歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために ①/5

「阿久・大野・ジュリー」組が駆け抜けた70年代最後の五年間

 ジュリーッ!                                                                                 ジュリー:沢田研二が歩いてきた途、トップには立たない途には、「どメジャー」を忌避する、ある「美学」があったと思う。                                                                                       考えてみれば、ジュリーは全盛期にも大いなるマイナーだった。いま、九条の危機を謳い、ネット上で、あれは非国民だと、                                                                                   下品かつ暴力的な攻撃に晒されているらしい。(YouTube に在った『我が窮状』は、何故か消去されていて、現在見当たら                                                                                                   ない。また、アップして欲しい)                                                                                          (あっ、Yahoo Videoにあった。http://video.yahoo.com/watch/3605408/9947720)←歌詞内容には疑義ありですが、それは別の機会に・・・

2009年8月稿 再録

70年代末、ジュリーは、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫の歌にピタリ乗って、いい歌唱を届けてくれた。それは日本の歌謡に                                                                                                へばりつく、いわば大衆的抒情とは「切れた(い)」という刃を秘めた歌詞群だった。事実、色恋・花鳥風月・故郷・家族的「情」                                                                                                                                                         希望や夢・別れ等を、聞き手に媚びて謳う従来の日本の大衆歌謡の歌詞とはどこか異質だった。                                                                                  阿久悠・大野克夫・ジュリーのトリオは、「よかった」「あんたの時代」の最後の時間が今、まさに終ろうとする日々を、                                                                                          何かに急かされ咳き込みながら、ひたすら駆け抜けたのだろか。ここでは、彼らが、75年から79年までの、わずか5年間に                                                                                          集中して世に出した、連作:全8作品を振り返ることにする。8曲のほとんどが、ある「終焉」を前にした者の「喘ぎ」のように                                                                                                       聞こえるのはぼくだけか?時代は、すでに曲がり角(70年前後)を曲がってからかなりの時を経ていた。そして、ぼくらが                                                                                                   三者の5年間の「歌パフォーマンス」の意味を味わって聴く間もなく、70年代があわただしく過ぎて行った。                                                                                                          (阿久悠が書く男性には密かに頷けるのだが、女性への照れ・茶化し・皮肉のような視線は、当時の我を見るようでつらいところだ)

『時の過ぎゆくままに』(75年) 「身体の傷なら直せるけれど 心の痛手は癒せはしない」                                                           http://www.youtube.com/watch?v=kYtRqhPEGh0&feature=related                                                                 『勝手にしやがれ』(77年) 「思い出かき集め 鞄につめこむ気配がしてる。」                                               http://www.youtube.com/watch?v=JX3dHdTt9OI&feature=related                                                                『憎みきれないろくでなし』(77年)「傷つけ合うのが嫌いだからと ずるずるみんなを引きずって」                               http://www.youtube.com/watch?v=0zn3zCCEaZs                                                                                                      『サムライ』(78年)「片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を」                                                                                http://www.youtube.com/watch?v=_Met9KGlyeQ                                                                                                            『ダーリング』(78年)「すべてがわかったといってくれ 世界中に発表してく」                                               http://www.youtube.com/watch?v=SMRn7IS-0mA&feature=related                                                 『LOVE抱きしめたい』(78年)「あなたには帰る家がある やさしくつつむ人がいる」                                 http://www.youtube.com/watch?v=d712HJnMX_Y&feature=related                                                                             『カサブランカ・ダンディ』(79年)「男がピカピカの気障でいられた。 ボギー、ボギー あんたの時代はよかった」                                                                        http://www.youtube.com/watch?v=PxT4-8AGfek                                                                    『OH!ギャル』(79年) 「女の辞書には不可能はないよ 女は誰でもスーパー・スター」                                http://www.youtube.com/watch?v=yBwgJxGAzpE&feature=related                                                  《今、文字ヅラを追えばいささか恥ずかしくもある・・・》  《若い人へ:ボギーとは映画『カサブランカ』などに出演した役者ハンフリー・ボガードです》                                         

