Archive for 10月, 2010
交遊通信録: 府立某高校 卒業四十四年目のクラス同窓会
府立某高校66年卒業某クラス、四十四年ぶりの同窓会で帰阪した。 どういう訳か、これまで全く同窓会をしないクラスだった。誰も言い出しっぺにならなかったからだろうか・・・。 47年・48年生まれ。66年高校を卒業して、それぞれに数年のうちに大学へ進む。団塊の世代と呼ばれる世代のど真ん中だ。 あの時代の毒気を浴び、その時代を慌ただしく過ごし、企業社会に入り、働き、結婚し、子を育て、 やりたいことに関われたり関われなかったり(一部の者は好き勝手に生き)して、還暦を越え多くは孫もいる。皆、62~63歳だ。 世が、70年前後の曲がり角を越え、ひたすらアタフタと駆け走りバブル崩壊から今日の混沌へと至る、その渦中を生きた者たちだ。 人生の光と陰・明と暗、社会的な成功・蹉跌、個人的な達成・不運、望外のものを得た者・かけがえのないものを喪った者・・・、 けれどその全てを他人との比較ではなく、わが身のこととして抱えて生きている。 そしてこの日、ある女性の呼掛けで集うたのだった。
例えば、当日参加したある女性は、いわば、女性が職場に進出したと言われながら「職場の華」「男性社員の花嫁候補」以上の位置付けなど まだ無かった時代の大手企業に在って(今もはなはだ怪しいが)、ある「悪戦」と「歯痒さ」の中を生きたに違いない。 子育てと働くことの両立は、今以上に困難だっただろう。 彼女たちは、その中で生きて来た。 例えば、参加者の一人、某有名企業の社長となっている某氏は「いまどきの」若者(社員)との触れ合いと会話に、 ある「楽しみ」を実感し、来年度女子総合職四名を採用した際に、当時との「女性の構え」の違いを痛感したと語っていた。 思えば、その変化のほとんどの部分は、企業社会や男や経営者や労働組合ではなく、おんな自身の手で為されたことではなかったか? 当日参加の女性たちの「輝き」「前向きさ」に圧倒され、そのことを再認識した。 「男が未来を語れない社会」こそが「衰弱社会だ」などと、その某社長とため息まじりに納得して語り合った次第。 多くの若者が「正規社員」となれず、就職浪人が溢れる社会に「未来を語る」など無理(当時でさえそうだったのに)なことだと思う。 ますます、若者が「個人的なこと」「目先のこと」だけに汲々として、「<夢>そのものを子供扱いする」「現実的」構えに在るとしても、 それはぼくらの世代が作り出した時代の結果だ。景気・円高云々への言及は、能力を超えているし守備範囲ではないけれど、 「雇用のカタチをどうにか規制しなさいよ」とは、団塊ジジババとて、さまざまな方法で、さまざまな動きで言えそうだぜ。 それが、ある意味「あんたの時代はよかった」ハズの時代の、最後を生きたぼくらの務めかもしれない。
社会観・価値観・仕事・立場・肩書き・家庭・思想信条・宗教、それらはそれぞれに全く違う。 違うことを越えた違わないことの中に時代はあるのだろうか? 「おんな」は強し・・・。そのことを確信した同窓会だった。 四十代・五十代ではなく、この期にしてホントによかったねと語り合い、 二次会のカラオケを思いっ切り堪能した、いい半日(13:00~20:00)だった。 (金子由香利:『時は過ぎてゆく』 http://www.youtube.com/watch?v=coiXF-PqgGQ にも挑戦したが、これはどうも上手く行かなった・・・ ♪ )
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たそがれ映画談義: 蘇り 溢れる映画音楽(外国映画篇)
映画に出会って以来、半世紀強。記憶に刻まれたシーンは、ときに映画音楽とワンセットだ。 先日、『踊る大捜査線』への異論を書いた。 ( http://www.yasumaroh.com/?p=8388 ) 『踊る』の作り手と観客に是非とも伝えたいことを考えているうちに、次々とシーンやセリフが思い出された。 それ以上に胸に溢れて困ったのが、優れた映画音楽の数々だった。 今回は、 YouTube に見つけて09年に作った外国映画音楽ファイルに、いくつか補充して転載する。 載せたくとも見つからないものがほとんどだが、これらはすべて、『踊る』の対極に在るのだ。中に珠玉のシーンもあって嬉しい。 日本映画のものも近いうちに・・・。 