ほろ酔い通信録: 年末・年始 あれこれ

年末から帰阪している。記憶に残る年末・年始となりそうだ。                                                                                                                                                                                                        

年末:                                                                                                                                                                                          女房の呼掛けで、息子三人(調理人・教員)の妻の親が、「**夫妻の親の会」(仮称)に集まって忘年会をした。                                                                                                                いささか珍しい集いかもしれないが、茨城・奈良・大阪から娘宅訪問を兼ね駆けつけての参集でもあった。                                                                                                                                                                                                                                                                           娘の夫の両親の呼びかけ、その一人は自称「たそがれ野郎」・職業不詳の怪しげな男。その男の息子の女房の親という縁とは言え、                                                                                                                                                              よくぞ参集して下さったものよ、 と感謝の気持ちでいっぱいだ。                                                                                                                                                                                                                     同世代が七人、それぞれ初対面(我が夫婦を除いて)でもあったが、すぐに打ち解けて呑んで食って、それはそれは楽しい会とはなった。                                                                                                                                     盛り上がった勢いで「毎年は無理でも、二年に一度は集まろう」との提案もあり、当方が大社長・高級官僚ではこうは行かないよな、との身勝手な言い分に、女房から「何を開き直った自慢をしとるんや? 老年フリーター君!」と早くも当然の突っ込みあり。                                                                                                                                                                                                                             ともあれ、息子とその妻の組合せの妙への「なるほど」感が倍化した忘年会だった。

年始:                                                                                                                                                    元日、子や孫が我がボロ家に集まり、孫の成長を喜ぶよりは、我が年齢を再確認させられたことだった。                                                                                                                                                                                                           三歳女児の言動に、何故か書いている小説モドキに登場させた女性たちのことばかり想っていた。                                                                                                                                                                                                                      偏差値・体力・職業・収入・キャリア・・・そんなことはどうでもいい(とは言わないが、そして基礎的な「人間力」を身に付けよと強く思うが)、                                                                           それよりも、孫よ!どうか「賢い、いい女」になってくれ! ますます若者が生きにくい社会ではあるけれど、顧みられなくなった価値、浮世偏差値では計れない価値、を生きる「おんな」 になってくれ!                                                                 爺はいつでも応援するぞ・・・とつぶやいていた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

**始め:                                                                                                                                小説モドキ『じねん傘寿の祭り』のこと。                                                                                                                                                              小説モドキで、間もなく(次章で)、裕一郎は亜希と再会する。                                                                                                                                          再会は本島の玉城方面の海岸沿いだったのだが、粗原稿に目を通していた親しい女性読者から、「再会シーンは、是非離島にして欲しいわ」との要望通信があって、簡単に「ええですよ」と返した。その読者は、青い空、澄んだ海を背景にした再会を期待したのか・・・。                                                                                                                                                                                         ちょい書換え変更すれば済むだろうと、ぼく自身嵩をくくっていた。                                                                                                                                                         黒川にはダウン症の息子ユウくんが居り、日帰往復可能な島でないと、辻褄が合わない。しかも、設定されている経済状態からも、飛行機で石垣島日帰り・・・では不自然なのだ。日帰可能な離島で、海が綺麗で、ヒロインが居るに相応しい景色で・・・と難しい。                                                                                                                                                                               美しい慶良間の海を思い付き、「あのこと」を気にしつつ、つい渡嘉敷島にしてしまった。高速艇で那覇から35分だ。船の出航時刻表、ヒロインは何をして食っているのか、景色、土地勘・・・、グーグルアースで調べたり、観光案内HPを繰ったり、と苦労した。小説モドキに、慶良間諸島の「強制集団死」を半端にアレコレ書くつもりはもちろん無いがより知っておくべきだと、知ってるつもり事項を紐解いていろいろ読んでいた。  で、つくづく、「強制ではない」「大義に殉じた尊い自決だ」と主張する某女性作家の幼い日からの「美学(?)」とその処理方法にへばり付き、あまねく国民に行き渡っている「宗主国性」を想った。(次頁へ続く)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             登場人物の再会場面を何処にするか・・・それが、こんなに大仕事だとは思わなかった。渡嘉敷島に変更したばっかりに、いや「したおかげで」、その女性作家の倒錯の意味に出遭い考えることも出来た訳だ。                                                                                                                                                                                                    物語を知っているその読者が、たそがれ野郎が近い離島・慶良間方面を選ぶだろうと踏んで、「離島にして欲しいわ」と要望して、「強制集団死」を熟考させようとしたのだと思えてならない。

                                                                                                                                                         

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