連載 67: 『じねん 傘寿の祭り』 七、 しらゆり (3)
七、 しらゆり③
「絵葉書にあった『ひと夜秘め』の相手は北嶋さんなんでしょ?って訊いてたんです。亜希さんコクらないんですヨ。北嶋さん、答えてよ」 「絶対に違うし、ぼくもあの葉書見たけど君らが言うような芸能ニュース的事件じゃないような気がするな。『ありや?』という反語、苦い自問やろ?」 彼女らの興味本位にも聞こえる謎解き談義には、行き先を告げず去った上司への信頼や親愛が感じられて不快ではなかった。共に働いた時間の関係性が見えて羨ましいほどだ。 翌日は早朝からレンタカーで各地を回るという二人が「北嶋さんまだぜんぜん飲んでないし、どうぞ残って下さい」と引上げた。予期しない展開で誕生日の約束を果たせる。
おめでとうと言うと「忘れてて、さっき思い出したんでしょ」と言い当てられた。亜希が言う。 「どこかで聞いたんですが、誕生日は本人への祝いの日ではなく、実は感謝の日なんですって。自分を世に産み出してくれた母への・・・。亡くなった母には、普通ではない形で私を産んだことへの感謝を一度も言えなかったので、最近は毎年それをこの日に想うことにしてます」 いつか「母の轍は踏むまいと思って来たんです」と聞かされたし、先日ヒロちゃんが亜希誕生にまつわる人間関係を語るのを聞いた。今その詳細を訊こうとは思わない。 「姉や兄とは、父親が違うんです」 いろいろ想像したが、なお黙っていた。どうであれ、亜希の母親が亜希を産むことにした経過とその後の辛酸は尋常ではなかっただろう。今、亜希が感謝を想えるのなら、その心情が向かう先に在るものが母性というものの原点なのかもしれないと思う。裕一郎は、ユウくんの母親美枝子のことを考えていた。 そして、何故だろう『身捨つるほどの』と心つぶやいていた。 「この泡盛、しらゆり、母親が好きだったんです」 テーブルに控えめにしかし堂々と立っている泡盛の瓶を眺め亜希がポツリと言う。 「誕生日ですからこれ呑んでるんです。母が好きだったこれを・・・」 乾杯を繰り返し、近々黒川の許を去ることを伝えると、亜希も夏が過ぎれば以前居た団体に戻ると告げた。
店を出て歩き始めると、薄くなった髪のせいか落ちてくる雨を敏感に感じる。 「雨やな」 「そう? 降って来た?」 人は我が身の心身の状況によって事態把握に差があるものだ。 路地から国際通りへ出て、何処へ向かうでもなく歩いた。 「分からないんです」 「何が?」 「仕事の意味と言えば堅苦しいんですが、どうやれば身も心も震えるようなことに出遭えるのかとか、それに近いものを感じかけてもそれを上手く表現したり空回らずに行なうのは難しいなぁ・・・とか。これ、男女関係もそうでしょ?」 「黒川さんが、ぼくの人生は祭りだと言ってたんやが、祭りというのは非日常だからいつも祭りというわけには行きませんよねと突っ込んだ。あの人、祭りの終わりを納得できず駄々こねるガキみたいなところがあるやろ」 「黒川さん何て?」 「毎日が祭りであるような方法はあるんだ、やて」 「どんな方法?」 「言うてくれんかった」 「仕事に祭りを持ち込まれては、周りが迷惑でしょうね。男女関係も・・・」 「迷惑かけずに、身も心も震えたいよな・・・」 「北嶋さん、大阪へ帰ったらどうなさるの? 仕事」 「あ、降って来たね。あかん、強うなるでこれ。仕事? 何とかなるよ」 人波も絶えて閉じた通りの店先軒に雨宿りするように立ち止まると、すぐに本降りになった。 「松下さん、後輩が泊まってる宿に泊るの?どういう予定?」 「そのつもりだったけど、彼女ら誤解して気遣ったみたい。面倒くさいからそのまま流れに乗ってやった」 「黒川邸に来る?」 「大空さんから明日はオープン前日だから行くように言われてます。ちょうどいいけど、今夜は朝までお酒でもお茶でもいいですよ。雨宿り?」 「了解」 雨の中を歩くにはちょっと遠いが、まあ近いバーに濡れて駆け込んだ。