歌遊泳: 新橋界隈 最後の演歌師

新橋:最後の演歌師

街の声を訊く場として有名な新橋駅:日比谷口のSL機関車が鎮座する通称「SL広場」は、しばしば報道番組などに登場している。                                                                                   一杯機嫌のホワイトカラーが帰宅までの時間を計算して考え、余裕のある者は取材記者に応じ、一刻を争う者は小走りに駅へ急ぎ、深夜まで雑踏状態だ。                                                                                                              インタヴューに応えるホワイトカラーは、本音か勤務先への気遣いから顔が出てはまずいとの手控え発言かは定かではないのだが、酔っている分「本音」に近いだろうとのTV局の判断でか、SL広場はいわば「定番」として、サラリーマン・アンケート取材場所の王座を保ってきた。                                                                                                            新橋界隈のホワイトカラーが主要な客だろう飲食街は、大阪で言えば十三までは辿り着けないが、天王寺・京橋辺りの匂いを持っていて、有楽町から続くガード下の飲食街も併せて嫌いではない。

以前、品川宿で「ここは行ける」と感じた店(何と店の名は『佐平次』) のことを書いた(http://www.yasumaroh.com/?p=13097 )が、その一匹狼的オヤジの友人(84歳)が、新橋で「昭和の居酒屋」を手伝っているという。                                                                                                                       先日、ちょっと厄介な現場の山を越えて品川宿『佐平次』で呑んでいると、オヤジが「店閉めて、新橋へ唄いに行くぞ。来るかい」と言う。                                                                                                                          何でも、70歳前のママが営むその小さな店は、夜半まで客とてそんなになく、カラオケ唄い放題だという。終電車に乗り遅れたサラリーマンが、タクシー帰宅でもビジネスホテル泊でも金が嵩むので「え~い、安いのなら朝まで呑むか」とやって来て、25時から忙しいのだそうだ。                                                                                                         品川宿『佐平次』のオヤジ(同じ1947年生まれ)と連れ立って、新橋へ向かった。                                                                                     飲食街の雑踏をかき分け、サラリーマンの流れとは逆に歩き10時前に店に着くと、話通り貸切状態。                                                                                                                 『佐平次』のオヤジの友人(84歳)は、信じられない若さと気力を発揮して、溌剌として「ホール係」を務めている。呑み・食べ、カラオケ三昧となった。『佐平次』のオヤジと店の好爺は、もっぱら田端義夫・鶴田浩二・春日八郎・三波春夫・杉良太郎などの演歌を唄い、ぼくは60年代以降の歌謡曲:中島みゆき・加藤登紀子・アリス・小椋佳・沢田研二・長渕剛などに加え阿久悠モノを唄った。何せ、三曲に一曲唄うことになるわけで、忙しいことだった。久し振りに唄いまくった。                                                                                                                                         24時を回ると客もチラホラ・・・、で、25時に退散したのだが、何と好爺もいっしょに帰るという。えっ?これから店は忙しいんじゃないの? それじゃあまるで客が来るまでの時間、客が居ない時のママの話し相手をすることが、あんたが言う「手伝っている」なの? 「そうなんですよ」だった。                                                          深く詮索する気は無いが、この84歳、中々の御仁である。見習いたい。

その夜、この84歳氏以外にも「いいもの」に遭った。退散する小一時間前、新橋にただ一人残った「流し」=演歌師がやって来た。この店をベースキャンプにしていると言う。                                                                                                          飲食街を唄い歩き、小休止にここへやって来る。まだ、客もほとんど無い時間に来て食事をし、ママと好爺と話し、また夜の街へ唄いに向かう・・・、それが日課だそうだ。唄うのをやめて呑みに行く時には、ここにギターを置いてゆく。なるほど彼のベースキャンプだ。                                                                                      最近フジテレビが取材+撮影したそうで、たしか5月15日に放映されるらしい。                                                                                                              『新橋・最後の演歌師』といった内容だそうだ。「流し」始めて五〇年という。なら70歳前後のはずだ。田端義夫に似ていた。                                                                                                       「流し」氏の名は須賀慶四郎、通称ケンちゃん。                                                                                                              歌は、何でも来い。若い人の歌も唄います。最近の歌でもOKと言っている。                                                                            彼が唄った歌を五〇年分連ねたら、昭和が、ホワイトカラー諸氏の「ホンネ」が、浮かび上がるだろうか・・・。                                                           ハイ、かく言うわたくし:品川康麿、演歌派です。                                                       そのスタンスは、もちろんこういうことだ。                                                                                       「演歌と『切れて繋がる』 」                                                サラリーマン諸氏が演歌と酒席というカタルシスを得て、このSL広場から一歩も出ない昭和だったということは明らかなのだから・・・。

 

その夜、ケンちゃんはこれを唄ってくれた。  http://www.youtube.com/watch?v=gbA15I5_zQM

 

 

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