連載 83: 『じねん 傘寿の祭り』  エピローグ (4)  終

エピローグ④終

赤嶺(旧姓:喜屋武)千恵、一九〇五年・明治三八年生まれ。一九二二年・大正一一年、十七歳のとき父を喪う。長女だった彼女は、成績優秀で女子師範学校生だったが、辞めて長崎に住む親戚の紹介で長崎の造船所の事務職となる。親戚は部品作りの下請工場を営んでおり、造船所へ沖縄の青年男女を何人も送り込んで来た実績がある。千恵は寮に入った。三歳下に弟、十歳違いの幼い妹がいた。大正期の若い女性の単身長崎。言葉の障壁を含め、外国へ行くほどの苦難だったろう。千恵は、沖縄の家族への送金を律儀に果たしたという。                                                                                                                                             長崎や福岡に住むこの親戚の遺族が各種証言をしてくれたが、内容は曖昧。                                                                      千恵は長崎の料理旅館の主黒川松栄と出会い、一九二七年・昭和二年二十二歳で黒川自然を産んだ。造船所は前年に退職している。黒川松栄との出会いのいきさつ、出産後の生活などの詳細は不明。弟は、すでになく、十歳違いの妹が、ひと度は姉の長崎での出産を認めていたが、本年はじめ、否定に転じて死去している。                                                                                            一九三七年・昭和一二年、三十二歳の時沖縄へ帰り、翌三八年・昭和一三年赤嶺盛昌氏と結婚。一九三九年・昭和一四年、三十四歳で女児を出産。百合子と名付けた。                                                                                       一九五六年・昭和三一年九月八日、五十一歳で肺癌で亡くなった。一人娘、百合子は奇しくも、千恵が沖縄を発ち長崎へ向かった年齢と同じ十七歳だった。明日九月八日は、千恵の命日である。千恵の夫、赤嶺盛昌氏は後を追うように二年後死去している。夫妻が眠る墓地は米軍K基地内に在る。                                                                                                                                この千恵なる女性が、黒川自然の生母であると当社は考えるが、断言するだけの資料を得ていない。千恵の夫、赤嶺盛昌の親族は「今さら」「そっとしておいてくれ」と、事実を認めるとも認めないとも言わない。赤嶺百合子と黒川自然の「DNA兄弟姉妹鑑定」という方法があり、両親又は片親が同一という可能性を、両親の場合の「兄弟指数」片親の場合の「半兄弟指数」として提示するが、肯定否定の決定的なものではない。この鑑定の勧めを赤嶺百合子に申し出てはいない。報告書はここで終っている。                                                                                                                                                     

比嘉が、その後を語ってくれた。                                                                                                                             つい最近、百合子は、父親の遺品に混じる母親の遺品の中に、見たことのない一葉の写真を見つけた。若き日の母親千恵が、男の子と写っている色褪せた古い写真だ。親戚筋の子供だろうと思っていたが、何人かの親戚筋に写真を見せて訊ねたところ、誰もが顔を顰めるのだった。半信半疑は確信に近付いている。                                                                                                                                                                                      昨日、黒川は亜希だけでなく謝花晴海にも同じ「脅し」の電話をしていた。晴海は百合子に伝え「何か決定的なものはないか?」と電話していた。百合子は、関係者を傷つけるまいと配慮して行なわれた謝花晴海の調査に心打たれてもいたし、事実なら兄に当たる人物に会いたいとも想っていたので、昨日その写真を晴海に見せた。写真を見た晴海は確信した。写真の子は、七十年の歳月を経てなお、自然そのものだった。今日、百合子はDNA鑑定受諾を言うのではないか・・・。                                                                                                                                                                     

