディという流れとなって行く。 自身もハリウッドに「進出」し、個性をやや歪められた時期(つまりハリウッドばりの「肉食系」体形作りとファッションやヘアスタイル)も持つラウラ・アントネッリの、盛衰変遷・寂しい終わり方にも、ヨーロッパの悲哀が見えてしまう。 『イノセント』と少しの作品以外は、イタリアン・エロチック・コメディに終始した女優人生だったが、ヴィスコンティの言う「ヴィーナスの体」(母性へと連なる、それこそヴィーナス系のたおやかさ)と醸し出す雰囲気や陰ある表情が、アンチ・ハリウッドやイタリア内亜流(クロアチア)を主張していた。ご苦労様でした。 *ヴィーナスの体を無修正でご覧になりたいむきへの情報: http://filmscoop.wordpress.com/2009/08/13/laura-antonelli/ http://bigi.umu.cc/antonelli-p.html