Archive for 8月, 2010

品川塾誇大史: 人麻呂の海峡。『遠之朝廷』『神代』そして『嶋門』

嶋門を見れば・・・【古田武彦説を中心に】

以前、韓国への短い旅行をした際、帰路思うところあって釜山からのジェット・フェリーを選択した。                                     気持ちは、半島最南部「伽耶の地」(洛東江両岸、現:金海付近)から、「神代」の人々がやって来たルートの擬似追体験だった。天孫降臨と言われる勢力移動が、このルートであるかどうかは定かではない。                                                                          ただ、「古事記」に書かれている                                                                                                                           「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(クシフルタケ)に天降りまさしめき」                                                   「此地は韓国に向かひて 真木通り 笠沙の御前にして 朝日の直刺す国 夕日の日照る国なり」                                                                           (出自の地と到着の地とを自画自賛しており、降臨の地が福岡県前原市近辺:日向峠近辺だと示している)                                                                                                              との文言から、 伽耶にも「楽浪海中」各島にも勢力を持つ倭人末裔の大挙移動の地は、北九州:博多湾岸のいずれかの地だと確信して来た。

通説(宮崎県・日向・高千穂)への異論:                                                                                  古来、九州全体を筑紫と呼ぶことはない。筑紫は福岡県方面だ。日向は「ヒュウガ」に非ずヒナタ(ヒムカかも)であって、前原市に日向峠あり。その東方にクシフル峰あり。その連なりの高祖山・飯盛山からは、晴れた日には対馬が見える。南九州の日向、高千穂ではまるで見えない。ましてや明治に命名された韓国岳など無関係。伽耶の本拠地たる現:金海に亀旨<クシボン>峰あり。この亀旨峰に、始祖たる六人の童子が降臨したところから始まる伽耶六国の建国神話あり。降臨地名称・降臨形態その酷似をどう見る?                                                                                                   他の案件(魏志倭人伝、邪馬壱国、倭、百済・新羅との関係、倭の五王、倭王磐井への近畿連合王権:継体の側の叛乱、日出る処の天子、白村江の戦、他)も合わせて「北九州:倭」は動かしがたい事実だと考えて来たところだ。 話は長くなるので、詳細は「品川塾:誇大史」を参照あれ。← http://www.yasumaroh.com/?p=1946 さらに詳しくは各種古代史書籍読まれたし。                                                                                                             で、「神代」の降臨ルートと、後代のある歌=柿本人麻呂歌「大王の遠の朝廷と・・・」の原風景を視たくなっての、海路選択だった。

その人麻呂歌についてだけ述べておきたい。                                                                                                                                   『大王之 遠之朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所思』                                                  (おほきみの とおのみかどと ありがよふ しまとをみれば かみよしおもほゆ)                                                                                                                                                                      通説意訳:                                                                                                  天皇家王権の、遠い地方出先機関である大宰府と頻繁に往来する際 関門海峡を通過しては、                                                      天皇家のご先祖様が瀬戸内海を縦横に行き来なさった往時が偲ばれるのだ。                                                                                 反論:【「遠の朝廷」が天皇家の出先機関なら、各地に「遠の朝廷」が在ってしかるべし。が、万葉では大宰府以外を指す事例無し。また、関門海峡はご存知の通り、長門と呼ばれるほど細く長く潮の流れは速く、まるで大河のようだ。「嶋門」の趣ではない。】                                                                                                            左:線が倭人降臨ルート、黄線は人麻呂「遠之朝廷」訪問ルート。(倭都防衛の「水城」みずき(白に赤線)後方の青丸が「倭都」)                                                                            右:赤線黄線の交差点海上の紫丸域から博多湾方向を望む。湾の手前に構えているのは、倭都の入口「嶋門」左:志賀島、右:能古島                                                                                               (資料作成・写真とも by 2001 yasumaroh) (両資料ともクリックすると拡大します。水城など鮮明になります)                                                                         上記「水城」(みずき)に関してひと言付け加えたいが、次回にする。

