通信録: 目撃してしまった・・・
大変な場面の目撃者になってしまった。
旧東海道を歩いて近くの銭湯(江戸の黒湯天然温泉:天神湯)へ向かっていた。 月に一度は内風呂ではなく温泉に行きたい。ほぼ毎月実行している。 湯の場で寛ぐ人々が醸し出す空気が好きなのだ。 旧東海道が山手通りを横切る信号を渡れば左手にそれは在る。 赤で信号待ちをしている者が7~8人。その後ろに立った。目の前山手通りを車が走り抜けてゆく。 と、山手通り側の信号が黄色だったのだろう、向こう側の車線を左手から、 一台のバンが赤信号になる前に通過しようとしてスピードを上げてやって来るのが見えた。 ちょうどその時、向こう側からこちらへ向かって一人の老人が渡り始めた。まだ、横断する歩行者用の信号は青になっていなかったと思う。車側は黄色信号だったと思う。双方が先を急いでの行動だろう。 引き返せ!と声をかける間もなく、ドンという音、キーンという急ブレーキの音、グチャッという音、ズズウーというタイヤが道路を滑る音、四つの音がまるで同時に聞こえた。降りてきた運転者の若者、両側で信号待ちしていた歩行者たち、近隣の人々、赤信号になって停車している他の車の運転手。たちまち、人の山になった。道路には打ち付けられて頭部からの出血の川に意識なく倒れている老人。110番、119番、何人かが電話している。 そこへ、若い女性が走ってきた。「おじいちゃん!」と言ったきり絶句している。娘か息子の妻だろう。老人は家のすぐ近くまで来ていたのだ。 老人を跳ねたバンを見ると、花屋の社名が見えた。開いたドアから、旧ブレーキで散乱した豪華な花が覗いている。クリスマス前の繁忙期、配達を急いでいたのだろう。 倒れた老人から10M離れたところに転がっている松葉杖、しっかり抱えているもう一本の松葉杖。 あゝ、老人は最近か以前からか、脚が悪く松葉杖をついていたのだ。約30Mの横断に時間を要す、少しでも早く渡り始めたい・・・そんな事情の中で、一歩早めに横断を開始したのだ。 跳ねた若者はもう間もなく赤に変わるギリギリ直前に、速度を上げて通過しようとした。もちろん危険運転だ。 老人は青になる前に渡り始めた。もちろん危険横断だ。けれど・・・・・・けれど、、、 【添付写真はグーグルアースで検索プリント】
誰が、何が悪いのか?救急車が来るまで、何かが出来るわけではない「たそがれ野郎」は、そこに留まっていた。ストレッチャーに載った老人は呼吸してなかったように思う。 明日、近くの人に訊いてみよう。ご老人の命はご無事だったでしょうか?今回の事故は98%車に責任がある。黄色で加速したらアカンよ!!止まってくれよ。
ふと、裁判員制度を思った。ゆえある不幸な罪、人を裁く・・・・・・ ふと、震災の東北を想う。目の前で、夫が妻が、子が親が、 流されたという人々・・・・・・ 頑張れ、乗り越えろ、などと言っても・・・・・・戦争とはこうした事態の恒常化・全体化に違いない。
『突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼』(塚本邦雄:1920年生。敗戦時25歳)