Archive for 2月, 2010

たそがれ映画談義: 教えてくれた 夫婦の絆・意味・価値

『ぐるりのこと』 08年。監督:橋口亮輔、出演:リリー・フランキー、木村多江

待望していて身籠った子の死から、こころのバランスを崩しやがてこころを病んで行く妻、
その妻を何とか支えようとする夫。妻が再生への入口に立つまでの日々を描き、                                  
             夫婦ということの絆の意味を見せてくれた。                                                                  作者は言っているのだ、夫婦は究極の同志・戦友でもある、と。                            

靴修理の仕事から「法廷画家」に転職した夫は、
最近の、凶悪・悲惨・冷酷犯罪の裁判と関係者を目の当たりにする。
作者は、人や社会との関係も成立し難い病に沈んで行く妻を支えようとする夫の、
こころを広げ浄化し高めて行ったものが、逆に「法廷」で知る眼を覆いたい事実だったことを通して、
ある「可能性」を示したかったのだ。
事件の悲惨、被害者の無念や打ち砕かれた未来・希望、加害者のこころの闇、・・・・                      その「公的」意味を自己の内に刻み蓄積できた者だけが持ち得る、ある「可能性」を・・・。

私的ラブ・ストーリーであり、公的社会性を抱えた物語だ。
繊細な描写、丁寧な映画作りに感心しました。
リリー・フランキー演ずる夫。「ええ男」とはこういう人のことだと思う。

彷徨う友へ: カルメン・マキ ふたたび

カルメン・マキ
2月20日(土)、カルメン・マキさんが、いちばん多く公演に使って(愛用して)来た横浜・桜木町のドルフィー。
当方、某シーサイドの工事現場事情が流動的で予約できなかったのだが、
日ごろの行いが良いのか、現場(当日は、ガラス屋さんの工程)作業が
5時前に終わり、片づけをして6時から横浜へ向かったよ。
幸い京急で一本、京急横浜の二つ先の駅「日の出町駅」下車徒歩3分、
開場10分後に到着。
                                                   前回に続き、喜多直毅さん作曲の「ありがたき 不幸せ」に感電。
不安定な音階を漂う歌はあがた森魚をふと思い出させるも、
もちろん喜多・マキの独特の雰囲気。
当夜はその喜多直毅さんがヴァイオリン奏者として参加、幸運。
この歌、CDにならんのかねぇ~。
喜多直毅・・・・天才だ! ← http://web.me.com/nkita/NAOKI_KITA/Top_Page.html
 
当日カルメン・マキさんは黒装束で登場。 ひと言「喪中ですので・・・」。
やはり浅川マキさんのことで、「かもめ」と「ふしあわせという名の猫」を唄った・・・
眼にはいっぱいの泪が溢れていた。
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【カルメン・マキ ブログ 1月22日。より転載】
浅川マキさんは私にとって今更言うまでもなく特別な存在・人であり
私がこうして歌ってこれたのもマキさんがいたからだと言っても過言ではない。
私が多大な影響を受けた日本では唯一の歌手である。
他にも素晴らしい人はたくさん居たし今も居るけれど誰もマキさんには及ばない。
40年前、今にして思えばマキさんの第1回目のあのステージを
今は無き新宿「蠍座」で体験した時に(そう、あれは体験だった)
すでに私の歌手人生は決まっていたと言ってもいい。
あの時から浅川マキさんは私の指針だった。目標だった。
でも誤解してほしくないのは、私は浅川マキになりたいわけではないし、
なれるものでもないし、なりたいと思ったこともない。
マキさんの、唯一無二の確固たる自己表現に衝撃を受け胸を打たれたのだ。
私には何ができるのだろう・・・と。
そうしてあれからの長い道のりの中で、あっちへ行ったりこっちに来たり
紆余曲折あって試行錯誤を繰り返しながら辿り着いたところは
私はいつも、どんな時も、私自身であるべきだ ということ。
そしてそれは当り前のようでいてとても難しいことでもあるということ。
マキさんはそれを私に教えてくれた。 
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彼女は大の映画ファンでブログなどで鋭い映画評を書いている。
当夜は大好きな映画からと言って『道』監督:フェデリコ・フェリーニ。 主演:ジュリエッタ・マッシーナ)の主題曲を歌ってくれた。
ジェルソミーナの薄幸の生涯が浮かんでくる素晴らしい歌唱だった(確か、作詞はマキさん自身のはず)。作曲:ニーノ・ロータ。
 