『汚れなき悪戯』 http://www.youtube.com/watch?v=nU1-LJ0b0PM&feature=related スペイン映画 『道』 http://www.youtube.com/watch?v=azQPqENwTZg ニーノ・ロータ 『太陽がいっぱい』 http://www.youtube.com/watch?v=eYDRkCYiY0Y&feature=fvw ニーノ・ロータ 『ロミオとジュリエット』 http://www.youtube.com/watch?v=TN2RHWywEA4&feature=related ニーノ・ロータ 『ゴッド・ファーザー』 http://www.youtube.com/watch?v=PXEmYzq8BgY ニーノ・ロータ 『刑事』 http://www.youtube.com/watch?v=yg_vJNOCiOg&feature=related カルロ・ルスティケリ 『鉄道員』 http://www.youtube.com/watch?v=uR2EKbTDPds&feature=related カルロ・ルスティケリ 『ブーべの恋人』 http://www.youtube.com/watch?v=p5i2XRQ8vig&feature=related カルロ・ルスティケリ 『誘惑されて棄てられて』 http://www.youtube.com/watch?v=ZAjp9YnATIU カルロ・ルスティケリ 『禁じられた遊び』http://www.youtube.com/watch?v=6-X4cAUlg8g ナルシソ・イエペス 『真昼の決闘』 http://www.youtube.com/watch?v=QKLvKZ6nIiA ディミトリー・ティオムキン 『シェーン』 http://www.youtube.com/watch?v=9DVPxbsTccg&feature=related ヴィクター・ヤング 『エデンの東』 http://www.youtube.com/watch?v=Olo1MoLZHA0 レナード・ローゼンマン 『ティファニーで朝食を』http://www.youtube.com/watch?v=BOByH_iOn88&feature=related ヘンリー・マンシーニ 『酒とバラの日々』 http://www.youtube.com/watch?v=swHHoC1XYk8&feature=related ヘンリー・マンシーニ 『ひまわり』 http://www.youtube.com/watch?v=wbU-a99giUg&feature=related ヘンリー・マンシーニ 『大いなる西部』 http://www.youtube.com/watch?v=TWv6wqV6mxc&feature=related ジェローム・モロス 『日曜日には鼠を殺せ』 http://www.youtube.com/watch?v=x37qCdT8SP0 モーリス・ジャール 『ドクトル・ジバゴ』 http://www.youtube.com/watch?v=zDkvSKvzUBI&feature=related モーリス・ジャール 『死刑台のエレベーター』 http://www.youtube.com/watch?v=KkXSbwyln-0&feature=related マイルス・デイヴィス 『男と女』 http://www.youtube.com/watch?v=2bYBn5VJ-ko フランシス・レイ 『日曜はダメよ』 http://www.youtube.com/watch?v=QXOZrZQrt48&feature=related マノス・バジダキス *(監督ジュールス・ダッシンはロシア系ユダヤ人。マッカーシー旋風によりハリウッドを追われ、ギリシャで製作。後に主演女優メリナ・メルクーリと結婚) 『その男ゾルバ』 http://www.youtube.com/watch?v=4UV6HVMRmdk ミキス・テオドラキス 『炎のランナー』 http://www.youtube.com/watch?v=xEF4zH6XHCk&feature=related ヴァンゲリス 『さらばベルリンの灯』 http://www.youtube.com/watch?v=t7wj34jhR6U ジョン・バリー 『真夜中のカウボーイ』 http://www.youtube.com/watch?v=ZGORPUzLxtU&feature=related ジョン・バリー 『明日に向かって撃て』 http://www.youtube.com/watch?v=hUVpYENQJMg バート・バカラック 『夕陽のガンマン』 http://www.youtube.com/watch?v=kXmUgereD1o エンニオ・モリコーネ 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』タイトルバック http://www.youtube.com/watch?v=YfczFtTvzbg エンニオ・モリコーネ 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』デボラのテーマhttp://www.youtube.com/watch?v=E0jFrXO22_o&feature=related エンニオ・モリコーネ 『ニューシネマ・パラダイス』(タイトルバック) http://www.youtube.com/watch?v=kJKbSC1dU04&feature=related エンニオ・モリコーネ 『蝶の舌』 http://www.youtube.com/watch?v=nYa19UXr-y8&feature=related スペイン映画 ( http://www.yasumaroh.com/?p=963 )
