Archive for 4月, 2011

歌「100語検索」  21、 <季節>

季節。

これまで 当「100語検索」に登場したのは、                                                                                                1~10: 川、空、夜、時、遠、時-2、砂、雨、風、港。  11~20: 夢、人生、道、手紙、愛、愛-2、忘、恋、別、友。 でした。                                                                         さて、本日のお題は、<季節>。                                                                                                                                                                                                                                      四月が終わります。桜は、関西でも東京でもとうに散りました。けれど、東北では今満開のところさえあるのです。

お前が歓喜に咽んだ日、                                                                                                                お前が再び起ち上がれないほど打ちのめされた日、                                                                                                                                お前が全てを失い総てを手にした日、                                                                                                        お前が身に憎しみを刻んだ日、お前が赦す心を知った日、                                                                     お前が初めて心から人に感謝できた日、                                                                                              それがぜんぶ お前の季節だ。

                                                                                                        

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今次震災が、その人間の、人々の、それぞれに固有の、季節を奪い去った。                                                              東北の被災地に再び人々の季節が降り注ぐことを祈ります。

『かもめが翔んだ日』 http://www.youtube.com/watch?v=oCZCfba2JdA 渡辺真知子                                                                                                                    『季節の中で』 http://www.youtube.com/watch?v=ua4UWwHicvA&feature=related 松山千春                                                                                                                    『冬を待つ季節』 -削除されてありません。-中島みゆき                                                                                                                          『太陽がくれた季節』 http://www.youtube.com/watch?v=ngHEXM3fFD0 青い三角定規                                                                                                             『恋の季節』 http://www.youtube.com/watch?v=gnNECvqGiV4 ピンキーとキラーズ                                                                                    『美・サイレント』http://www.youtube.com/watch?v=Jx4sYDN1tn4 山口百恵                                                                                        『ロード~第二章』 http://www.youtube.com/watch?v=UIh6Wpx4kOk 虎舞竜                                                                             『春なのに』 http://www.youtube.com/watch?v=_REdla-_YHg 中島みゆき                                                                                                 『都会に雨が降る頃』 http://www.youtube.com/watch?v=m8uFlaz5u0E 浅川マキ                                                                            『面影橋から』 http://www.youtube.com/watch?v=yYFZvwHiiBQ&feature=related 及川恒平                                                                                                                  『なごり雪』 http://www.youtube.com/watch?v=5FkYswllnLc 伊勢正三                                                                                                   『君のひとみは10000ボルト』 http://www.youtube.com/watch?v=O7y4-G6bywc 山口百恵+アリス                                                                                                                                                            『哀愁のカサブランカ』 http://www.youtube.com/watch?v=IHM2145in1o&feature=related 郷ひろみ                                                                                                                                                                     『春夏秋冬』 http://www.youtube.com/watch?v=ckhTGPx8QHE 泉谷しげる

連載 54: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (10)

五、キムパ⑩

 高速艇の喧しいエンジン音で、他の乗客には聞こえないと踏んだのか、黒川が耳元に大きな声で語りかけて来た。                                                                                                             渡嘉久志の海は美しかったねえ。君も、渡嘉敷島と座間味島での集団自決と呼ばれている強制集団死を知っているよね。慶良間の海は憶えていてもあんなに美しく黙っている。本島にもあったんだが・・・。同じ慶良間諸島でも日本軍が駐留していない島では起きていない。かなり以前、有名な女性作家が軍による強制と言うのは疑わしいという本を出したのも知っているよね。軍の命令があった無かった、名指しされた軍人が命令を発した事実ありや無しやで、証言などをかき集めて言い合っている。                                                                                                                    「ええ、聞きかじってはいます」                                                                                                                    ぼくら海軍少年航空兵の生き残りに言わせれば、その双方の証言よりも、軍命令はなかったと言いたい人々の目的や、その女性作家の心情が気になるね。崇高な尊厳ある殉死だと言っているそうじゃないか。ローマ軍に包囲されたユダヤの城砦の軍民の殉死自決の故事を、度々賛美してるんだってね。沖縄の集団死は軍人じゃないんだ、女性作家は島民に崇高な殉死と言う自分の美学を代行させたいのかね。。                                                                                                                  捕虜になれば惨い目に合わされると教え、お国の為に死ぬのだと教え、民間人が軍の手榴弾を何らかの方法で手に入れる。極限状態で兵士が命令やそれに準ずる発言をするのはよく解かる。ぼくは、十七歳でもちろん志願して少年航空兵になったんだ。兵の心情も、長崎で悲惨な死を遂げた人々の無念もよく理解しているつもりだ。甘いロマンじゃないんだ。終戦時女学生だったその作家の出来なかった殉死を被せる相手は、自分自身か日本軍にしなさいって言いたい。                                                                                                      もっともぼくに言わせりゃ、君らの世代の左翼にも、自分たちがヤマトで果たせない想いを沖縄に代行さようというような心理がないかねと・・・。沖縄へ来たときに言うことすることを、自分の土俵でヤマトでしているのならいいんだが・・・。いずれにしても、沖縄に被せるのは支配者根性だよ。                                                                               ぼくは、彼女より五歳年長だがもう少しは視て来たぞ。ぼくの遺言だと思って聞きなさい。                                                                                                               敗戦直後の先輩らの行動、徹底抗戦を叫んで決起しようとしていた先輩を目の前で見ているんだ。呼びかけに応じて厚木だか岩国だかへ向かうと息巻いていた。ぼくは、長崎が壊滅と聞いていたので、すぐ故郷へ向かったがね・・・。黒川はフェリーが泊に着くまで語り続けた。                                                                                                                                                      タロウの話、千利休の話、正否はともかく倭国誇大史、もうひとつ戦争観、これはまともと言うかしっかりしていて揺らぐことなく明晰だ。奇妙なジジイだ。

