連載 40: 『じねん 傘寿の祭り』  四、 じゆうポン酢 (7)

四、じゆうポン酢 ⑦

ねんと、ゆういちろうで作ったから、名前はじゆうポン酢がいいよ。」                                                                                                  昔、世の中には、二人の名前が冠されたカンパニーが沢山あった。きっとこういう事態を解決する智恵だったのだ。その智恵を、ユウくんはチチとハハの溝を受け止める智恵として採用して来たに違いない。そう思うと、送別会で「沖縄に行ったらすぐに出してね」とゲーム機のことを黒川に言っていたのは、実はチチにではなくハハに言ったのだと思えて来るのだった。ハハ、もし沖縄行きがどうしても嫌なら、一時ぼくがチチを看てもいいんだよ、と。                                                                                                        二人はある羞恥を抱いて急に押し黙り、無言で食べた。黒川が、沈黙に耐えかねてか小声で言った。                                                              「この煮魚、実に美味いねぇ。ゴボウの具合がいい。硬すぎず柔らか過ぎず。うん、最高だ」                                                                                                                      「そうですか? そんなに褒められたら、また作りたくなりますね」                                                                                                                                          「頼むよ。楽しみだねえ」                                                                                                               あ~ぁ、一件落着だ。

「裕一郎君。来なさい」                                                                                                                                                                             裕一郎は、自室で「大皿の細川」以外の小口・中口の回収を考え、住所録・勤務先などを一覧にしていた。黒川の声に「ハ~イ」と返事して、隣室に向かうと親子でテレビの争奪戦をしている。ユウくんの言い分はもうすぐゲームは終るからちょっと待って、黒川の言い分は、すでに三十分待っているが一向に終る気配がないんだよ。黒川が裕一郎を呼んだのは、線繋ぎの行動を催促しているのだ。顔が「君が、食後すぐに線を繋がないからだ」と暗に責めていた。                                                                                                                                                   屋上に上りアンテナに接続、ベランダの波板屋根に投げ落とし、支柱を二度巻いて降り、ベランダから部屋へ・・・。黒川は、渡したメモ通りのものを過不足なく購入していた。室内のステップルは今夜するとして、屋外の固定は明日することになる。二十分ほどで接続を完了した。                                                                                                                                         「さあ、テストしてみよう」黒川は気合が入っている。よほど、早くテレビが観たいのだ。                                                                                                                                                                                           テストさせてな、と言うとユウくんはあっさり応じた。テレビが見える状態ならユウくんだって観たくもあるのだ。切り替えると、テレビは美しく・鮮やかに映っていた。                                                                                                                                           「裕一郎君、やるじゃないか。調理人であり電気工事人。万能だね君は」                                                                                                       「その手には乗りませんよ…。アンテナ線を繋いだだけでしょ」                                                                                                                                       ユウくんが歓声を上げた。                                                                                                                                                             「キレイ! わぁ~、ドラエモンだよ」                                                                                                                                                                    しまったこれは長引くと思っていると、黒川もしばらくドラエモンを観ていた。間もなく番組は終了して、ユウくんを風呂へ誘導できた。                                                                                                                                                            「今夜、何か観たい番組があるんですか?」                                                                                                                                                                     「いや、特にないよ、早めに繋いで欲しかっただけだ」                                                                                                                                                 テレビを台ごと四五度黒川側に向けた。これで、観る位置は親子五分五分だ。

深夜、トイレに立つと、隣室の障子を通してテレビの光が廊下を薄く照らしていた。音声もかすかに聞こえる。トイレから戻って、新聞のテレビ欄を観ると、古い映画の深夜放送があった。黒川が観ているのは、これに違いない。『ここに泉あり』という今井正監督の五六年製作の映画だ。五六年と言えば、黒川は三十歳直前のはずだ。その頃観て心に触れるものがあったのだろう。                                                                                                                                                                   舞台は敗戦二年後からの数年、貧乏楽団=市民交響楽団の設立とその維持に悪戦苦闘する、楽団員とマネージャー、支える人々・・・。製作は五六年。社会は朝鮮戦争特需を経て復興を確かなモノとし、沖縄を除く「日本」は、来たる「所得倍増」の六〇年代への手前を驀進していた。比嘉がヤマトの大学へ「留学」する五九年の三年前だ。                                                                                                                                                                                                                                   裕一郎も後年、九〇年代に、高志が居たころと去った後の「(株)ワイ・トラップ」のハチャメチャ経営を見るような気分で、テレビ放映を観た。                                                                                                                                                                                                                                                                                         映画は、理想主義というよりは、五六年時点ですでにやや時代遅れだっただろう楽団員の感性を、哂うのでも過剰に讃えるのでもなく、そこに確かに在った「我ら」・協働・共助・自治とドタバタ悪戦苦闘の素人経営を、ある愛おしさを込めて等身大に描こうとしていた。                                                                                                                      ラスト・シーンで、山の分校への出張演奏会の帰り、山の上から「さよ~なら~」と呼びかける子供たちを遠くに見て楽団員たちが手を振って応える。団員が言うのだ「あの子たちは、もう二度とこんな演奏会を聴けないかもしれないな・・・」と。そこが、勘違いだと糾すのは容易い。確かに、その後社会は加速度的に発展し、機械文明・家電文化は進んだ。林業は荒廃し、子供たちは都会に出、「演奏会を聞けない」どころかロカビリーに浮かれただろう。けれど、作者と楽団員が言ったのはそんなことじゃない。「あの子たち」ではなく「俺たち」が、こうしたことに汗水流すことなど、「二度と」できない社会に向かっているの「かもしれない」、そう言ったのだ。そして・・・、「そうはさせるまい」と言ったのだ。

ふと、出演者の一人、岸恵子を想った。GHQが与えたのだといわれる婦人参政権などを超えて、与えられただけではない確かなものも掴み、戦後社会に立ち向かおうとする姿。収入や地位では計れないものの価値を生きようとする、戦後初期女性の知性を代表するような凛とした佇まい。それを感じさせてくれた。その若き日の横顔は誰かに似ていると思ったが、それが誰なのか思い付かなかった。妻か、高志の妻吉田玲子か、共に争議を闘った女性組合員か、経営時代の女性社員か、じねんの妻黒川美枝子か、ノザキの仕事で組むことの多かった元請会社の松下亜希か、その全てか・・・? そういう像を押しつけられては、相手も迷惑だろう・・・。                                                                                                                                       自分がもう少し、ユウくんが言う「じ・ゆう」方式を心から実践できていたら、仕事でも家庭でも、そして「闘い」でも、人と別れずに済んだのかもしれない。まだわずかに時間はある・・・。そう想っているうちに裕一郎は眠りに落ちていた。

 

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