『ニューシネマ・パラダイス』(エンディング) http://www.youtube.com/watch?v=qMgTCtSxOHE&feature=related エンニオ・モリコーネ
交遊通信録: ここに 「We」が在る
Uさん メール拝受しました。ぼくも、最後のルイス・ウルスア氏救出のシーンまで断続的にTV見てました。
世界中が最初の救出ゴンドラを引き上げるワイヤーを見つめ、間もなくゴンドラが姿を見せようとする時、期せずして地上で待つ仲間の輪から歓声の掛け声が上がったね。 ビバ・チリ、ビバ・チリ、 チリ・チリ・チリ。 ビバ・チリ鉱山労働者! チリ鉱山落盤事故救出劇のクライマックスの始まりだ。翌日、メンバーのリーダーと目される最後のルイス・ウルスア氏が救出されるまで、世界中が固唾を呑んで見守ったことと思います。 ビバ・チリの声に、故:アジェンデ大統領(1973年9月11日、軍部クーデターにより死亡)の最後の演説肉声が思い出され、胸が詰まります。 http://www.youtube.com/watch?v=SG3f08LVwhE ビバ・チリ鉱山労働者! 劣悪な安全対策下で地底の重労働に生きる、33人の名も無き人々が70日間もの長期に亘り、地の底深い閉鎖空間に整然と耐え得たのは、そこに企業社会が喪って久しい「We」が在ったからに違いないと思うのです。 「強圧と忍従」に支えられた【井上ひさし氏遺作:『一週間』がシベリヤ捕虜収容所を舞台に描く「ソ連型」乃至「日本軍型」】 『統制』 ではなく、 「信頼と自発」に基づく【「ラテン的」乃至「沖縄的」】 『連帯』 の、70日間の実相がやがて明らかになるだろうと思っています。 (「We」に関する拙文 → 『「We」の不在』 http://www.yasumaroh.com/?p=6376 ) 33人の顔写真には、そこに モンゴロイド(つまりは、ネイティヴ南米)系の要素が色濃く見えます。事態の構造を物語っていると思います。 ビバ! 名も無き者たちの「We」感覚。 過去、炭鉱・鉱山の落盤や水脈破裂などで、どれだけ多くの人命が奪われて来たことか・・・。世界は、救出劇に浮かれるのではなく、危険作業下の重労働や、共助風土解体下のあらゆる人権無視労働と無権利雇用形態の「非」を自ら糾すべきだ。 その場所以外からの、33人への声援は虚しく、いかがわしい。 33人殿、マスコミの持ち上げ、大国の国家的営業活動、チリ政権の政治利用などに振り回されず、かつメンタル復権を果たし、自己を見失わず、 そして「We」を手放さないでと希っていたい。 それが、エスペランサだ。
『地上の星』 http://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE&feature=related 中島みゆき
歌「100語検索」 ⑪ <夢>
①~⑩は <河・川> <空> <夜> <時-1> <遠> <時-2> <砂> <雨> <風> <港・波止場> でした。
今回のお題は <夢>。 夢は、大小・公共性と「私ごと」性・組織性と個人性・有効性と無効性 の如何を問わず<夢>である。どんなに「私」的であっても、色恋の事情であっても、はた迷惑な私怨であっても、そこには生きて行く人間の希いの核があり、多くの場合、「社会」「国家」との、あるいは地域・帰属先・家族等の黙契との、攻防を経ずには叶えられない十字架を背負って生存しているのだ。 言い換えると、そうでないもの…それは「夢」ではないし、 しばしば、誘導された「欲望」に基づく、その社会に公認された即物的事柄だったりもする。「夢」自身はそこからは隔たって在りたい、と言っている。 本来、「夢」は、人が生きて行く上で欠くことのできない根拠・理由ですらある。
夢
