交遊通信録: 地方議員の「こころざし」
こころざし
先月末、旧友H氏の訪問を受けた。脱原発を目指す地方議会議員の会(正式名称は失念した)の立上げ総会だという。 大学時代以来の友人で、関西の地方議会議員を4~5期している。沖縄平和行進に「村」の若者を多数連れて行くとか、議会で在日詩人の詩を朗読するとか、市の平和事業として公共施設の正面庭に某彫刻家の彫塑を誘致するとか、中々の奮闘振りを常々聞き及んでいた。 有楽町と新橋の間のガード下「ホルモン屋」で一杯となった。酒が進み、当然、福島原発、東日本大震災を巡る話となった。 話が進み、H氏は言うのだ。「自分は、差別の問題、雇用形態の問題、人権の問題、安保の問題、沖縄の問題、九条の問題・・・、それぞれ関わり・提起し、動きもした。けれど脱原発を想い動かねば・・・と思いながらなおざりにして来たのではなかったか?」 「脱原発を 語り・訴え・出来る事はした。しかし、巨大な現実・動かしがたいエネルギー政策を前に、まぁ当分無理かな、と自分と自分の動きに制限を加えはしなかったか?」と。 ただちには、現実的功奏に至らないのだという「訳知り」の「いやらしさ」が、自分の言動を差配しては来なかったか? と悔いるのだ。しつこく・激しく繰り返して語った。 今回の福島の事態・・・それは多くの「勝敗は別にして『答』が見える課題、政治スローガンに要約できるテーマ」に汲々として来た「オレら」に、議員をしているとはどういうことなのかを問うている、と言うのだ。 地方議会議員(かつては、大酒のみにして、事あれば肉体的物理的実力行使もいとわわないバカモノ)の彼にして、何とも学生のような(失礼!)、新人議員のような話を聞かせてもらった。
H氏よ、貴方の様な地方議会議員がいる限り、地方議会に意味があり、貴方の存在に意味がある。 数少ない、何かある度にぼくに意見を求めてくれる友人の存在に、我が残された時間の使い方を考えさせられた一夜だった。 新橋ガード下、久しぶりに「痛飲」した。翌日から(本日に至るまで)、朝起きると全身「蕁麻疹」。市販薬を飲むと数時間で引くし、激しく痒いのではない。ただ、一向に治まらない。 昔(1970)、一度よく似た症状に陥ったことがある。「蕁麻疹」・・・、それは「知恵熱」のようなものだろうか・・・?