連載 81: 『じねん 傘寿の祭り』  エピローグ (2)

エピローグ②

裕一郎は近い私鉄の駅へ向かい、駅横から出ている関西空港直行バス停車場のベンチに腰掛けていた。バス到着まで二十分ある。探偵社の、謝花晴海だったか、同年代のその女性に会いたい。会って、黒川生母探しの経過と結論を聞きたい。晴海を知っているという比嘉に電話した。「九・八黒川決起」のあらましを伝え、謝花晴海に会いたいので連絡とってくれと依頼した。比嘉が飛行機の那覇到着予定時刻を訊ねて来る。空港へ来てくれると言うのだろうか。ただ事ではないと直感する比嘉の対応が嬉しかった。                                                                                                                  バスは相変わらず空席が目立った。

戦勝国アメリカは、戦後「ハーグ陸戦条約」を根拠として沖縄を占領していた。サンフランシスコ講和条約締結(五一年九月八日)以降アメリカ軍の駐留は国際的に認知されることとなる。条約発効(五二年四月二八日)前の五〇年初頭から基地建設は本格化し、アメリカ政府の出先機関である琉球諸島米国民政府(USCAR)(比嘉の話に出てきたな)は、布令・布告を連発して民の土地を接収。基地の拡充を進めた。一九六〇年六月、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(「日米地位協定」)(あゝ長ったらしい!)の発効により、治外法権的特権・財政負担・各種便宜を得て、今日まで犯罪の逮捕権・捜査権・裁判権、軍関連諸費用・経費負担などを巡る理不尽が続いている。

去年黒川が移住を決断した沖縄からの一本の電話は、生母に関する情報だったが、その直前の米軍機の沖縄国際大学への墜落事故の際も、現場に米軍が非常線を張り、沖縄警察の捜査を妨害阻止したなぁ。轢き逃げ事件・暴力事件・性犯罪、裕一郎でさえ多くの事件を思い出せる。九五年九月の米兵三人による少女拉致暴行事件の衝撃は国民に届き、誰もが「日米地位協定」の構造を考えたと思う。                                                                        米軍基地の拡充は、当然ながら多くの墓地をも呑み込んだ。                                                                                沖縄では清明祭(シーミー)と言って、旧暦三月清明節(四月五日ころ)に先祖の墓前に一族門中が集い重箱のご馳走を持ち寄り先祖を供養する。米軍基地内に墓がある場合、この行事でさえ地元自治体に申請し、米軍の立ち入り許可をもらう必要がある。基地内では米兵が先導、案内されて墓に向かうのだ。基地アピールの行事では寛容で開放的な米軍が、先祖供養には厳格な手続きを要求するのだ。この煩わしく屈辱的な事前手続きに、先祖様を含めたウチナーの今が象徴されている。                                                                                                  小規模な身内だけの命日墓参は、しばしば日程変更を求められ、九・一一以降、イラク戦争開始以降はさらに、基地立ち入り許可は難しくなっている。事態は戦争と直結している。

黒川は、心ある女性調査員の努力と説得で、生母を特定できたのだろう。生母は結婚相手の一族の墓に眠っていよう。否定に転じた妹さんは亡くなったというから、娘さん、黒川の妹にあたる人物が重い口を開いたのか。そこは、分からない。娘さんが「確かにそうです」と認めているならDNA鑑定など不要だ。互いに記憶を辿り、想い出の品や漏れ伝わる逸話を繋ぎ合わせて行けば照合できよう。墓参が叶わないのなら、特定は出来たが、先方の認知には至らないということだろうか・・・。                                                                           黒川が墓を訪ねるには、関係者の同意、自治体への申請、米軍の許可という手続き全てをクリアする必要がある。                                                                                                                                  もし娘さんが証言したとして、にも拘わらず一族親類縁者の異論で希いが叶わないなら、黒川にとって、それも「妨害者」となるのだろうか・・・。いつだったか、黒川が「ぼくが母に会うことを妨げる要素は、ぼくにとって全て敵なんだ」と言っていたのが気になる。それはちょっと違うと思う。                                                                                                   黒川自身の先妻と子、妻:美枝子との関係に照らせば、家族の事情や制度や「家」という強固なものが絡め織り成す要素は、「敵」などと言い放ちは出来まい。が、そこは黒川様の変則三段論法だ。母は、母たる沖縄は、ぼくを認知すべきなのだ。そこにおいて、ぼくの沖縄帰還は完結するのだ。                                                     その前に立ちはだかる、米日の条約も基地も、フェンスもMPも県警も、紛れもない「敵」なのだ。そしてぼくを容れない沖縄に在る要素は、「敵」ではなくとも、「妨害者」であり内部矛盾なのだ。黒川理論ではそうなる。

裕一郎は関空のゲートをくぐった。                                                                                                  黒川さん、何をしでかす気や! 不安を抱えて那覇行きANA機に搭乗した。

 

 

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