『My Revolution』 http://www.youtube.com/watch?v=Tm67VN__Nys 渡辺美里 『フレンズ』 http://www.youtube.com/watch?v=lFjx6ku08ok&feature=related レベッカ 『言葉に出来ない』 http://www.youtube.com/watch?v=A-pMh5qGNVY 小田和正 『夢想花』 http://www.youtube.com/watch?v=zrBV5Ru31jI 円広志 『夢の途中』 http://www.youtube.com/watch?v=eWkwIZQC2vE 来生たかお 『会いたい』 http://www.youtube.com/watch?v=ncb-EzTfoGs 財津和夫 『夢を味方に』 http://www.youtube.com/watch?v=RMwKfEPRdEs&feature=related 絢香 『夢芝居』 http://www.youtube.com/watch?v=N3-z2sEviFs 梅沢富美男 『赤と黒のブルース』 http://www.youtube.com/watch?v=qYs2GFDRHZw 鶴田浩二 『ffフォルティシモ 』 http://www.youtube.com/watch?v=KbBadyqsqAs&feature=related HOUND DOG 『夢追い酒』 http://www.youtube.com/watch?v=3Qg02cAxV1E 渥美二郎 『夢去りし街角』 http://www.youtube.com/watch?v=76Ofg-Tzf-8 アリス 『恋唄綴り』 http://www.youtube.com/watch?v=-GG9qApAMiA&feature=related 堀内孝雄 『夢をあきらめないで』 http://www.youtube.com/watch?v=PW_kP5uwp7A&feature=fvw 岡村孝子 『会いたい』 http://www.youtube.com/watch?v=lAyjsq-O3gs&feature=related 沢田知加子 『負けないで』 http://www.youtube.com/watch?v=r3D8yAVl2c0 ZARD坂井泉水 『途上にて』 http://www.youtube.com/watch?v=QB9uDJCWJhE みなみらんぼう 『俺たちの旅』 http://www.youtube.com/watch?v=Z3djBbe4Yw8 中村雅俊 『夢は夜ひらく』 http://www.youtube.com/watch?v=DkV5Gv95Tgo 薗まり 『逢わずに愛して』 http://www.youtube.com/watch?v=vR322c2PalI 前川清 『時は過ぎてゆく』 http://www.youtube.com/watch?v=coiXF-PqgGQ 金子由香利 『真夏の夜の夢』 http://www.youtube.com/watch?v=kjn1A8D5edY 松任谷由実 『哀愁のカサブランカ』 http://www.youtube.com/watch?v=IHM2145in1o&feature=related 郷ひろみ 『みんな夢でありました』 http://www.youtube.com/watch?v=N4RaoKh7K2w 森田童子 『爪』 http://www.youtube.com/watch?v=pehEV-bniB8 ペギー葉山 『シェリー』 http://www.youtube.com/watch?v=knAAHHlyfc4&feature=related 尾崎豊
♪-**-♪ 『夢を追いかけるなら 容易く泣いちゃダメさ』 (「My Revolution」) 『涙枯れても 夢よ枯れるな』 (「逢わずに愛して」) 『二人合わせたコインでも 夢が買えたねあの頃』 (「哀愁のカサブランカ」) 『もう一度やり直すなら どんな生き方があるだろうか』 (「みんな夢でありました」) 『あなたでなくて出来はしない ステキな夢を持つことよ』 (「爪」)
歌「100語検索」 ⑩ <港・波止場>
港・波止場
初めて石垣島へ行った時、石垣島から沖縄本島へ戻る際に、石垣~宮古~沖縄、その距離感を体感したくてフェリー船に乗った。琉球弧の大きさに驚いた。 仮に石垣市役所を大阪駅と設定すれば、直線距離で、石垣~宮古は大阪~名古屋。その配置で行けば、沖縄本島は群馬県・茨城県となるそうだ。巨大な排他的経済水域が現出する。水産資源・海底資源の宝庫だ。将来、何が出て来るか・・・あらゆる可能性がある。のか? 地政学に照らせば東アジアと太平洋を跨いで境界に在り、その架け橋たる琉球弧の存在の重さは計り知れないのだろう。 ヤマトが手放さないはずだ。中国が羨望するはずだ。 早朝石垣を発ち、午後に宮古島着、那覇には夜遅く着いた。 海洋を往く海の民が浮かんだ。ともあれ、海は広く、海は切れることなく繋がっていてひとつだが、港に生きる人々の「俗」は各島で「同じ」であって「違う」のだろうと想像した。 琉球弧を渡る民、船、文化、言葉…、琉球が「連邦」だとは理のある話だ。海域は本来誰のものだ?
