排外主義の詐術: 石原よ! 誇るなら、「古代合衆国」たるを誇れ!

石原慎太郎よ! 誇るなら、ちょっとは勉強して
『「古代合衆国」たるを誇れ!』
   「日刊ゲンダイ」によれば、4月17日、東京都知事石原慎太郎が、毎度ながらの
国家主義・排外主義に基づく差別妄言(それも不勉強な)を繰り返している。
(「永住外国人への地方参政権付与」に反対する全国地方議員の決起集会)
 記事によると、発言は次の通り。
「(この会場に)帰化された人、そのお子さんはいますか」      「国会はずいぶん多い」
「与党を形成しているいくつかの政党の党首とか与党の大幹部は、調べてみると多いんですな」
「その子弟たちが、ご先祖への義理立てか知れないが、日本の運命を左右する法律をまかり通そうとしている」
記者が根拠を訊くと、
「インターネットの情報を見るとね。それぞれ検証しているでしょう」
つまり、ネット上の誹謗・中傷やウワサの類の情報をもとに、ペラペラしゃべっていたのだ。
(何のことはない。参照先が2チャンネル他のネット情報だと白状している)
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 記事にある「帰化」(石原発言)(「国籍取得」とか「変更」と言わないのだ)という言葉に込められた支配者論理と排外性と、
「帰化された人」の「お子さん」と言われるのは心外だ・誹謗・中傷だ、とする側に
もし、「いや違います。日本人ですよ」と言いたい衝動があるのなら、                                                              そこに秘められていよう差別性について、考えたい。そこは、
次の機会に譲るとして(記事執筆者には字数制限もあろうし)、ここでは石原論の虚構について述べたい。
     「帰化」という語句の本来の意味は「君主の徳に教化・感化されて、そのもとに服して従うこと (ウィキペディアより)   
石原に限らず、この種の国家主義・排外主義・民族主義者(日本民族など虚構だが)の背景には、
もちろん、彼らの「日本人」という抽象(擬民族)の確立願望と、「日本国」という政治・経済・社会の単位があり、
それらに照らして、それら以外のものを嫌悪し排外するのだ(「他者排外による自己確立の思想」)。
だから、その「日本人」という不動のものが揺らいでは
己の「主義」や「国家」の根幹が揺らぐことになる。まずは「日本人」という抽象の根幹をどうしても守りたいのだ。
では、そもそも、その「日本人」とは一体何のことなのだ?
 
参考資料を提供しまっさ。偏っているという常套句を返されても辛いので、国立機関の資料ですヨ。
☆『日本人はるかな旅展』 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/index.html 国立科学博物館。
☆『倭人の形成』 http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/wajin.html 九州大学ミニミュージアム。
 
 ①
日本人なるものを、もし無理やりに「括る」ことができるとするなら、
少数先住民「縄文人」(多種多様であろう)と
大陸と半島と他から渡って来た多数渡来人(これまた多様な)との実に多様なミックスである。とでも言うしかない。
近年、最新のDNA解読などからもこの列島に生きる人々の形成要因が、どんどん明らかになって来ている。
縄文末期(4500年前)の列島内先住民の人口は、推定25万人。繰り返された人の流入と稲作開始(*2500年以上前の、                                                              苗代式水田跡は、岡山県総社・大阪府茨木牟礼・福岡県板付・他など各地で次々発掘されている。                                        多元的なのだ) による食糧事情の変化で増加し、弥生時代半ばの人口は60~75万人と推定されている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                           (古墳時代末までの渡来人の総計は、百数十万人以上と言われている)←http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_08yayoijidai_no_toraijinn_no_kibo.html
BC2世紀前後、半島南端部・洛東江流域の古代国家・伽耶の一勢力、                                                                     自由に往来して北部九州にまで影響力を持っていた海の民の一群が、半島内情勢に押し出されてか、
良好な稲作地を求めてか、列島覇権と先行渡来勢力(?)「オオクニ」打倒を目指してか、波状的に北部九州に移住したようだ。                                                                        古事記に言う『天孫降臨』的事態(紀元前後か)とは、現在の天皇家との関係はともかく、この一例の反映だろうと言われている。                                                                                           そして、古事記自身が、自分たちの故地は伽耶(洛東江両岸)だと告げている。                                                                      (例:カラクニに向かひて真木通り=伽耶(?)に向かって一直線に真っ直ぐ)  (いずれ詳述)
BC1世紀前後の東アジア世界を伝える「漢書地理誌」が、「楽浪海中倭人あり」(「倭」という語の初出)と記した「倭人」だが、
彼らは、古代フェニキア(現レバノン辺りを出自とするセム語族。各古代帝国の狭間各地に点々と根拠地を建設した地中海広域海洋民族*)    のような、海の民であった。 (余談:日産自動車社長:カルロス・ゴーン氏はフェニキア人の末裔であることを誇っているそうだ))                                                                                  その本拠は伽耶、準本拠が北部九州。(海の民=倭人=アマ、いずれ詳述)
 *フェニキアが建設した都市国家『カルタゴ』は、ローマを脅かしたハンニバルで有名。                                                                                        ⑤
後代の「魏志倭人伝」が記す3世紀の「邪馬台国」(正しくは「邪馬壱国」)も、後年「倭国」と称される国も、一貫して博多湾岸に在り続けた。その論証は、考古学的史料(出土物・史書・他国史料・他)から明らかだが、それは別の機会に譲る。                                                        ここでは、「魏志倭人伝」の中から得た、いくつもある確信のうちのひとつを言おう。(他に、行程記述、部分記述、総距離記述、等)                                                                                          長くなるので全文は省く(魏志倭人伝全文→  http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html )       
魏志に書かれた「その北岸狗邪韓国に到る」の「その」は、文脈から「倭の」以外ではありえない。 すなわち、「倭国の北岸は狗邪韓国(伽耶)だ」と言っている。「倭」地内の北岸部分が「狗邪韓国」-「伽耶だ」と言っている。前節の「韓伝」末尾には「南、倭と接す」とある(そう結んで倭人伝に移る)。接している、つまり地続きだと言っている。これを総合的に読めば、海峡の両岸に勢力圏を持つ海洋域=「倭」の実像が浮かび上がる。
 ・ちなみに「倭」の発音は「ヰ」ないし「イー」であり、後の「邪馬壱国」の「壱」も、中国読み「イー」・朝鮮読み「イ(ル)」周辺の音。呼称の 連綿たる踏襲は、存在の一貫性を暗示している。ヤマトが国名を「日本」としたのも、音「イー、イ(ル)」の「日」を当て、正当な後継者だと示す為の工夫だった、と言う研究者をぼくは支持する。                                      注:「邪馬」は「鮮卑」「匈奴」など同様の、中国からする属国呼称に付けた卑字。
☆いずれ、ぼくの「石原への全面反論」を提出します。(いずれ添削の上、)
  とりあえず、今回は骨子を述べます。
 
