交遊通信録: 母卆寿祝い会

Sさん、                                                                                                                                                                                   いつか貴方からお褒め頂いた歌 枯庭に 白き水仙匂い立ち 独りの冬を誇らしげなるの作者:我が母の「卆寿祝い会」で帰阪しました。                                                                                                        9月20日、一年遅れ(昨年、新型インフルエンザで延期)の会には、母、息子四人とその妻:計8名、孫と配偶者:計15名、曾孫:7名・・・                                                                                                                                    総計31名が集いました。                                                                                                                                                                        

母の人生は、軍国・封建・戦争の「昭和」の、もちろんどこにでも在った「女」の人生ですが、母の曾孫たる我が女児孫(三歳)を見ていると、母の乳幼児期との対比から、時代は戦争・敗戦という受難・画期・代償を経て、市井の人々の努力によって、緩やかに(近年は急激に)変化したのだと思い至るのです。我が女児孫(母の曾孫)の笑顔と活発な振舞は、21世紀両親から注がれる愛によって育まれたものであるのは当然でしょうが、母が乳幼児期に表すこと叶わなかった個性、そのDNAに因るものなのだろうと思わずにおれません。 民が、国や強権を押し返して代を越えて引き継いで行くものとは、たぶんこうしたことの中にあるのだろうと思えるのです。我が女児孫が、そのことを感じ・学び・考え、時代や歴史を識る女性に育ってくれと願うばかりです。                                                                                                                                                                                                        

【写真上 左:曾孫代表=長男の長男の長男から花束を受ける母。中:集合写真。右:幼児期の母。  下:人形を抱く女児曾孫=三男(私)の孫】

                                                                                              【注】                                                                                                                                                                                                                                             乳児期を乳母の許で育った母は、ゆえあって、三歳で実家に戻った。                                                                                                                                          生母になつかず、実家に馴染まず、いっしょにやって来て大切にしていた人形を抱いて、乳母恋しと毎日泣いたといふ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                その人形が、ある日を境に突然姿を消す。その日の記憶は鮮明で、母の歌集に

 「みれん断ち実母に返すが此の稚児の 幸せならんと諦めし乳母」 
 「やすらかな寝息たしかめ帰りしとう 若かりし乳母とわれとの別れ」
 「乳母里より付き人のごと添いて来し 田舎人形夜ごと抱きしよ」
 「いつの間にか姿消したる縞木綿の 人形恋いて泣きし幼日」  とある。
 (私は、角田光代:著『八日目の蝉』を読んだ際、会ったことのないこの乳母とその母性を強く思い浮かべた。)
 
誰が何を想って棄てたのか?と問うている。                                                                         
三歳児の記憶としては、あまりにも重く酷な記憶だ。                                                                       
以来、互いにとって「不幸な母子関係」が永く続くこととなって行く。( http://www.yasumaroh.com/?p=3196 )
                                                                                                                                                                                                             06年、80代半ばの母は数年かけて書き綴った「自分史」を上梓。                                                                                                                                                個人史でありながら、贔屓目に見れば、期せずして背景に「昭和」という時代とその中を生きた「おんな」・戦争という民の受難など を浮かび上がらせてもいる。船場道修町商家の家父長制・空襲・焼跡・闇市・雑炊食堂・etc ・・・・。                                                                                                                                                                                       が、乳母への思慕と切情・幼い胸にわだかまる孤絶感は充分に語り切れなかったようだ。現在、私の弟が聞取り・録音作業をしてくれている。

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