ところで、本日のお題は「港・波止場」。港は海への入口・出口だが、そこに構えて人を送り出し迎え入れている。 大海を悠々と渡り、時に寄港する海人、寂れてもじっと佇んでいる港、その裏路地の雑踏と喧騒…、そんな風景が浮かぶ。 互いに憎み合い赦し合う、「切れて」「繋がる」、人・海・港。 今日は、「港」側の言い分を聞く。
『別れのブルース』 http://www.youtube.com/watch?v=UaoqnGW2P3I 淡谷のり子 『港が見える丘』 http://www.youtube.com/watch?v=f-1MbSjMdug ちあきなおみ 『港町十三番地』 http://www.youtube.com/watch?v=kAWV_6FNRxo 美空ひばり 『悲しい色やね』 http://www.youtube.com/watch?v=IK-jU0ff4fI&feature=related 上田正樹 『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』 http://www.youtube.com/watch?v=2JfiKUgK2wA&feature=related ダウンタウン・ブギウギバンド 『北へ』 http://www.youtube.com/watch?v=iTq15r5mLXM 小林旭 『港町ブルース』 http://www.youtube.com/watch?v=qzioiTIvP-8 森進一 『釜山港へ帰れ』 http://www.youtube.com/watch?v=17cA7096SB0 チョー・ヨンピル 『港町・涙町・別れ町』 http://www.youtube.com/watch?v=miqrkUFIG5Q 石原裕次郎 『俺は待ってるぜ』 http://www.youtube.com/watch?v=ePau6WvckJ4 石原裕次郎 『口笛が聞こえる港町』 http://www.youtube.com/watch?v=PQ1OhYYzv9Y 石原裕次郎 『かもめ』 http://www.youtube.com/watch?v=_kz3-njuxDY 浅川マキ 『秋の気配』 http://www.youtube.com/watch?v=JtttrcLCoPY オフコース 『にぎわい』 http://www.youtube.com/watch?v=cEx7qR6JDeA&feature=related 浅川マキ 『妬いてる訳じゃないけれど』 youtubeにありません。歌詞→あたしを乗せない船が、今日も港を出るところ♪ 中島みゆき
*背伸びして見る海峡を~♪(なかにし礼)。ええねぇ、ええ歌詞やねぇ。 *港・・・裕次郎には似合うのかなぁ~、多いねぇ。 *弟へのコムプレクスに生きた生涯に気付かぬ、あの兄に最も相応しくない場所こそが、「港」です。
たそがれ映画談義: 『踊る大捜査線』- ♪ 踊る作者に 観る観客 ♪
『踊る大捜査線』に視る奴隷根性と権力性、それは今風日本映画の立位置を映し出す。
10年近く前、TV局が、TVスタッフの手で、TVシステムによって作り上げ、事前大宣伝を経て空前絶後の大ヒットとなった映画『踊る大捜査線』を見たとき、言いようのない辟易感に襲われた。 主人公と彼を取り巻く人物たちの「無自戒」、映画の製作者・監督の「勘違い」、観客たちの反応に見える「軽薄」・・・。とりわけ織田祐二演ずる主人公青島が、柳葉敏郎演ずる同世代キャリア上司:室井に言う下記の科白には反吐が出る思いだった。 記憶は曖昧だが、その趣旨は概ね以下のようなことだった。 「ぼくら下の者は、上がシッカリしてくれていて努力できるのだ」「だから、上は上でそれを汲み取って出世してもらわないと」 一部でキャリア・ノンキャリアの垣根を越えた「解り合い」だとか、働く者の気持ちを「言い当てている」と言われたりしたが、果たしてそうなのか? ノンキャリア組の心情がそうした諦念(荒廃?)の中に在るという、今日的職場風土を示す皮肉だと言うのなら頷けもする。 だが・・・、青島君は、明るく元気で、自己と職場を全面肯定しつつ嬉々として立つのだ。
