連載⑩: 『じねん 傘寿の祭り』 一、 チヂミ (6)
一、 チヂミ ⑥
三年近く前、吉田高志の会社の下請ノザキに押し込んでもらって以来、亜希とは何度か組んで仕事をしたが、出会いから好感を抱いて来た。 仕事のスピード感や打てば響くような閃き、二十代にしては落ち着いた雰囲気、それとは逆に現状への違和感を湛えて遥か先を見ているような不安を宿した眼差し。 高志に「ノザキさんところに入った北嶋さんや」「偶然、学生時代の友人なんや」「顧問のようなもんや」「ヴェテランやから何でも相談したらええ」などと、今後仕事で関わりそうな一〇人近い若手中心の男女社員に紹介され、翌週の最初の案件が亜希が担当する現場だった。 当時、亜希は入社二年目になったばかり、前職は南アジア関係のNGO団体の仕事だったという。二年で辞めたそうだ。団体が関係するショップ開設で現場に出入りしていて、施工業者の高志の会社と出会い誘われて面白そうだと思い入社したという。前職を辞めた理由は聞けていないが、前職に戻りたいらしいという噂を他の社員から聞いていた。
数ヵ月後、暑い夏のある日、亜希と組んだ二つ目の現場で印象に残る出来事があった。亜希もそろそろ現場慣れして来ていた時期だ。その日も午後からもう冷房も稼動している現場に来て、シューズを履いてジーンズ・Tシャツの上に会社支給の夏用ブルゾンを羽織り、図面を手にあれこれとチェックに動いていた。職人の一人が「松下さん、えらい男前になったな」と言っていた。工事は無事終り、最後の清掃をしていた。裕一郎と亜希は、まずまずの仕上がりに満足している大工の棟梁や床工事の責任者などノザキ関係の人員も交えて、発注社長の到着を待って発注側担当者と談笑していた。 やって来た社長に別室に呼ばれた亜希がなかなか戻って来ない。嫌な予感がした。 数分後、亜希が沈んだ表情で出て来た。打合せや施工に不備があったのだろうか、別室で詰め寄られたようだ。やがて亜希はこちらへやって来て、泣き顔で言った。 「北嶋さん、すみません。出直しになりますけどやって下さい。メインの床材の品番が違ってました。どこかで、品番末尾の七と一を誤記したようです。サンプル現物を添えず、印刷カタログのカラー・コピーを切抜いて添えてた上に、その七と一はコピーでは色目的にほとんど同じで誰も気付かなかったようです。ゴメンナサイ。」 七には柄があり、一は無地だ。大いに違う。ダブル・チェックしておかないとこうなる。貼り替えは四十七㎡、安くはない。小さく短工期の現場ほど、この種の初歩的な失敗が起きやすいのだ。裕一郎にもこの種の失敗は山とある。今回、取り返しの付かない重大ミスではなかったのが不幸中の幸いだった。格安で貼り替えることとしたが、明後日には施主側手配の什器備品が搬入される。それの移動再設置には人手が要るので、緊急手配して明日中に完了しなければならない。裕一郎も早朝からの出動となるだろう。実費はそれなりに発生しても、ノザキと詰めた話をすれば、野崎氏は高志の会社との歴史と今後を考え丸く治めるに違いない。ミスはその範囲の軽傷だ。 帰路、落ち込む亜希を励まそうと現場に近いターミナル駅のガード下に誘ったのだった。