交友通信録: あるサマー・キャンプ
あるサマー・キャンプ【品川宿急襲三人娘(元)からお誘い 第二弾】
身内の13回忌に合わせて帰阪した。すると、去る五月「福島の子どもたちを放射能から守る会」設立集会からの帰路、品川宿を急襲して一泊、翌日文科省・厚労省交渉して帰って行った三人の女性(http://www.yasumaroh.com/?p=12075)から、「あんたの仕事も用意してあるから、参加しなはれ」と、某取組に誘われた(半ば強引に)。それは、 *屋外プールに入れない福島の子供たちにプールを *子どもたち(大人にも)に自然環境下の遊びを *移住を考えている人にきっかけを *この猛暑下、ひと時の憩いを *福島の親子たちと交流を と、企画された「福島の子どもたちを放射能から守る会・関西」という団体のサマー・キャンプだった。 キャンプ地は吹田市自然体験交流センターという、「千里ニュータウン隣接地に、こんな自然に囲まれたええとこがあったんかい?」と思わせる素晴らしい施設だった。プールもバッチリ。 教師をしている息子とその妻も、その三人の女性に誘われ、プールでの監視要員・子どもたちの遊びや探検ごっこの誘導員として参加していて驚き…。 品川ヤスマロ君はポリープ切除(イボを取る程度の何と言うこと無い手術)直後だったが、参加させてもらい、ウエルカム・バーベキュー・パーティーで「焼きそば」作りを仰せつかり、ひと汗流した次第。
遠路はるばる福島などからやって来た親子の話は、それぞれ切実で、すでに移住先を決定し転職も決めた人、検討中の人、単身残り家族バラバラの人・・・。 進学・転校・仕事・転職・高齢の親・生まれ育った「地元」への愛着を越えた歴史など、様々な生活にまつわる要素に包囲されて、容易に基盤を変更する節目など確定できないのだ。当然だ。 放射能に晒されながら、「動きたい動けない」日々、正確な情報の錯綜・国や行政の「追及されて追いかけて出す情報と対策」に翻弄される、物心の困難・苛立ち・無力感…。 けれど何とかしたいという気力・焦燥。 屋外で遊べないという「異常」が、「当たり前」となり、それに慣れて行く怖さ。 異論を吐けば、地域によっては「変わり者」扱いされてしまい、「守る会・関西」の人も、街で職場でご近所で「そんな小さな取組が何になるんだ?」と言われるらしいが、そこに「戦時下」のような、変わらぬこの国の風土・人心が見えて哀しい。 けれど、人々は知っている。福島の小さな集まりが、五月「守る会」の立上げを果たし、地元行政との国との交渉を経て、20ミリシーベルト問題の撤回・除染作業の開始と拡大・全国に実態を知らせた経緯を。国会での数々の参考人意見・証言を引き出したことを。 「何になるんだ?」ではなく、事実は逆で、「何になるんだ?と言っていて、何になるんだ?」なのだということを…。 企画し実施した女性たちは、何になるんだと言われるまでもなく、自分たちの非力・無力を噛み締めてもいる。福島から参加した人々の生の声を聞けば聞くほど、その思いは増幅もする。けれども、けれども、けれども、・・・ であろう。 事態は続いて行き拡大するのだから…。 菅降ろしに「原子力ムラ」の思惑が見え隠れすると言われているが、政治屋と産・原・報・学の「複合体」の思惑を覆すのは、己の非力と輪の形成の困難を痛感しつつ歩を進める人々の、「何になるんだ?」に怯まない発言と行動、その持続だと思う。
プールに入れない、野外で遊べない、日夜**シーベルトを浴び続ける児童。一時帰宅禁止区域・警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域とされる地域と、その範囲外でもホットスポットと言われる地域に住む全ての児童の疎開を即刻実施すべしと思う。
福島などからの参加者、主催の方々、ご苦労様というより「ありがとう!」です。