オバサンの食堂で食事しているユウくんを迎えに行き、オバサンにキムパを二本差し上げ、三人で手を繋いで坂道を歩いた。                                                                                                                                        「ひろし、お前の言う通りだったよ。あのお姉さんは沖縄に居たよ。渡嘉敷島に居たよ。仕事で豊見城を通ったらしい。園の近くで見たと言ってたのに信じなかったチチが悪い。許してくれ」                                                                                                                              「いいって、いいって。許してあげるよ。あの姉さんの名前は何だったかな」                                                                                  「アキさん」                                                                                                                                                                         「ふ~ん、アキさん・・・か。ぼくは園にユキちゃんという友達がいるよ。北嶋さんはアキさんが好きだから、アキさんが居てよかったね」                                                                                                                             恋している者にだけ、見える世界があるのだ。                                                                                                                                                 「そうやな」と笑って返すと、黒川が「そうら!それが本音だろ。放っておくと大空に取られるぞ」と煽った。                                                                                                                    ユウくんが、今そのユキちゃんが大切なのだと言うことも、行き帰りのバスでいっしょなのだということも想像出来た。たぶん、それで間違いないだろう。俺には今、それが見えるのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            その夜、裕一郎は少年のような夢を見た。亜希が工房のキッチンでキムパを作っている。港で後ろ姿のエプロンの隙間に垣間見た、焼きついている肌が拡大して浮ぶ。女性の人格や抱える世界への共感と、性的な欲望の境目が、六十を前にしてまだ解からない。                                                                                          ガキのようだな・・・と平静に客観的に己を見つめようと思いながら、眼が覚めても夢は着いて来た。裕一郎はふと、その姿が話に聞いた亜希の母親のようだと思う。すると、久しく会っていない妻のような気がして来るのだった。そう、裕一郎の妻はよく、仲間から教えてもらったと言うチヂミを作ったのだ。

(五章 キムパ 終。 次回より 六章 ゴーヤ弁当 )