あゝ、この報告書には、沖縄と日本の関係が、軍国が、昭和が、黒川の生母の悲哀の歴史が、二十世紀日本の女性が、封建が、日沖の「家」というものが、黒川の「総決算」しなければならない歳月が、・・・詰まっている。比嘉が時間を割いてこの席を用意した血肉から湧き出る「思想」が詰まっている。裕一郎は、命の終わりを間近にしてこだわる黒川の執念の言動を全面的に受容れようと想い、思い詰めた老人の狂言かもしれない事態に時間を割いて惜しまない比嘉という人物との歴史を噛み締めていた。                                                                                                                                           比嘉が、黒川はその妄想を実行して果て、ユウくんとギャラリーは妻に託す積りではないだろうか、と言う。無計画に見えて、その辺りのことも配慮していたんじゃないか? お前さんのギャラリー作りが、そういうジイさんの全体プランに組み込まれていたとしたら、どうじゃ? 黒川の日常を知る者としては考えられないが、一笑に付そうとも思わない。                                                                                                                                                                                   

同世代と思しき女性と、やや年長の女性が席にやって来た。謝花晴海と赤嶺百合子だ。                                                                                      赤嶺百合子だろう女性は、黒川が言っていた女優を老いさせればこうだろうと思わす顔立ちだった。母親・千恵似なのだろう。                                                                                                                                               挨拶を済ませると、百合子は早速、件の写真を取り出して見せた。                                                                   間違いなく、黒川だ。黒川自然だ。                                                                                                         詳しく語り合おうとした矢先、黒川がやって来た。比嘉が立って迎えた。                                                                       硬い表情の黒川が、全員を睨んで言う。                                                                                                                                              「沢山集まってぼくを説得か? 言っておくがぼくの決意は変わらないぞ。明日、誰が何と言おうと突入するんだ。ゲートで殺されてもいいんだ。そうなれば、殺したのは米日沖のある連合ということになる。裕一郎君、そこをしっかり後世に伝えてくれ」                                                                                                                                                                                                                      裕一郎がその迫力に怯みながらも、「黒川さん、沖縄は母じゃなかったんですか?母を敵に回すのか?」と言葉を返そうとすると、その前に比嘉が言う。                                                                                                                                         「黒川さん、ぶっそうなこと言うなよ。沖縄の心を信頼しなさいや。明日は母上の命日なんだってね。今年は無理でも、来年墓参できるようにする。ワシは出来ることの全てをするよ。約束する」                                                                                        百合子が写真を手にして立った。                                                                                                                     「お兄さん・・・・・・・なんですよね。これ、あなたですよね」・・・」と写真を黒川に手渡した。                                                                        君は誰?といった表情でやや顔を斜めにして、黒川が受け取った写真を凝視している。                                                                                                         「ぼくだ、これはぼくだ。憶えている、これは運動会の日、ウメさんが写した写真だ。尋常小学校の校門前だ。運動会の日、何故かウメさんが写真写真と強く言ったのだ」                                                                                                                 そう言ったきり黒川の言葉が続かない。見る見る、黒川の高潮した顔の目と鼻と口から、液というべきか汁と呼ぶべきか、液体がとめどなく流れ出している。百合子の手を握って発する、黒川のオオゥ、ウーという声にならない音が響いた。                                                                                                                                                                                  比嘉がもらい泣いている。百合子は嗚咽し、謝花晴海は堪えるようにハンカチを目に当てていた。裕一郎は溢れるものに困惑して、目の前の光景に身動きできずに居た。                                                                                      比嘉が「これからどう進めるか相談しよう。な、黒川さん」と言うと、黒川は黙って頷いた。                                                                                                            比嘉が裕一郎に顔を向けて言う。                                                                                                                     「裕一郎よ。沖縄、日本。ワシらが残された時間にすることは五万とあるぞ。それぞれの場所でそれをしよう」 裕一郎はどのようにも答えられない己を認め戸惑いつつ、ただ立ち尽くしていた。                                                                                                                                                                                         ようやく、全員が腰掛けた。姉のように黒川の手を握り泣きながらも微笑んでいる妹を見て、百合子という名から、又しらゆりの花言葉を思い浮かべていた。無垢と威厳。                                                                                                                       裕一郎の中では、機内で見た夢と、目の前の事態とは区別なく一つだった。この上は、黒川が美枝子とユウくんの自由往来を認めるだろうと想うと、ふと、敬愛する女性歌人のある歌が浮かんで来るのだった。                                                                                                                                        

鳶に吊られ野鼠が始めて見たるもの己が棲む野の全景なりし  /斉藤 史                                                                                                 

 

(『じねん 傘寿の祭り』 完 )

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