交遊通信録: 『地中海人』 『境界をまたぐ越境人』、 と労働運動。
二つの集まりに参加する目的もあって、仕事の区切りを調整して帰阪した。
そのひとつは、学生期の古い知人=某労働組合役員T氏の新たなスタートの激励会。
もうひとつは翌日の、民族差別を煽り、不況下の若者の憤懣を排外主義へと誘導する
「ネオ・ナチ」的団体の「逆草の根」運動への、抗議・反撃の京都:円山野音での集会だ。
両方の集まりで某大時代の古い友人達と会った。
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「激励会」は企画当初に、気のおけない仲間による居酒屋での集まりと聞いていたのだが、
T氏の立場・役職・運動の質と幅広さ・人柄などから、そうはならず多人数の会であった。
公務員の労働運動に在って、T氏は民間・下請・少数者の労働運動との相互乗り入れ、
労働運動の外側の様々な運動(部落・在日・沖縄・人権・平和)への取組を通じて、
大阪の自治体労働運動が相対的左派であり続け、運動領域の相対的広がりへと歩む
その牽引車であったと参加者からの賛辞が続いた。
某大からいわゆる「労働戦線」へ進んだ者はかなりいるが、T氏の組織内外での
「セイジ」や「清濁併飲」もあろう、いわば「原則と応用」に腐心した活動を想うとき、
「労働運動をした」と言える数少ない人物だと思う。
歴史に名を残す「名委員長」だろう。こころから「ご苦労様」と申し上げたい。
(ぼくはと言うと、目的意識的に「戦線」へ行ったのではなく、民間零細での、思いつきとヤケクソの劇場(激情)型争議をしたに過ぎない)
T氏は「**委員会」の労働者側**や、労働における人権をサポートするNPO団体など、
新たな場で活動を続けるという。だから激励会だと主催者が言った。なるほど。
68年、当時としてはめずらしい学生服姿のT氏と長時間話した記憶がある。
その記憶から、会の参加者発言の激励言辞までの彼の数十年の時間、
そこに流れるある「一貫性」に敬意を表します。
某大学***の突**長 M氏によれば、
「高校時代剣道していた T はムチャ強かった。逃げない下がらない。
ワシは最も信頼していたんや!」、だそうだ。
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円山公園の集会の方は、900名(主催者発表)の参加で、
円山公園から、日曜日で賑わう 四条河原町、解散地点:京都市役所に向かう。
「多民族の共生社会を」
「高校無償化から朝鮮学校を排除するな」
「在特会らの朝鮮学校への襲撃を許さないぞ」
「ネオ・ナチ団体による市民への攻撃を許さないぞ」
「排外主義は戦争への地ならしだ」
などプラカード掲げシュプレヒコールを続け、デモした。
要所交差点には、コスプレ軍服を着た「在特会」の若者が
「日本人の誇りを棄てるな」とか「恥を知れ!」と叫んでいる。
不況・失業・社会的不安・・・そこに「排外主義」「愛国主義」が周到に分け入る。
倒錯した怒りが少数者・異邦人に向かう・・・・、繰り返されてきた構図だ。
何が「誇り」であり、何が「恥」なのかを「知る機会を奪われた」若者の言動が悲しい。
デモの後「K大校友連絡会」のメンバーは「精進料理」(実に美味かった)の店に向かった。
(店主は89年に浄土真宗の得度<僧侶になる儀式> を得た女性僧侶、工藤美彌子さん)
酒が入ると、その日はめずらしく
プロレタリア独裁・搾取・疎外・強制力・暴力装置・・・・一部、20世紀の死語(ぼく的には?)も登場。
何とも学生っぽい議論に花が咲いたのだが、
目指すべき社会について
①出版・放送・言論・表現の自由。自由な選挙による議会制度(単独政党制の排除)。
②市場経済と「市場の失敗」に対応する公共部門と、公的規制。
③権力から自立した、労働運動・市民運動の保障。
④社会保障・社会福祉・セイフティネット。
(熊沢誠、1993社会新報ブックレットから剽窃)
を言いかけたところ、すぐさま
『まさに今日我々が対峙してきた団体の「表現の自由」も例外なく承認するのか?』
『あのような自称「市民運動(?)」を強制排除しないのか?』
『旧体制へ戻ろうとする労働運動が登場するだろうがどうする?』
と返された。弱いところを突かれて困った。
学生期・労働運動・争議・職場バリケード占拠・自主経営・・・その都度「負け続けて」来た。
そして「負け続けることをやめ」ようとは思わない。
けれど、その日々からぼくなりに掴んだ①~④は、ぼくなりの仮到達だ。
『品川宿君はいつまでも「夢見る夢子ちゃん」やなぁ~。人々の善意を前提にするのは勝手だが、
悪意やその暴力を考慮していない「論」には、説得力おまへんヨ!』 う~ん・・・。
周りに、意外なほど「原理主義」(?)が生きていることに驚いた。
それぞれの時間に育まれた思想が、もし
その道中の「体験」や「現実の政治」や「運動」に晒されておらず、
つまり、「現在」と「これまで」の自身とは無縁に、過去の「教条」として持ち出されているのなら、
聞く必要もない。
だが、決してそうではないようだ。みな「ひと通り」見聞きし身に刻まれたことあった上で言っているのだ。
20世紀の社会主義国が、ほぼ例外なく「一党独裁」「自由選挙による議会の不在」
「労働運動や市民運動の不承認(あっても完全統制下での)」によって運営されて来たのは事実だ。
そのミニチュア構図も、それぞれの「左翼体験」(?)で痛く知ってもいよう。
次の機会にヒントを貰おう。
粛清と収容所、暴力と強制移住、人間と人の創意の圧殺・・・なぜそうなるのか?を、
その問いを回避しては成るはずのない、何と命名しようがいいのだが「在り得べき」人の社会を、その構想を・・・。
たぶん、いま関わる行動や考え自体の中にも、自身の日々の「労働」「生活」その運営思想の中にも、
それは含まれていなければならないと思うからだ。
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「激励会」のT氏のスタートも、ぼくらのフリー・ジジイの冷や水も、
ジョルジュ・ムスタキの『地中海人』や 金時鐘の『境界をまたぐ越境人』と
手を繋ごう・組もうとする想いを共有する限り、そして、運動内の在るべきカタチを模索する限り、
全く別のことをしているのではない・・・、そうでありたい。 もちろんT氏は労働運動とその関連で、ぼくらは仕事や生活の合間にと大いに違うのだが・・・・・
(Photoは、左:コスプレ軍服の青年。 右:解散地点の若干の混乱)