通信録: 孫正義氏記者会見  企業家の公理への可能性

孫正義氏に見る経営者・企業家の社会的役割の可能性。 

-彼の覚悟には、原発に物言わぬ**労働組合を万余重ねても届きはしない-

古い女友達がソフトバンクの主宰者、孫正義氏の自由報道会議主催になる「覚悟」の記者会見映像を送って来た。

 http://www.ustream.tv/recorded/14195781  【是非とも開いて、見て欲しい!】 

約90分と少々長いのだが、時間を忘れてジックリと見聞き出来た。原発の何たるかを説いている。                                                  かつ、エネルギー政策に関する代替案を提言している。                                                                                                                         発言の骨子は、次の通り。                                                                                                                                     そもそも福島はIAEAからも指摘されていた「老朽」原発。                                                                                                                      世界の廃炉年限は平均22年。                                                                                                                               世界の原発建設ラッシュは終っている。原発依存度は減少している。                                                                                                                                 日本だけが、なおも作り続けようとしている。                                                                                                                                                                                                            30年で総点検、その結果により「さらに10年OK」なる国内基準の、10年と言う長期の根拠を問う! 中性子を浴び続けた格納容器の鋼鈑は20年ではモロくなっており、30年は耐用年数限界。福島は40年。                                                                                                                                             原子力がコスト安という神話は事実か? 誰が、どの積算で言っているのか? 事故対応コスト、安全対策コスト、廃炉費用は含まれているか?                                                                                                                                太陽光発電のコストが、2010年の次点ですでに逆転して原子力より安くなったことをご存知か?                                                                                                                                       誰が、何故、原子力が安いと「言い続け」て来たか。電力会社の「私利」が、何故「政・財・官・学・報道・労」をまとめられたのか? 電事連に飲み込まれた自民党、電気労連・連合影響下の民主党という構造的「翼賛」が原発異論を封じ込めて来たのではないか?                                                                                                                                                                                      太陽光・地熱・風力・潮力・太陽熱・・・あらゆる可能性への研究・開発が、原子力偏重・資金集中で阻害去れて来たのではないか? 現に、スタート時にせっかく世界トップファイブに4社も入っていた、日本のソーラーパネルメーカーが、今やトップテンにシャープ1社だ。誰かが妨害している、誰だ?                                                                                                                      原発を、今一気に全廃出来ないとしても、新たには作らない・54基をひとつひとつ廃炉にして行き、急いで代替エネルギー開発に集中するべき。                                                                                                                                  「自然エネルギー財団」を設立する。                                                                                                                           東北に、復興・雇用機会創出も込めて「東日本ソーラー・ベルト構想」を実現すべし。                                                                                                                                                                             我々は原発情報のウソ(安全、コスト安・他)に「洗脳」されて来た。だが、実際を知ったのだ。知った以上、何もしないのは、子・孫・この国への背信行為だと思う。妨害・バッシングは覚悟している。企業家の責務を痛感するのだ。 エネルギー政策の転換への覚悟 を政治の求め、そのことへのいささかの不自由・一時通過する価格高の甘受を人々に求めたい。                                                                                                                                           以上。

戦後、例えばホンダの本田宗一郎、ソニーの盛田昭夫・井深大、リコーの市村清など、私企業の私利を超えて、いわば公理・道理に生きた企業創業者がいた。政治家にも石橋湛山や宇都宮徳馬、司法には砂川裁判の伊達裁判官など、この国の、一面では公理・道理を「思想」「政治的立場」を超えて実践した人物がいた。                                                                                                                                                                                                                   今、原発「戦後」ではなく「戦中」だが、この戦争に巨大企業グループと自身の命運をも賭けて発言・行動する孫正義氏に、戦後の公理・道理に生きた創業者を見る思いだ。

私事ながら、義父(妻の父:故人)は、山陰の小都市で小さな企業(衣料商社)の番頭で、もちろん左翼ではないのだが、新事業を起業(商社機能だけでは先行き危ういと、生産工場を提案・準備・実施に奔走して立ち上げる。街から離れた郡部過疎村に雇用の場を創出した一面もあった。当時その地には珍しい工場内保育所もあった)したり影の経営者役・参謀役に徹した人生を終えた。没後、義父が創設した生産工場は、残念なことに受注先=メーカーに乗っ取られることになる。                                                                        七〇年当時、娘と結婚すると挨拶にやって来た「過激派(?)」の最後尾のそのまたオッカケ程度の軽挙妄動の公判中の若造に、不満と不安を隠してこう言った。                                                                                                                         「ヤスマロ君、左翼でもなんでもいいのだ。ただ『こころざし』のない者はいただけない。志があればこの世でことを成せるかどうかに拘わらず、人生を全うできる。要は志だ」と。若き日の戦後の物資乏しき混乱期に、賀川豊彦の鞄持ちをしていたという義父の個人史を、没後数年の後に知った。                                                                                                            義父の言葉を思い出させる孫正義氏の会見だった。  ちなみに義父の名は【正宜】で、字は違うが「マサヨシ」であった。

連載 53: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (9)

