彷徨う友へ: カルメン・マキ ふたたび

カルメン・マキ
2月20日(土)、カルメン・マキさんが、いちばん多く公演に使って(愛用して)来た横浜・桜木町のドルフィー。
当方、某シーサイドの工事現場事情が流動的で予約できなかったのだが、
日ごろの行いが良いのか、現場(当日は、ガラス屋さんの工程)作業が
5時前に終わり、片づけをして6時から横浜へ向かったよ。
幸い京急で一本、京急横浜の二つ先の駅「日の出町駅」下車徒歩3分、
開場10分後に到着。
                                                   前回に続き、喜多直毅さん作曲の「ありがたき 不幸せ」に感電。
不安定な音階を漂う歌はあがた森魚をふと思い出させるも、
もちろん喜多・マキの独特の雰囲気。
当夜はその喜多直毅さんがヴァイオリン奏者として参加、幸運。
この歌、CDにならんのかねぇ~。
喜多直毅・・・・天才だ! ← http://web.me.com/nkita/NAOKI_KITA/Top_Page.html
 
当日カルメン・マキさんは黒装束で登場。 ひと言「喪中ですので・・・」。
やはり浅川マキさんのことで、「かもめ」と「ふしあわせという名の猫」を唄った・・・
眼にはいっぱいの泪が溢れていた。
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【カルメン・マキ ブログ 1月22日。より転載】
浅川マキさんは私にとって今更言うまでもなく特別な存在・人であり
私がこうして歌ってこれたのもマキさんがいたからだと言っても過言ではない。
私が多大な影響を受けた日本では唯一の歌手である。
他にも素晴らしい人はたくさん居たし今も居るけれど誰もマキさんには及ばない。
40年前、今にして思えばマキさんの第1回目のあのステージを
今は無き新宿「蠍座」で体験した時に(そう、あれは体験だった)
すでに私の歌手人生は決まっていたと言ってもいい。
あの時から浅川マキさんは私の指針だった。目標だった。
でも誤解してほしくないのは、私は浅川マキになりたいわけではないし、
なれるものでもないし、なりたいと思ったこともない。
マキさんの、唯一無二の確固たる自己表現に衝撃を受け胸を打たれたのだ。
私には何ができるのだろう・・・と。
そうしてあれからの長い道のりの中で、あっちへ行ったりこっちに来たり
紆余曲折あって試行錯誤を繰り返しながら辿り着いたところは
私はいつも、どんな時も、私自身であるべきだ ということ。
そしてそれは当り前のようでいてとても難しいことでもあるということ。
マキさんはそれを私に教えてくれた。 
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彼女は大の映画ファンでブログなどで鋭い映画評を書いている。
当夜は大好きな映画からと言って『道』監督:フェデリコ・フェリーニ。 主演:ジュリエッタ・マッシーナ)の主題曲を歌ってくれた。
ジェルソミーナの薄幸の生涯が浮かんでくる素晴らしい歌唱だった(確か、作詞はマキさん自身のはず)。作曲:ニーノ・ロータ。
 
 
カルメン・マキ略歴がドルフィーのHPにあるので、興味あれば覗いて下さい。
コアなファンが寒風の中、遠方からやって来ていて、
バーボンも進む、幸せないい夜でした。

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