                                                                                                                品川塾訳:(上記資料・写真を見ながら構想されたし)                                                                                                          元祖列島覇者=倭王の、遠い(時間的にも)朝廷があった地=大宰府に度々公務で赴く。博多湾に入る際に通る志賀島と能古島の間は、まるで島で出来たの門のようのだ。そこを通るとき、今は亡き倭国の無念を思い、さらに、そのご先祖が半島からやって来られた「神代」(人麻呂がオオクニ出自ならオオクニとアマとの攻防とアマが勝利した「神代」)をさえ思い浮かべて痛いのだ。                                                                                                                                     我もまた、帰属世界を喪ふことの痛切を知る者の一人だから…。                                                                                                注釈:【近畿から来ると長門を越え宗像沖を通り、玄界灘から博多湾に入る際、志賀島と能古島の間を抜けて那の津に至ることになる。二つの島は正に「嶋門」であっただろう。現在でも、添付写真の通り、それは文字通り島の門だ。神代とはいつのことか? 何故「嶋門」を見て神代を想うのか?】                                                                                                                この歌は「大王」の「遠の朝廷」と、その玄関「嶋門」と、その祖先の「神代」と、そして人麻呂自身の故地と、それら全てを、時空を超えて一直線に結ぶ壮大な歌だと思う。                                                                                    可能性                                                                                                                                      ①:人麻呂は「唐・新羅」に滅ぼされた「百済」からの亡命知識人である。                                                                         ②:人麻呂は「白村江の戦」敗北が因となって崩壊した「倭国」出自の歌人である。                                                                                        ③:人麻呂は、はるか昔「倭人=アマ」と覇を争い敗れた「オオクニびと」の末裔である。                                                 

柿本人麻呂が確認されるのは、「白村江(現:錦江)の戦663」(百済・倭連合VS新羅・唐連合)の大敗北、                                                                                                                                             「壬申の乱672」を経て、大海人皇子が政権奪取(天武天皇673~)して以降だそうだ。                                                                                                                活躍し始めるのは女帝:持統天皇の治世(690~)からだと言われている。人麻呂はどこから来たのか?                                                                                                                         何故あんなにもスケールのデカイ歌を詠めるのか、何故倭国の謎を堂々と公に語れるのか・・・?                                                                              人麻呂が、誰もが知る倭国の存在と歴史を公言し、その前史たる天孫降臨の実際を示し、近畿天皇家の正史に楯突く内容を秘めた歌を詠んだのは何故か? 倭国の哀史を強調する奥に、人麻呂の自分史と故地の歴史が重なっているのではないか? 自分たちの歴史的運命を、滅んだ倭国史に重ねたのではないか・・・が、品川塾説。                                                                                                     品川塾では、ズバリ、「白村江の戦」で国を喪った百済からの、その後幾十年に集中して続いた大量の亡命者。その中の亡命知識人。それが人麻呂の実像ではないか、と確たる証明なく空想している。なら、同じく「白村江の戦」が因となって崩壊した倭国への格別の想いも解るところだ。                                                                                上記①②③のいずれかであればこそ、倭国「真」史を散りばめ、本当の神代を示し、海峡を跨ぐ歌を詠めたのではないか?                                                                                             人麻呂にとっては、天皇・ヤマト・そして倭王と倭国までもが相対化されていると言われている。 納得だ。                                                                                                                                                     元祖:越境人、海峡に立つ者のアイデンティティを詠いあげている。現代ならジョルジュ・ムスタキ、金時鐘といったところか・・・?                                                                                                                                   

☆人麻呂は北部九州:「倭国」の歌人だという説も、アマとの攻防とオオクニ敗北の古の史実伝承を知る「オオクニびと」の末裔だとの説も有力。                                                                                                                                     【参考】人麻呂終焉の地は、オオクニ:島根県浜田。【】                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        、                                                                                            

読書: 小論集『日本語は美しいか』。 「美しい国」論との同根性を読む

『日本語は美しいか』(遠藤織枝他、三元社、¥2300)

「日本語は美しい」と主張するこれまでの言い分は「日本語」を母語とする者によって、「日本語」で語られ・書かれて来た。そのことに対して、「いささかアン・フェアだろうが…」と思って来た。それはまるで、ある社(党でもいいのだが)の風土・人心・歴史 etcを、他ならぬその社の社長・役員・従業員、つまり内輪のみで称え合っているような「親バカ」的構図だと思ったからだ。                                                                              はたして日本語は美しいのか? 言語の美しさとは何のことか? また、各言語には備わった醜美の等級などあるのか? そもそも、どうやって他言語の醜美度を測りかつ比較するのか?                                                 本書は「日本語は美しい」なる論の、恣意性・虚構性・いかがわしさの、発生メカニズム・国家や支配層の関与・話し手(母語話者)の受け止め方などを、日・中・韓・ニュージーランドでの調査、歴史・文献などをもとに明らかにして行く。若い(かどうか知らないが)学究者たちの小論文集だ。                                           ぼくのような、日本語に無頓着な、言葉素人にも分かり易い一冊だ。                                