五、キムパ⑨

「亜希さん、いいかね、ぼくのギャラリーのオープンは見届けるんですよ。配達で近くへ来たらうちに立ち寄りなさい。歓迎するよ。裕一郎君とも積もる話をしなさい。ひろしにも会ってやってくれたまえ」                                                                                                        「別に積もってませんよ。そうだ、忘れるところでした。これ、ユウくんに」                                                                                                                                                                                                                                             亜希はポリ容器に入れたキムパを差し出した。深底容器に入ったスープも付いている。                                                                                                                                           「車を運転しているところを私だと分かるってスゴイ、感激です。近いうちに行くからねとお伝え下さい」                                                                                                                                                                裕一郎は桟橋へ歩きながら訊いてみた。                                                                                                                           「松下さん、この先もここに居るの?」                                                                                                                     「ふらりとこの島に来て、唐突にあそこに入ったんですよ。この連休と夏は越えないことには悪いと思ってます」                                                                                                                                                    「今も前職に戻りたいと?・・・」                                                                                                                                                                                    「安くて良いものだと評判の日本の衣料品直売メーカーが、私が関わっていた国で縫製工場を間もなく大規模に稼動させると、元同僚から聞きました。タイ・ヴェトナム・インドネシアなどから、とうとう最貧国と言われたあの国にシフトです。賃金コストが安上がりなんでしょ。都市部では、旧来の「海外協力」では通用しない現実が始まっています。そこへ「日本的」生産方式が入って行くことに、少年少女のあの澄んだ瞳を思い浮かべて、あそこだけは昔見たあの国でずっと居て欲しいというのは傲慢だとも思います。下手をすれば、第三世界は第三世界のままでいなさい、と言っている様なことですし。発展し、豊かになり、女性は<家>や家事労働から解放されるべきだと思います。先進国並に豊かになる権利は等しくあるはずです。こう言うとグローバリズム推進派みたいに聞こえるでしょ? それと反対のことを言ってるんですけど・・・」                                                                                                                                                 「ぼくもそう思う。グローバリズムこそが、永遠の第三世界を必要としている」                                                                                                            「あの国では、いや日本もですけど、結局は労働問題だと思います。日本の生産工場自体か、そうでなくてもその下請の素材工場では女工哀史だと思います」                                                                                                                                                        「大空さんは、どう言ってるの?」                                                                                                                                    「えっ、何が?」                                                                                                                                         「いや、夏以降に去るだろうという君の方針」                                                                                                                                                                    「卸し用の品物を充分作ってくれたし、うちのことは気にしなくていいとは言ってくれてますけど」                                                                                                  聞き耳を立てていたに違いない黒川が後ろから茶化した。                                                                                           「亜希さん、ずっと沖縄に居たらいいよ。そうだ、大空と結婚しちゃえよ」                                                                                                          亜希が振り返って返した。                                                                                                                                                                     「黒川さん、何処に居るのか、結婚するかしないか、それが一番の問題なのではない、というのが黒川じねん八十年の結論じゃないんですか? すみません、大先輩に失礼なこと言いました」                                                                                     「いいんだよ。その通りだ」                                                                                                                                 「結婚。祖母・母、周りの先輩・・・、うーん結婚かあ・・・」                                                                                                                       「ガハハハ、君はシャープだねえ。さすが裕一郎君が沖縄まで追い掛けてきた女性だ」                                                                                                         「違いますって」二人が同時に言った。                                                                                                           桟橋の改札が見えて来た。「今日は私が見送りですね」と亜希が微笑んだ。秋の終電の改札口で酔った亜希が冗談で言ったセリフが蘇える。「北嶋さんにしといたらよかった」・・・。                                                                                                        作業着に作業エプロンのままの亜希が眩しい。                                                                                                                                                    「松下さん、会社の部下たち宛に出した絵葉書見せてもろうたよ」                                                                                                               「ええーっ、困るなあ。あれは辞めてすぐの時期の弾みです」                                                                                                                        「なら、現在の心境をまた違う歌からパロって聞かせてや」                                                                                               「出来ませんよ、感情と精神が突っ込んでないと・・・。今は、あの替歌のところで立ち止まっているけど冷静な凪状態というか、私にはけっこうジンワリと味わい深い日々ですよ」                                                                                                                                                                                                                             出航まで数分あったのだが、改札の手前でじゃあここでと言って、亜希は車へ戻って行った。                                                                                   「黒川さんの家に遊びに来いよ」と背中に声を掛けた。亜希は振り返らずに手を振っていた。裕一郎は、決して予期せざるとは言いがたい衝動が込み上げるのを自覚してその後姿を見つめた。その背中の作業エプロンのボタンが外れて僅かに覗いている亜希の肌が、刺すように鮮烈に迫って来る 。「欲しい」・・・、そう思ったことも否定しはしない。                                                                                                                                          高速艇の座席に座ると黒川が肩を叩いた。                                                                                           「なかなかいい娘だ。あの娘はともかく、大空は惚れてるね。そう思わんかね」                                                                  「どうですかね・・・」                                                                                                                                               『身捨つるほどの恋路はありや』・・・。裕一郎は、あの替え歌を思い浮かべていた。

 

  

