連載⑪: 『じねん 傘寿の祭り』  一、チヂミ (7)

一、チヂミ ⑦

「私、この仕事に向いてないみたい。キャリアもないし、思い違いや失敗ばっかり。北嶋さんにも迷惑かけてしまい申し訳ありません。仕事の成約に汲々として、成約したらしたで安心してしまい、押さえるべきいろんなことがしょっちゅう抜けてしまうんです」                                                                                                                    裕一郎は、下心ゆえに、いやそうでもなかったのだが、キザなセリフで応えたのだ。自身が運営していた会社ではそうは出来なかったことを埋め合わせるかのように・・・。                                                                                                                     「思い違いや失敗の数こそが、この仕事の蓄積、つまりキャリアです。もし、ぼくに、貴女より多く持っているものがあるとしたら、それは思い違いと失敗の数だけ。心配無用。松下さん、貴女は今日、確実にひとつのキャリアを積んだということです」                                                                                                                                亜希の瞳が潤んでいるように見えた。まあ、よくも真顔でこんな歯の浮くセリフを吐けたものだと、我ながらこそばゆい。                                                                                                  亜希が声を落として言う。                                                                                                                                        「前の仕事では人間関係で躓くし、情けないです」                                                                                                「躓きもしない人間関係なんぞ、人間関係じゃない。それはただの社交でしょ」                                                                            亜希が好物ですと注文したチヂミが皿に二片残っている。亜希はそれを二片とも食べ、声を元に戻して言った。                                                                                                 「・・・ハイ、もちろんそう思うことにしてます。」                                                                                               「今の会社はええでしょう。外から見ていても、ぼくが会社経営で出来なかったことを出来ているように感じる」                                                                                                                                    「先月、同じフロアの隣の会社で自殺者が出たんです。うちはみんな、遅くなって深夜に社に戻ることも多いんですが、思い詰めた表情の彼に廊下やエレベーターで皆がよく出会いました。隣は、屋外広告から販促チラシまで幅広い広告媒体を扱う会社ですが、ムチャクチャきついノルマがあって、朝礼でミスが重なったり成績不振だったりするたった一人の人を日替わりで、全員で次々に罵り責める声が聞こえて来たりするんです。死んだ人はしょっちゅうだったそうです。ある時なんか、女性幹部が『この無能野郎!お前の言い訳は小学生以下の自己責任回避症だ。明日から小学校へ行って学び直せ!』と怒鳴る大声が、廊下にまで響いていました。震えるほど恐かったです。トイレで泣いていた彼を、うちの男性社員が直後に目撃してます。間違いなく追い詰められた自殺です。数日後の朝礼で専務が言ったんです。これは殺人だ。仕事に、命を絶たなければならないほどのことなんてない、絶対にない。追い詰められる前に、家族・友人・恋人・同僚・ぼくら、どこへでもぶちまけてくれ。それに耳を傾けられないような会社や組織に存在価値はない、って。どうか、ぼくら経営陣を殺人者にしないでくれ、って。」                                                                                                  「ふ~ん、吉田高志節やねえ」                                                                                 「?。 いい会社に来たと思ってます。一~二年で前職に戻ろうと気軽に考えていた私の計画は、もちろん仕事を舐めてると言われて当然の構えですが、それよりもこの仕事が面白くなり始めていてヤバイです。友人が、前職に復帰してしかもそこにこの仕事を活かす道、というのが弁証法だと教えてくれました。」                                                                                                                                                                      「弁証法? 今でもそんな言葉を使うんや」                                                                                               

                                                

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