93年のTVドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(緒形拳、裕木奈江)は、ポケベルで呼び出し合う時代の、中年サラリーマンと親子ほど                                                                                         年齢差ある女性との「不倫」ラブ・ストーリーだった。その頃にはもう初期携帯電話が普及し始めていたから、少し時代遅れの設定                                                                                       と思えたが、普及が、脚本から映像化までの時間を追い越して行ったのだと納得した。ぼくは、80年代初めには仕事上の必要から、                                                                                        高価な自動車搭載電話を持ち、やがて身近な誰も持っていない重い携帯電話を入手して「大社長か?」と嘲笑われた。                                                                                    現場関係の親方連中は皆持っていたのだが・・・。                                                               ( 資料:ポケベル・携帯電話の歴史←http://www.econ.fukuoka-u.ac.jp/~junji/rekishi.html )                                        今、言いたいのはそのドラマの男女関係のことではない。男女間の「緊急」かつ「やむにやまれぬ(?)」交信のアナログ性に込めた                                                                                     想いのことだ。ポケベルのディスプレイに表示される、送信相手を示すあらかじめ設定した数字以外には、字も言葉もない世界の、                                                                                             相手と己の「切実さ」や言葉を超える「言葉」のことだ。それは、主役の座を携帯電話・メールに奪われるポケベルの短命性と、                                                             移り行く伝達手段の男女関係以上に「はかない」過渡期性を暗示していて、両方のやがて来る「終焉」を告げていた。                                                                                         電話→ポケベル→携帯→メールへの、わずか40年弱の伝達手段の驚異の変化は、「ボギー、あんたの時代はよかった」と嘆く者を                                                                                                  嘲笑うようなスピードで進行したのだ。阿久悠・大野克夫・ジュリーが、5年間に喘いで吐いたものは何だったのか?                                                                                                さらなる、3D・新バーチャル・それ以上の、通信革命の世を生きる若者が、「ボギーの時代」を「よかった」と嘆けた阿久悠の時代                                                                                        は、ホントに「よかった」んだネと、嘲笑って言うかもしれない。阿久悠・大野克夫・ジュリーの70年代末の言葉(詞・曲・歌唱、その                                                                                               総体)は、ぼくにとって、「勤務会社偽装破産と職場バリケード占拠闘争」 「労組による自主経営企業設立」などと重なって                                                                                   いる時期だ。これに対し、『お前のここでの時間は、60年代の思い出かき集め」「ずるずるみんなを引きずって、                                                                                帰る家があることをいいことに、心に花束 唇に火の酒とうそぶいて、ピカピカの気障でいられる時間なのだろうが?』 と、                                                                                                      60年代の友から、暗黙の賛意とも揶揄とも言えない言葉を浴びて、ムカつきながら怯んでもいたのだ。                                                                                              けれど、なお辛うじて健在だった「総評」が、「共助」という労働組合の建て前(?)思想が、「自主」という「思込み」が、「このまま」の                                                                         神話であり続けていては、早晩破綻することを、阿久悠らの「喘ぎ」のように的確ではないにしても、薄々「予感」してはいたのだ。                                                                                   

今、ぼくには、未来に関して、ひとつだけ確かだと考えていることがある。人と人の交信のアナログ性が、                                                     後代から、「ボギーの時代」は「よかった」と嘆きも出来た阿久悠の時代こそ「よかった」んだと言われそうな、伝達・交信技術の                                                                                         「予想も出来ない新技術登場」に晒されても、人と人の交信が抱え持つ「切実さ」や、言葉を超える「言葉」⇒【言葉・行動・抗い                                                                                          ・共助思考・儲からない学・詞・曲・歌唱】 が、不要となったり、その座を別のものに譲り渡すことなどないのだと・・・。                                                                                                だから、あれそれこれは、復権できるのだと・・・。阿久悠は、そのことを言うために、「終焉」の前の「喘ぎ」を演じた(作詞した)                                                                                      のだろうか。それは、日本の歌謡にへばりつく大衆的抒情と「訣別」することを通してしか、出来はしないと考えたのだろうか。                                                                                  そして、それに、成功しただろうか? そこは各自の評価だ。

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