連載⑧: 『じねん 傘寿の祭り』  一、チヂミ (4)

一、チヂミ ④

総評って分かる? 労働組合というというものが、世直しへの大きな存在であり、そこでは排他的出世や能力主義という名の強いられた競争よりも、協働・共助の思想が生きている。ほとんど建前であっても、そんな神話が辛うじて生きていた最後の時代。それが、最後の総評なんやが・・・。                                        松下さんには信じられないよな、派遣・請負・パート等非正規雇用がいっぱいで、正規労働者の組合は知らん顔やもんな。当時、大阪の金属関係の労働組合は戦闘的で、吉田高志が居た会社でも永くもめていて、会社が希望退職を募り大混乱にあった。組合の説得努力にもかかわらず予想を超える希望退職者が出て、このこと自体が戦闘的と言われた労働組合とて例外ではない「神話の崩壊」の実例なんやけど、ともかく経営者の組合弱体化の目論みは功を奏し、生産ラインを維持できないほど「成果」が上がり、急遽求人するという無茶な労政だった。吉田高志は生産部門の職長で労組役員、その希望退職政策にはもちろんのこと、日頃の会社の労政にも激しく抵抗していた。                                                                           「だいたい話にはついて行ってますよ」                                                                     「君は聡明や」                                                                                                                                   「北嶋さんの、今のノザキでの雇用形態は?」                                                                                                                    「ぼくは、ひとり親方、まぁ個人事業主かな、現場単位の請負やし。実際は老年フリーターやね」                                                                                        「そうか・・・。で、あの人との再会はどんな風だったの?」                                                                                                                      左翼用語かな?労働戦線・・・。 聞いて欲しいが、まぁ社会変革へのいろんな戦線があるとして、労働組合を中心に労働現場で行なうそれを労働戦線と言うたんやな、ぼくらは。ぼくは好きな言葉やないんやけどね・・・。その労働戦線へ、それも現業部門へ大卒を高卒と詐称して進んだ者は沢山いる。吉田高志が、さっき言った学生期最後の会話で言うた「もう逢えんやろな」は、そういうことやったんやと、そこで初めて知ったんや。まぁ、篠原玲子の部屋で聞かされた話には、ある一貫性があったということやな。ぼくは営業で入社したが、人員が育つまでとしばらく生産現場に居た。彼には、慣れない仕事を教えてもらった。労働組合や労働運動という知らない世界のことも教えてもらった。やがて、会社が金属什器製造販売から木製家具・店舗などの施工業へと守備範囲を広げて、ぼくも吉田高志も現在の仕事に至っているんや。                                                                                                        「さっきの、学生期と同じような彼の選択に遭遇したという話は?」

 松下亜希は喰い付きよく聞いている。ときどきウンウンと頷いたりしている。三〇歳も違うこの女性に全て伝わっているとも思えなかったが、その頷きのタイミングは、よく理解できていますという者のそれだった。                                                    「永い経過はあるけど、まぁ当事者だけに通じるローカルな話なんで、最後だけを言うよ」                                                                           「いいですよ、最後だけで」                                                                                                               会社は本格的に組合潰しに転じ、組合幹部は退社し、吉田高志が委員長になった。自分も組合役員となった。やがて、会社が雇った実力部隊との激しい攻防があり、それでも組合潰しを果たせなかった会社は、とうとう会社そのものを葬った。全員解雇・会社破産だ。                                               組合は、即刻職場を占拠して対抗、解雇撤回・企業再開をスローガンにバリケード封鎖して職場確保・占有権を主張。                                                                                                                     「企業再開って、経営陣がもうヤ~メた!なら、そりゃ無理でしょう?」                                                                                                                    「そうとばかりは言えん。まぁ方向性というかスローガンや。痛いところ突くねぇ」                                                                                              実際は喰うや喰わず状態の中、バリケード占拠した社屋の中で会社を興し自主経営に挑んだ。吉田高志が社長だ。                                                                               五年間の職場占拠・自主経営を経て、解雇撤回・旧経営者の謝罪・解決金を得て、破産管財人と和解し職場を明け渡した。組合員は破産当初の十九名から八名になっていた。                                                                      「その時、組合解散・会社解散を強く提案した者がいた。その人物こそ、社長である吉田高志や」 

 

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