歌「100語検索」 30、 <折>
折
ポケットで折れていたハイライト(『狂った果実』)。うん、うん、そうかいそうかい。 かけがえのない「あの日あの時」を折れるほど抱きしめたい(『夢去りし街角』)のかい。 けれど、木村友衛は「折れた情け」に充ちた人生、「男」ではなく「女」の人生こそが「浪花節」だと言っている。 中村あゆみは、折れた翼を修復して翔ぼうぜと言っている。あるいは、翔べなくてもいいんだよと言っている。
『狂った果実』 http://www.youtube.com/watch?v=yAFFEMCukA4 アリス 『風雪ながれ旅』 http://www.youtube.com/watch?v=LeR9i3cpt8o&feature=related 船村徹 『浪花節だよ人生は』 http://www.youtube.com/watch?v=yhiWf1A4DnE テレサ・テン 『浪花節だよ人生は』 http://www.youtube.com/watch?v=wpwv3whJZ1M&feature=related 木村友衛 『恋唄』 http://www.youtube.com/watch?v=W8Ax2yDitJY 前川清 『うそ』 http://www.youtube.com/watch?v=JvQkY6raPH0 中条きよし 『難破船』 http://www.youtube.com/watch?v=ski722P1368 加藤登紀子 『めまい』 http://www.youtube.com/watch?v=NLsL9eUKLRQ 小椋佳 『夢去りし街角』 http://www.youtube.com/watch?v=bR70yHuQp5A&feature=fvst アリス 『翼の折れたエンジェル』 http://www.youtube.com/watch?v=oRiZUJ5evZ8 中村あゆみ
<ウィキペディアより> 【浪花節だよ人生は】 最初は1976年(昭和51年)に小野由紀子の歌唱によりシングルのB面曲として発表された。その後この曲の歌詞を自分の人生の引き写しのように感じたという木村友衛が藤田に直訴して1981年(昭和56年)に歌い始めると、地道なキャンペーンの努力が実り徐々に人気を獲得するようになった[1]。これを受けて歌手16人[2]、レコード会社13社[3]による競作としてレコードが制作され、1984年(昭和59年)にその人気は最高潮に達した。同年の第35回NHK紅白歌合戦では水前寺清子と細川たかしによる同曲対決が行われ、第26回日本レコード大賞では細川が最優秀歌唱賞を、木村が特別賞を受賞した。
【浪花節】 浪花節は古くから伝わる浄瑠璃や説経節、祭文語りなどが基礎になって、大道芸として始まった、その後明治時代初期、大阪の芸人・浪花伊助が新しく売り出した芸が大うけして、演者の名前から「浪花節」と名付けられた。(浪花節と言われ始めたのは1872年頃と言われている。)「浪曲」と呼ぶようになった理由は諸説あり定かではない。東京では関東節の祖と言われる浪花亭駒吉や横浜で祭文語りで活躍していた玉川派の祖と言われる青木勝之助が東京の寄席に出演し人気を博し浪花節は全国的に広まった。以後、桃中軒雲右衛門や二代目広沢虎造の活躍で戦前まで全盛を迎えた。太平洋戦争後は娯楽の多様化で衰退し現代まで続いているが、現代に合う新しいスタイルを模索している。
庶民的な義理人情に訴える作品が多い事から、転じて「浪花節にでもでてきそうな」という意味で、義理に流された話を「浪花節的な」あるいは単に「浪花節」と比喩することも多いが、実際は武芸物、出世物、任侠物、悲恋物、ケレン物(お笑い)など多種多様である。
現在、浪曲の定席は東京都台東区浅草の「木馬亭」と、大阪府大阪市天王寺区の「一心寺門前浪曲寄席」がある。
【歌100語検索(ここまでの語):1~30】 http://www.yasumaroh.com/?cat=26 1~10: 川、空、夜、時、遠、時-2、砂、雨、風、港。 11~20: 夢、人生、道、手紙、愛、愛-2、忘、恋、別、友。 21~30: 季節、歩、走、帰、行、追・逃、変、待、捨(棄)、折。