話は飛ぶが、同じ現場刑事でも、内田吐夢監督の秀作『飢餓海峡』(64年、東映)の伴淳三郎演ずる弓坂刑事には、意地と執念のブツであり刑事人生を凝縮したような仏ヶ浦の「灰」を、幾年にも亘って握り締めている、地を這う捜査員のノンキャリア魂があった。そこには「上は上で云々」などという「代行性」を断じて拒否する、捜査員・ノンキャリア勤労者の「努力や誠実」が在ったぞ。 それは、懸案を上司やキャリア組への委任や委託で終着点とする棚上げではなく、懸案をいわば我がこととして永遠に「抱え込む」気概・矜持に基づいていたのだ。 「下の者」のこの気概の解体・喪失・放棄・忘却こそが、実は「上の者」の支配性より強固な要素として、「権力性」の核心を打ち固めているのだ。国家規模の強権支配は、一握りの支配層の圧政を前提としつつ、民のそうした気概の解体と諦念の上にこそ貫徹されて来た。 『踊る』のファンには不愉快だろうが、そのことに無自覚な度合いこそが、『踊る』的映画をヒットさせてしまう社会の、ある度合い=荒廃度合いだと言えなくはない。
さて、『踊る』自体だ。(黒澤『天国と地獄』のピンクの煙のパクリは、たとえパロでも、論評する気にさえならん!) 先日、「日本映画専門チャンネル」で『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたか』なるリレー・トークを観た。10人の「映画通」が語っている。 多くは、肯定・映画の敗北・当然の帰結・観客が選んだ結果だ・これも映画だ・・・・、との「現実追認」に終始している。 その中で、雑誌『映画芸術』編集長:荒井晴彦だけが「まとも」なことを言っていた。 気になって、各発言の採録である番組と同タイトルの新書(幻冬舎新書、¥800)を購入した。 以下に荒井発言を抜粋する。
『結局はフジテレビのプロモーションの力でしょう』 『テレビが勝ったのではなく、映画がダメになったのです』 『映画自体が乗っ取られた』 『映画館の大きなスクリーンでテレビドラマを映しているのと同じです』 『僕らの年代は』 『なぜこんなものを映画館でやっているんだというような違和感を抱く』 『若い人たちはその違いを知らないから、何のわだかまりも無い』 『「踊る」以降は「映画の監督がつまらん作家性なんか出すより、テレビのスタッフが映画もやったほうがかえって当たる」というわけです』 『「踊る」の亀山プロデューサーは』 『「なぜ彼や彼女は犯罪を起こすに至ったのかを描かなくていい」と言ったそうです』 『「犯人のバックグラウンドを描くな」ということです』 『「踊る」以降の作品に描かれる犯罪は、「たまたま、ただのヘンな人が暴発したからおこったこと」になってしまった』 『犯人が捕まったらそれで終り、それで解決でいいということです』 『よくテレビでは「小学生でもわかるような表現じゃないとダメだなんだ」という言い方をします。でも僕は万人にわからせることだけがすべてではないだろうと思う』 『100人のうち10人がわかればいいという映画があっていいと思う』 『わかるのは二人ぐらいでいいんじゃないかと思うし、さらに言えば、たった一人でもいい。