つぶやき: -ブログ再開-  原発に戦争を思う  

震災・原発に戦争を見る。

少しブログが滞り、心配した数人の方からメールをもらった。有難いことです。当方「たそがれ」の「ろくでなし」、今後もこうしたことは度々あると思います。前回のコメントが3月14日なので、約40日間の投稿ストップ状態。いくつか理由はあるがいずれも些細な私事雑事。                                                                                                                                                   ストックを載せれば維持できるがそれさえおぼつかぬ精神状態。実は、・・・                                                                         パソコンのデスクトップがチラついて正視できない(遠近両用眼鏡はパソコンの半端な距離には不適。中近両用眼鏡も購入することにした)。                                                                                                 ある雑念(煩悩)にさいなまれパニック(我ながら「我を失う」に近い事態であったが、所詮は一人相撲)。                                                                                    震災・原発崩壊に言葉を失う(全てを喪って、なお生きる人々への畏敬と、翻ってそれができないだろう自己への嫌悪)(原発事変に戦争を見る)。                                                                                                                                                    阪神淡路大震災(95年)を遠因として坂を転げ落ちるように破産(98年)に向かった自己体験(どの企業もそれを克服して企業維持したのだ!)の、毎月末の恐怖の資金繰りと断末魔期約二年間の精神状態が蘇えって来ての落ち込み。                                                                                                                  震災に関連して、都内オフィス軽改修工事で繁忙(まぁ、超多忙だった)                                                                                         -これらから、ブログ更新ができない有り様。情けない。軽い「病い」だったのだろうか(苦笑)?-                            

福島の事態から、ぼくは戦争を想起していた。                                                                                                     それを推進した者の手前勝手な理屈と楽観論、「だろう」の積み重ね。その為の総動員態勢。反対し阻止しようとした者の無力感。報道・政財官学挙げた推進論。事故を機に掌を返す見苦しい論説。                                                                                                                                                     余りにも甚大な被災・被害状況に、責任論・「何故なのか」「元々の無理」を問う声はかき消されがちだ。                                                                                                                       ジャーナリズムの、「政権批判」によって自己の「翼賛体質」を覆い隠す体質。例えば、朝日は「本紙の調査により、各原発は震災等により8時間程度の送電不可への対応はあるが、今回のように数週間送電停止には対処できないことが判明した」と自画自賛していても、これまでそうした報道をして来なかったことへの「自責」の論などない。がそんなことは原発反対派は早くから指摘している。地震に関しても、広瀬隆氏などが、ここ10年が地震激発期に来ている、と大型地震の予告とそれへの原発の無防備を早くから訴え、ちょうど一年前の本にして発表していた。共産党の吉井議員は、福島に関して、地震・津波を想定した全く同じ事態を国会質問していた。                                                                                       想定外などではないのだ! マグチュードを恣意的にアップして想定外を演出しても、実は全て想定出来ていたのだ。原発は、核燃料の最終処理方法、廃炉問題、どの観点からもダメ。新たには作らない、順次廃炉する、エネルギー政策の転換を宣言するしかない。民主党政権、どうする。

被災地の、自治体職員・消防・医師・教員・自衛隊・・・、よくやっておられる。この国の教員や公務員の本質的「質」の高さを垣間見る日々です。                                                                                         これらの「誠意」と「善意」と「無私の勤勉」が、どうか「戦争」へと動員されることのないようにと祈り、そして行動したい。ぼくが40日なにも出来なかった類のひ弱な精神では、戦争を繰り返すことになるのだろう。                                                                                                                                                                                             被災地の人々の惨状と立ち上がる気力を見て、「ワシや、これではいかん」とつぶやいた40日でした。                                                                                                                                                        帰阪していて参加した4月10日の広瀬隆氏の講演会は追加開催・それでも立ち見満席となり、中ノ島反原発集会には(4月16日)に3000人が集まった。帰京していて参加できた、芝公選(今日24日)には4500人が結集した。力をもらった。デモは、まずは何よりも己への呼びかけなのだ。                                                                                  おりしも、最高裁では大江岩波裁判に最終結論(4月21日、原告敗訴の「上告棄却」)が出た。己と世を公理・道理に向かわせたい。向かっていると信じたい。                                                                                                                それにしても、今に始まったことではないが大労組よ何をしている。企業が原発を含む「いま在る」体制・諸枠組みの中に在り、その変更が少なからず自身の「基盤」を危うくするその場面に、何も出来ないことを「しがらみ」などと片付けて、容認するなら、一体何の為の労働運動か?                                                                                                             人々にとって大切なこと重要な課題とは、そしてそれへの異論発信・意義申立て・行動とは、元々己が「基盤」を危うくしてしまう要素にも充ちているのだ。安保・沖縄・雇用形態・・・、どれもみな。そうした意味で原発は「戦争のように」準備され・扇動され・実施され・報道され・行き渡り・経済と生産を支配し・大労組企業の存在前提となり・人々の「基盤」に絡み着いている。日本の大企業労働組合は戦争を推進するに違いない、と思うのだ。                

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