「日本語は美しい」なる説の根拠・来歴は、日本でしか話されない地域言語「日本語」の、虚構の世界性・アジア盟主性を無理にでも確立したい者たちが、母語話者に当然備わっている「馴染み」「愛着」を巧みに利用しそこに「美しい」を加味して推進した構図のようだ。しかも、他言語など知りもしない推進者たちは「簡潔で単一」「澄み切っている」「敬語こそ美しさの根拠だ」と言いながら、「世界に類例のない敬語が乱れている」と危惧してもいる。                                                                                           ならば、澄み切って単一のはずの言語を、アジアに広める任務の教員に見られる各「方言」は困ったものだと、何故嘆いているのか? アジア共通語を画策した者たちが、日本語を「完成」させようと躍起になったのは、実は、それほど、未完成で、多数の方言があり、敬語も各階層で違い、狭い島限定の地域語であることを、推進者自身が承知していたことの証左でもあろう。                                                                                                                                                                                                                                                                あるいは、「簡潔」と言いながら、敬語の「難しさ」を言うが、では、難しさイコール美しさなのか? また、類例がないはずの敬語の格付けが日本語よりうんと複雑なインドネシア語は、より美しいのか?                                                                                                         言語にはそれぞれに美しさがあり、その言語の内部での「美しさ」を磨くしかないのではないか。それは、他者の受容と己の明確な自己主張によってのみ初めて可能性が垣間見える、「自立と連帯」のように難しい。

そもそも、日本語を巡る「美しさ」への心情経路は次のような超飛躍三段論法ではなかったか?                                             『我は、美しいものが好きなのだ。だから、我が好きなものは美しいに違いないのだ。                                                                  我は家族・親類縁者・我が故郷が好きだ、それらの人々・社会が好きだ、その集合体である「ニッポン」が好きだ。                                                                                                          話されている言葉=「日本語」も好きだ。ゆえに、我が好きな「日本語」も「日本」も「美しい」のだ。 文句あっか?』                                                                                                                                                                                                            橋本信吉・金田一・三木清・吉川幸次郎・日夏耿之介、といった高名な学者も、この論の外には居ない。                                                              当時の時局柄か、中国出自の言葉への劣等感を裏返した敵意に充ちてもいる。日本人なるものの構成史のように、列島に「ことば」が先行して原生していたのではないのだから、日本語も何らかの「寄せ集め」であることは自明なのだが…・・・。                                                                                          

「日本語は美しい」なる論が、「美しい国」を標榜した某首相の意図と瓜二つの論理立てで主張されて来た経緯がよく解る一冊だった。敬語や女性言葉も、家父長制を支えるツールの一つだと言えるが、男の学者どもは「敬語を中心にした女性言葉こそはその美しさの根幹だ」とその社会性・歴史性・支配性には、あえて(?)目をつぶっている。                                                                                                                                                       これを超えて、日本語への相対観・距離感を保った上で、他との比較でなく、かつ、何らかの恣意性に与することのない、「日本語」の「個性」にも独自に備わっていよう「美しさ」「繊細さ」「深さ」について、知り学ぶことは大切なことだと思う。それによってこそ、ぼくらは歴史と他者と自身に出会う可能性へと進めるのだから…。                                                                                                                                       我が**は美しい、我が**は愛しい、我が**は素晴らしい、我が………、その親バカ性と排他性。 肝に銘じたい。                                                              ここでも、「切れて」「繋がる」がKEYなのだ。 

