読書: 『写楽 閉じた国の幻』 著者の謎解き方法論への共感
島田荘司著、新潮社、¥2500 通説への異論は思想であり人生観である。 迷路「写楽探し」を解く方法論の原点Keyは、島田が描き出す板元:蔦屋重三郎の心意気にこそある。
「Fortuin in,Duivel buitenn」(オランダ語)
「フォーチュン・イン、デヴィルズ・アウト」(英語訳)
「福は内、鬼は外」(和訳)・・・ 主人公佐藤が、あるきっかけ(上記の奇妙なサインのある江戸期の絵の発見)から、18世紀の大江戸で「福内鬼外(ふくうち・きがい)」と名乗ったと言われているあの著名人を追うことから始まる「写楽探し」は、とてつもない結論への序章だ(この線は結ばないのだが)。 何という壮大な、「通説」への異論の体系! 何という「開かれた」思考回路!もちろん島田説に脱帽し納得もしてしまふ。「専門家の写楽学」への挑戦であり、もちろん小説を超えて通用する説であり、在野の「学」の意地である。 けれども、島田説は、あれかこれかの謎解き選択に核があるではない。そこにあるのは、世の「通説」に、異を唱える者の・それに抗う者の、孤立無援の立ち位置だ。それは、謎解きを超えた生き様なのだ。選択ではなく、異次元への跳躍・「閉じた」発想からの跳躍なのだ。「通説」(この場合固有名詞の如何を問わず、「写楽」は絵師の誰かに違いないという通説)が生まれ、支持され、学ばれ、市民権を得て行く、その「閉じた」構造総体を相手に立たねばならないのだ。「通説」を生み出し、保障し、定着させる力・・・、「あれ」だ。 島田は、この「写楽探し物語」と島田版:蔦屋重三郎像によって、読者に、不遇と悲哀を甘受する「在野的学び」と「異論」の原点、「閉じた国」の闇を解く思考回路をこそ提示している。 写楽を探す際の前提は、「蔦屋によってヒットし」「有名」であるのに、何とも奇妙な下記①②③。そこを考えることがスタート地点だと島田は言う。 ①何故、何処にも写楽の存在や生活の痕跡が一切無いのか? 表に出せないのか? ②何故、誰も「俺が写楽だ」と名乗らないのか? 名乗れないのか? ③何故、誰も「実は彼が写楽だよ」と告げていないのか? 告げられないのか? 当時の江戸状況下で、①②③は、どういう場合に起こり得るか、そこを解いて行くべきだ・・・と、ここに島田の立論スタンスがある。 それは、ぼくが少しはかじる「古代史」でも同じで、例えば(ほんの一例だが)、学者によって五世紀天皇の誰かだとされる「倭の五王」に関するあれこれが、何故記紀に記載されていなのか? から考えてみる・・・とか。
ふと、『楽浪海中倭人あり』(漢書地理志)、『建武中元二年(57年)、倭奴国 奉貢朝賀す。使人自ら太夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす』(後漢書倭伝)、三世紀『魏志倭人伝』邪馬壱国、五世紀・宋への『倭王武の上表文』、607年隋への『日出処の天子』の国書、663年「白村江の戦」での「倭・百済連合軍」が「唐・新羅」に大敗北、そしてやがて「日本」が登場、旧唐書:《倭伝》のあとの《日本伝》『或いは云う、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併(あわ)せたり』・・・・・・、その「倭国」史の謎を思ふ。 それらの謎が、列島内部の「通説」・「公認史」をいくらひねくっても明らかにならず、前2世紀~7世紀までの全「東アジア史」の中に晒されて初めて、おぼろに姿を現すのだという、ぼくの日ごろのこだわりが頭をもたげる。 己が、組織が団体が党が国家が会社が家族が、自らを把握するには、他者の中に晒されねばならない。そこから逆照射するアングルが必要だ(個人としては、全く出来ていないのだが)。そうでなければ、「親バカ」的礼賛か近親憎悪をしか生まない。海・海峡・他国・他文化・他民族、互いに照らしあうその相互関係の俯瞰。それが是非とも必要な条件だと思う。現在日本の課題一例に即して言えば、沖縄に照らされ日本が在る、日本の闇を受けて沖縄が喘いでいる。その関係把握に、構図を解き明かす回路が垣間見えている。 ☆知念ウシさんはインタビューで次のように語っているが、日本-沖縄の関係の核心を突いている。 『沖縄は早く自立した方がいいなどと議論されますが』 『日本の方こそ、沖縄への依存をやめて独立してほしい。沖縄が自立を進められないのは、日本が沖縄という植民地に従属しているからです。植民地とは本国が依存するものです。』 (朝日新聞:8月24日付朝刊)
島田は、「通説」が生れる根拠に、副主人公片桐教授が言う「国粋主義」などが介在していることを明確に述べている。前例踏襲・ことなかれ・自己滅却と権威依存・・・それらの合体と永い時間、それが歴史的謎解きや「学問」世界をも「国粋主義」などに道を譲ってしまうのだと言っている。
「写楽謎解き」が、実ははぼくらの「通説」信仰の根拠を炙り出すのだ。
この国の歴史の謎解きに、神聖にして至高の権威が介在し、「アカデミズム」がなおその呪縛から解放されていないとすれば、この一書は大いに参考になるに違いない。
己を見つめ把握するに、教育・受信情報・友・師・親・・・我が身に棲む幾多の他者が必要なように、
列島古代史を論ずるに、「古代東アジア」の地政学的俯瞰が不可欠なように、
「写楽探し」には、当時の社会と世界、「閉じた国」からの跳躍が求められたのだ。
それにしても、島田の積年の慧眼と執念に思わず拍手してしまう。
主人公=佐藤が、片桐教授という「女神的存在」(しかも、彼女は生まれながらにして海を・血を・国を・閉じた属性を超えているのだ)に救われるという設定に、島田の「男の本質はマザー・シップである」(太宰)に似た、ことの本質に迫る者が抱える共通の想念を見た。
主人公佐藤は、挫折と現在進行形の不遇・失意・病に在って、「通説」なるものの「勝組性」を思い知らされるのだが、そもそもそうした「勝組」が真の「学問」であったためしは稀だ。あるいは逆に、ある不遇にこそ「異論」であって「真実」である宝が生きているものかもしれない。
「写楽探し」は実は何探しなのか? への考えが、読む前と読後で違うと読者が感じるならば、島田の目論みの九割は成功しているのだ。そして、ぼくはそうした読者であった。もっとも、島田説が学術的評価(多数派になれと言いたいのではない。こころある識者からの評価も生れて欲しいと思っている)に耐え得ると直感してもいる。 島田の「仮想」写楽が、中村座・市村座・河原崎座の寛政六年五月の興行(画はこの舞台だと特定されている)を、観ることが出来たのか否か? の結論に至るラストの大団円は中々にスリリングで楽しめもします。