通信録: 孫に教えられ

知育・体育・食育・感育 プラス働育ですね。

当方相も変らぬ高齢者「現場管理」で、周りをヒヤヒヤさせております。                                                                             百貨店などでは62歳以上は「実質お断り」の「KY(危険予知)」の項目内で、                                                                                                その特別講習を潜っての現場管理・・・、実に「迷惑(?)」的存在です。

 ところで、 数年前、ある集まりでのメイン発言者の、世に出る前に基礎的な「人間力」教育や基礎的な「労働観」の確立教育が是非とも必要だという論に(それはニートや、労働忌避症候群を巡る研究会だったのですが)、                                                                                                                 「労働者の権利意識」(労基法・労組法・団結権など)をどう伝えるのか?・・・とか、「人間力」ってつまりは「奴らへの協調性」のことか?・・・、と会場から質疑がありましたね。                                                                                                           玉子とニワトリのごとく、どちらが先かではなく、共に必要な要素に違いないと思うのです。                                                                        「協調性」や「従順」だけを要請し、それを「人間力」(当日語られていた「人間力」は断じてこれではありません。会話力・他者理解力・協働感覚などです)だとする側に対して、働く者の「基礎的」権利意識の確立がまず在るべきだ、その応酬では、それこそハシズムなどにつけ込まれると思います。                                                                                                              結果・目的・成果・役割・何の為という「労働」の社会的側面ではない、「労働」そのものが持つ意味とでもいうべきモノ、かと言って地位・収入・名誉などの俗情と無縁では在り難いいわゆる勤勉・努力・自負心とはまた「別のモノ」である、個人が「働くこと」の中に是非とも確立したいと願う、自己と労働との一体感を希求する人間の本来性を想ったところです。                                                                                                  左翼や労働組合は「世の為人の為」や「清く正しい労働」などを語る癖があるが、その「別のモノ」を軽んじて来た、あるいはその位置づけを怠って来たのではなかったでしょうか? だからハシズムが闊歩したり、攻撃が有効だったりするのだと思います。                                                                                           「人間力」「人権感覚」・・・、それは共に必要なのことのはずです。

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 働くことへの立ち位置や距離感がとりわけ団塊世代には希薄で、「食い扶ちを稼ぐこと」程度にして捨て置き、天下国家を大声で論じていたなぁ~、と。何せある種の左翼に於いては、「社会論」よりも「国家論」「権力論」なんですから・・・。                                                                                                                                 孫が活き活き(母親の職業でもあるからか)ナースごっこしている絵柄に、ハッとあることを教えられたのでした。                                                                              上手くまとめられませんが、                                                                                      小中の公教育には、国や企業からの要請に応える回路からではなく、働く者の側から、「労働」の意味を伝える工夫が是非とも必要なんだと強く想ったところです。                                                                                       実に遅い気付きではあります。

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