つぶやき: ブラックは誰だ
関越自動車道 深夜高速バス事故(4月29日 午前4時40分)
安全・人権などに基づいて在った故あるクリアすべき基準・制限の撤廃を、『規制緩和』と名付け推進した者たちが、事故以来TVなどでこの度の重大事故の因を「悪徳業者」と「悪徳運転者」の「ブラック性」に押し込め、私的な責任論へと誘導する発言を展開している。 冗談ではない。彼らが、「悪徳」だとしても、そうした「悪徳」者が参入できる産業構造・業界システムこそが、そしてそのように門戸を開いた『規制緩和』という名の、競争原理万能・新自由主義こそが事態を招いた根本原因だ。「安い」だけを求めて走る「賢くない」大多数のそして当然の反応の我ら消費者に応える為の「低価格」は、安全と人権を踏みつけることでしか実現できない。出来なければ、仕事は来ない。そうした、瀬戸際運営で零細業者は「悪徳」を承知の上で、過酷な価格設定と過少人員で請負い、産業と業界を泳いで来た。 手のひらを返して業者・運転者を責め立てるマスコミよ。あなた方は、国土交通省の一人運転の限界設定基準、670kmがドル箱コース:大阪~ディズニーランド路線をクリアする疑惑の数字であることに端的に表れている構造的癒着を、これまで一度でも糾そうとしたことがあったのか? まずは、そこを自省的に語りなさい!
1980年代以降の規制緩和の数々を思い起こしてみる。 電電公社民営化・国鉄民営化・タクシー台数制限撤廃・酒類販売免許・バス運送事業新規参入・労働者派遣事業法緩和(製造業OK)・貨物自動車運送業・郵便事業民間へ開放・農業への株式会社参入・医薬部外薬品の販売緩和・他々 2005年4月25日のJR福知山線脱線事故は、事故原因究明の中から、不充分ではあってもJR内の常軌を逸する懲罰的「日勤教育」の実態を、明らかにして行った。この「日勤教育」に関与し(あるいは目を塞ぎ)、推進したJRの幹部・管理職・全ての岡っ引き中間管理職とエセ労組役員、お前達こそが107人の尊い命を奪った真の下手人だ!(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%8B%A4%E6%95%99%E8%82%B2)
競争はいいことだ、儲けることはいいことだ、それによって社会は前進し、事や人は進歩する。安全と人権に要する無駄なコストは排除されるべきだ、消費者こそが主役だ・・・・・。新自由主義の荒波は、製造・雇用労働・流通・購買を越え、福祉・教育・公共サービスを直撃し、大阪発の「ハシズム」は肥大しているかに見える。 だが、こうした倒錯が、財界やその推進者が消費者に云わば「マッチポンプ」役を押し付けて成る、同道巡りのインチキ構造だと、賢い消費者は気付いている。 肝要なことは、何を隠そう実は、消費者とは生産者なのだ! という紛れも無い事実だ。自らマッチポンプ役を引き受けることは無い。事と物の安全と生産者の人権を脅かす構造を、消費者としての声だけでもって肥大させ生産者である自らの首を絞めなければならい理由は一切無い。
ネット紙上の各種コメントには優れた指摘も多く、ホッとしているが、こうした声の社会化・結集を望みたい。 曰く『ブラック企業を生み出しているのは、ブラック消費者ではないでしょうか?』 その通りだし、そこへ誘導する規制緩和・新自由主義経済こそがブラックの根っ子ではないだろうか?