たそがれ映画談義: 『幕末太陽傳』、川島雄三、品川宿
幕末品川宿を駆け抜けた「居残り佐平次」、 川島は彼に何を仮託したのか。
『幕末太陽傳』(1957年、日活)
監督:川島雄三、脚本:田中啓一、川島雄三、今村昌平、 助監督:浦山桐郎、音楽:黛敏郎。
出演:フランキー・堺、左幸子、南田洋子、山岡久乃、金子信雄、石原裕次郎、小沢正一、芦川いづみ、小林旭、殿山泰司。
何という破天荒、何という爽快、何というアナーキー、何という豪華キャスト。主演フランキーはこの年の賞を総なめにした。
尊王攘夷の志士とその行動、幕末という時代、そして現代をも相対化する川島流反権威の表現であり、相対化の対象は、
国家・体制はもちろん、会社(日活)、尊皇攘夷の志士(現代の自称「革命党」も含めて)まで、全てが含まれる。 その立脚点は「したたかな町人」である。 (映画サブタイトルは「乱世を喰う男」であった。)
刀を抜いた高杉晋作に向かった佐平次に語らせる、あんたらは百姓・町人から絞り上げたお上の銭で、やれ勤皇だ攘夷だと騒いでいるが、こちとらそうは行かねえんでぃ、『首が飛んでも動いてみせまさぁ!』 と。
当時、二度とあり得ない組合せだと言われたスタッフ・キャストが日本映画に残した足跡は、 今も敬意を込めて語り継がれている。
北の吉原・南の品川と言われた品川遊郭。幕末品川宿の雑踏と嬌声と、維新直前の殺気と緊張感・・・。 当ブログのタイトルを軽く「たそがれの品川宿」と命名してしまい、「品川宿:居残り野郎」と自称してしまった当方は、 品川宿の我が庵で、 川島が幕末を借りて描いた混沌に我が身が覆われるのを日々感じていたのだ。
過日、改めて本作を観て感嘆・脱帽・恐縮でございます。恐れ入りました。
戦後日活第一次再建(1953年)の経過、再建三周年の本作制作時、日活からの、 スター級を脇へ押しやったこと(快挙)への異論、制作費を巡る強い要請、等々・・・・
この辺りの概略は「川島雄三傳」 ← http://www.sadanari.com/k-sakuhin/baku-st.html に詳しい。
45歳で早逝した川島雄三の足跡。TV「驚きもものき20世紀」:『川島雄三「サヨナラだけが人生だ」』より (是非ご覧あれ)【削除されるかも】
お忙しいむきには、③だけでも観て下さい。
石原裕次郎(高杉晋作)と フランキー・堺(佐平次) 川島雄三(後方) 演出風景。 (左端:川島)
スタッフ・キャストの猛反対で川島が折れ、実現しなかった「幻のラストシーン」:
【佐平次(フランキー堺)が撮影セットを突き抜け、スタジオの扉から外へ出て、現代(57年)の品川の街並みを
<ちょんまげ>頭のまま走り去って行く。 映画の登場人物が現代の格好で佇んでいる・・・】
佐平次のように時空を突き抜けたいものだ。
本来、時代は地続きなのだ。 ← http://www.yasumaroh.com/?p=1738
川島雄三の『幕末太陽傳』は、昔々池袋の文芸座で観たような記憶がありましたが鮮明ではありません。
TV「驚きもものき20世紀」:『川島雄三「サヨナラだけが人生だ」』よりを観ましたが、面白かったですね。