ぼくも石原も、天孫降臨の直系であってもそうでなくても、先住民の末裔か、伽耶出自の半島人の直系か、その混血か、
あるいは中国・朝鮮半島各地・他からの渡来の人々と先住民との混血者の末裔である。
「私の言う日本人とは、もっと後代の時代に居た人々のことだよ」と言うなかれ、 
801年から数次に亘って坂上田村麻呂が「成敗」したとされる、蝦夷とは何だ?
(789年にはヤマトが大敗もしている列島北部に居た大勢力だ)
和睦の果てに騙し、都・京に連れ来て処刑した「アテルイ」とは誰だ?公家らが、風貌・骨格・習俗の違いをさんざん「野性獣心」と評したという。                                      その時代の列島内に、ヤマトが御し難い異民族が居たことの証左でしょう。
「いやさらに後代だよ」ってか?
独自の歴史と文化と王朝を持ち、大和・明と等距離交易をなした琉球は?「琉球人」は? 列島内に永く住まう他民族は? 
 多民族共生というKEYワードなど塵芥症のあんたには届くまい。
もういい。結局、あんたの言う「日本人」とは「列島内マジョリティ」しかも、
「権力を持つ側の意向を守る(又は推進する)側に立つ人」 と要約できる人々のことだ。
「まつろわぬ民」があんたの言う「非日本人」なのだ。だから「帰化すりゃいいんだよ」となる訳だ。
「帰化」とはすなわち、アイデンティティの変更または放棄なのだ、そして「あんたが言う日本人」になれという
強制のことだ。                                                                                                                     その上しかも、「帰化された人」の「お子さん」と、本音を秘めた言葉を慇懃無礼に駆使して、
暗に「帰化」してもルーツは忘れないぞと、「日本人」にいつ敵対するか「日本人」をいつ裏切るか、目を離さないぞ、と恫喝しているのだ。 
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 「楽浪海中」の「倭人」の子孫を、「天孫降臨」によって戴いた民は、
その「天孫」を尊重するか否かを問わず、せっかくの「古代合衆国」という得がたい価値を、
二千年かけて消し去ったのだ。
ぼくが言いたいのは、「天孫」のことではなく、海峡をまたいで生きていた「海の民」の、
その今日的課題に即した復権のことだ。いや、彼には解らんでしょ。いずれ詳述する。
ジョルジュ・ムスタキの爪の垢でも煎じて飲みなさい!← http://www.yasumaroh.com/?p=3391
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現代の「国家主義」「民族主義」「排外主義」が、天皇・日本人・日本国などに支えられている限り、
その形成過程にまで遡って切開しなことには、この列島に住まう者の根っこに在る「合意」を糾すのは難しい。                                                                                                                                                                                               教科書記述包囲網と教育界の「常識」、永く蓄積された社会の「合意」。それを覆すのは気の遠くなることではある。
西欧に触れそれと向き合い圧倒され、それに対抗する「方法論」として、                                                                                   「神国日本」「天皇」「大和魂」」などを持ち出す誘惑に駆られながら、                                                                      決してそうはしない見識を、自他との格闘を通して手にした明治人(の一部)は、本当に偉い!と思う。
漱石先生は、こう言っている。
『東郷大将が大和魂を持っている。魚屋の銀さんも大和魂を持っている。
 詐欺師、山師、人殺しも大和魂を持っている。誰もみたものはない。
 誰も遭った者がない。』 『大和魂 それ天狗の類か』 (「吾輩は猫である」1906年)   ←  http://www.yasumaroh.com/?p=1738
啄木は、こう嘆いている。
『地図の上朝鮮国にくろぐろと 墨を塗りつつ秋風を聴く』(1910年) ←  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-2.html

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