究極的には、作った俺さえいいと思えればいいんだ、とも思います』 『見やすさだけ、わかりやすさだけが最優先されるのは、本当にいいことなんでしょうか』 『もちろん徹頭徹尾そういう作り方ではまずいけれど』 『すべての映画を、黙って座ってボーッと見ていてもわかるものにするのはどうなのか』 『今は』『観客の側が勉強して映画を理解する文化がなくなってきている』 『こうなったのは、作り手のほうが、「勉強しなくいいんだよ、考えなくても楽しませてあげるよ」と言ってしまったからです』 『監督や原作の作家が、何を描こうとしていたのかを知ろうとして、その作家の生い立ちなどを別の本で調べたりするうちに、どんどん映画に深くはまっていくこともあった』 『作品に匿名性のようなものが生れて、似通った作品ばかり』 『作品に個性がないから、顔がみえない』 『そもそも映画は「娯楽」と「芸術」という、相反する要素を持ち合わせたもので』 『作り手は、芸術であるとまでは言わないけれど、全くの売り物だとも思っていなかった。「商品」と「作品」の間で行ったり来たりして、悩んでいました』 『今の若い作り手たちは違います。彼らは自分のやりたいことを通すというよりは、お客さんを入れることを第一に考えるようになった』 『僕は昔からお客様は神様だと思ったことは一度もない』 『神様はバカ様になった』 『映画館の闇の中で、僕たちは人生を変えるような、魂を震わせるような何かと出会うことが出来た』 『今の映画は、ヒットすることと引き換えに、そういった陰影や多様性を切り捨ててしまった』 『亀山プロデューサーは』 『勝つにはどうしたらいいかを考えて、その結果勝ったのはすごいことです』 『平野謙という文芸評論家が「畢竟、文学とは我を忘れさすか、身につまされるか、ではないか」と言っているのですが、映画もそうじゃないかと思います』 『我を忘れさせる映画の典型が「踊る」でしょう』 『映画館を出たら、ああ面白かったとその映画も忘れてしまうのではないか』 『僕は、身につまされる映画を作りたい』 『人に忘れられない映画を作りたい』 『文学や映画をエンターテインメントこそすべてとその枠に押し込めることで、そこにある生き方・考え方・価値観を揺り動かす力を捨ててしまうのはあまりにも惜しい』**********************************************************************************************************************************************
荒井の、いまどきの映画と観客への言い分は、そのまま映画『踊る』への、『踊る』登場人物への異論となっている。それは、現実への視点を欠き(欠かざるを得ない)、現実「回避・逃亡」に終始する、CG満載の近未来絵空事や有り得ないパニックにしかドラマを構成できない米映画作家の今日的立ち位置、その亜流たる日本映画への異論であり、同時に米帝国とグローバリズムへの鋭い文明批評として聞こえて来る。
荒井晴彦:1947年生まれ。1970年、早稲田大学文学部除籍。(なるほど・・・あの時代の、あの毒を浴びた同輩か・・・) 若松プロ助監督を経て、脚本・監督業。現:『映画芸術』編集長。 脚本: 『神様のくれた赤ん坊』(78年)、『遠雷』(81年)、『時代屋の女房』(83年)、 『探偵物語』(83年)、『噛む女』(88年)、『眠らない街 新宿鮫』(93年)、 『絆-きずな』(98年)、『KT』(02年)、『やわらかい生活』(06年) 監督: 『身も心も』(97年、脚本とも)http://movie.goo.ne.jp/movies/p30683/comment.html
☆ 『やわらかい生活』はええです。大東京に生きるシングル女性(確か、上場企業の元総合職だった)。 友の死をきっかけに陥った「うつ」、ドロップアウト、孤独・・・、それらを受け容れる「やわらかい生活」を 求め彷徨いながら、自己再生を「やわらかに」展望する主人公・・・。 寺島しのぶの存在感に救われた作品だった。 蒲田というごった煮の土地柄もあってひときわ心に沁みました。→ http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id324265/ 出演:寺島しのぶ、豊川悦司、妻夫木聡、大森南朋