品川塾空説:                                                                                                                                                                                  ひょっとすれば、日本語は、海洋系基礎単語身体語・数詞(ヒ・フ・ミ・ヨ)・発音+北方文法+中国・朝鮮の概念語や他の                                                                                                                                                    多くの要素から紡ぎ出されたのではないか? ならば、その合成成立史はすごいことだ。日本人なるものの構成成立史と無関係ではないはずだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                  『楽浪海中倭人あり』の倭人は日本語の原型を話していたか?違う言葉だったか? 卑弥呼はどんな言葉を話してしていたか?                                                                                                                                                                                                            倭の五王は? 隋の煬帝に国書を送った倭国の王=日出る処の天子=多利思北孤=タリシホコ は?                                                                                                          「白村江の戦」では「百済・倭連合軍」はどんな会話を成立させていたのか?                                                                                                      柿本人麻呂の 『大王之 遠之朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所思』は、本来どのような言葉と音だったか?                                                                                                       【通説読み: おほきみの とおのみかどと ありかよふ しまとをみれば かみよしおもほゆ】                                                                                                                                                                                                                                    日本語の原圏は古代史と離れて語られるべき事柄ではない。 残念ながら、そこが未明なのだ。
                                                                                                                             追記:                                                                                                                    ぼくが、心底美しいと思ったのは、北原白秋『からたちの花』です。「みんな みんな やさしかったよ」…。                                                                                                              日本語が美しいのか、それとも、刷り込まれた日本語浅知識の判断基準に照らして、その中で「これは美しい」と感じたのか…?。 後者でしょう。                                                                                               美しさは、比較しようもない言語種にではなく、言語によって「幻想」される情景・心情・世界を美しいと感じる心に宿るのではないでしょうか?                                                                                                                       その美しさに見合う、あるいは適する「言語」-「発音」「抑揚」「語感」「語順」「構成」であるかどうかは、「日本語」しか知らない者には解りようもなく、ただ「日本語としては」、「知っている日本語の中では」、「この表現、構成は」 美しいのではないか? と思うばかりだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       『からたちの花』 http://www.youtube.com/watch?v=nC9-40wKDfM&feature=related                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

                                                              

歌遊泳: ソプラノ歌手 日本歌曲・唱歌・歌謡曲を唄う

暑い、熱い、あつい。                                                                                                                                                                            避暑には彼女たちの歌唱が一番です。

鮫島有美子  

『故郷』 http://www.youtube.com/watch?v=DVHLIFKGtDc&feature=related 

『冬の夜』 http://www.youtube.com/watch?v=U4CeUBx-5PY&feature=related 

『初恋』 http://www.youtube.com/watch?v=AaCNkJ-DEms&feature=related 

『恋人よ』 http://www.youtube.com/watch?v=JkdAsvXaZhY&feature=related                                                                                                                           『リンゴの唄』 http://www.youtube.com/watch?v=ZVSGSAAQZPw&feature=channel 

『秋桜』 http://www.youtube.com/watch?v=J6-nWsxJeu0

『夜明けの歌』 http://www.youtube.com/watch?v=nFHe1g0SZvI&feature=related 

『ここに幸あり』 http://www.youtube.com/watch?v=XyDfT2MrOoc&feature=related 

『時には母のない子のように』 http://www.youtube.com/watch?v=ojCX8ka-OXU&feature=related 

『喜びも悲しみも幾年月』http://www.youtube.com/watch?v=U5pj60jC_i4&feature=related                                                                                                        『旅人よ』 http://www.youtube.com/watch?v=mnDnWpuXQKE&feature=related

                                                                                                                                                                                                                               唐澤まゆこ  

『この道』 http://www.youtube.com/watch?v=mGCqo9bpsYo 

『待ちぼうけ』 http://www.youtube.com/watch?v=qxP-klxijRw 

『初恋』 http://www.youtube.com/watch?v=9uDjESlhcZ8&feature=related                                                                                                                                                          (『啄木の妻ー節子の「初恋のいたみ」』http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-2.html )

 

森麻季

『からたちの花』 http://www.youtube.com/watch?v=nC9-40wKDfM&feature=related 

『千の風になって』 http://www.youtube.com/watch?v=QB61ofvLrOU&feature=related 

 

佐藤しのぶ

『早春賦』 http://www.youtube.com/watch?v=zrCSwQJimuk                                               『荒城の月』 http://www.youtube.com/watch?v=NdW9VpjlJNY&feature=related                                                                                               『この道』 http://www.youtube.com/watch?v=s8LjXlieY4I&feature=related                                                                                                                                                                                                                                           

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

 

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