 
カルメン・マキ略歴がドルフィーのHPにあるので、興味あれば覗いて下さい。
コアなファンが寒風の中、遠方からやって来ていて、
バーボンも進む、幸せないい夜でした。

読書: ねじめ正一著『荒地の恋』

ねじめ正一著 『荒地の恋』(文芸春秋、¥1800)を読んだ。
面白かった。痛ましかった。羨ましかった。
 
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 戦後詩を牽引した「荒地」(あれち)。
識者は、戦後詩の出発も完成も「荒地」の同人達の手によって成ったといっても過言ではない、と言う。
同人は、田村隆一・鮎川信夫・衣更着信・黒田三郎・中桐雅夫・北村太郎・吉本隆明ら多士済々。
実際、文字通り現代詩・戦後詩の格闘の最先端に立って、詩的荒野を切り開いた面々だ、と聞いた。
『荒地の恋』は、「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」
http://d.hatena.ne.jp/exajoe/20070524)と詠った詩人:田村隆一の、
その妻:明子と、 田村の学生時代からの親友にして「荒地」同人:北村太郎との
「熟年」の「不倫」の「恋」を描くのだが、
罪深くスリリングで、耽美で破滅的な関係を描きながら、
炙り出され浮かび上がる背後の「荒地」世界・・・。
還ってゆくところ魂のふるさとは、「荒地」なのだという身に刻印された宿業と、
明子も太郎も、当人たちの関係よりも結局は「荒地」を愛したのだという屈折と、
そのてっぺんには田村隆一という巨壁がいたという事実と、
最初の妻(あなた、わたしを生きてくれなかったわね)と息子を  同時に喪い、
忘れる日などない北村の喪失感と、
・・・・と、     ・・・・と。
後半残り三分の一に来て、俄然引き込まれる。泣けて困った。
「荒地」の面々が次々逝く。黒田三郎・中桐雅夫・鮎川信夫・・・・そして北村太郎本人。
人は、願おうが願うまいが、死に向かって生きているということの無常が迫る。
お互い激しく罵り合い陰口を叩き合い、信頼しあった仲間・戦友・・・
人は、男も女も、皆、それぞれの地でそれぞれの暮らしに在って、それぞれの課題にそれぞれの方法で、
それぞれの闘いを生きて来たのだ、今もそのはずだ。
むろん、ぼくの場合は、たそがれるのが精一杯の 品川宿居残り野郎。
『荒地の恋』は、彼ら「荒地」派の 死に向かって生きる(生き抜く)魂を淡々と描いて秀逸。
われらは、こんな「戦」友を持っているだろうか・・・。
友はぼくを友と思っているだろうか・・・?
人生は、死までのモラトリアムなのだろうか・・・?
(添付の田村隆一・北村太郎の画像、ええねぇ~! 世界を相手にする者の顔だ)
【荒地派、没年】
黒田三郎:1980年1月(60歳)
中桐雅夫:1983年8月(63歳)
鮎川信夫:1986年10月(66歳)
北村太郎:1992年10月(69歳)
田村隆一:1998年8月(75歳)
衣更着信:2004年9月(84歳)
追記
吉本隆明:2012年3月(88歳)

ベルリン-共同から: ドイツ市民 ネオナチ・デモを阻止

【ベルリン共同】-東京新聞
 
第2次大戦末期に英軍のじゅうたん爆撃で廃虚となったドイツ東部ドレスデンで、
空襲から65年を迎えた13日、極右ネオナチが追悼を利用したデモ行進を計画したが、
1万人以上の地元市民らが「人間の鎖」で阻止した。

 空襲をナチスのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)になぞらえ「爆弾によるホロコースト」と主張するネオナチなど約5千人が、ドレスデンの新市街などに集結。

 これに反対する市民らは、戦災の象徴・フラウエン(聖母)教会がある旧市内への極右の侵入を阻止するため、人間の鎖をつくったり座り込みをした。衝突回避のため、数千人の警察官が出動。双方の計約30人が拘束され、警官15人を含む計約30人が軽傷を負った。市内各地では同日、反ナチスのシンボルの白いばらを献花するなどさまざまな追悼行事が行われた。

 
 
日本ではどうか?
排外主義を前面に掲げた、聞き慣れぬ(最近はそうでもないのが困る)名称の会が、若者を中心に、
渋谷駅頭などで街頭行動をしている。民主党:小沢幹事長なども「中国の手先」「参政権付与は売国奴の言い分」として糾弾対象だ。
こういう動きが、逆「草の根」として育つ可能性・風土を、変えて行く言論と行動の側に関わっていたい。
若者が晒されている、「使い捨て派遣」や「即戦力新人」の強迫を強いる雇用状況・・・、
彼らのやり場のない憤激が、排外主義へと向かう世情を危惧する。ほくそ笑む日本版「ネオ・ナチ」が見えるから・・・。

たそがれ映画談義: 若者の時間

練り上げられた脚本、役者がその作品や登場人物に共感している作品というものは、
やはり観る者のハートに届き、いつまでも繰り返し思い出し味わうことが出来る。
観る者の、その後の人生に影響を及ぼさずにはおかない宝物が詰まっている。
下記に挙げた五つの群像劇(映画とTVドラマ)にはそれがあったと思う。
学生期の、揺れてぬかるむ「道」、求めて得られぬ「答」、届くことのない「想い」・・・
その日々は特権であり、贅沢であり、彷徨であり、幸いであり、モラトリアムである。
優れた映画は、その貴重な時間の得難さと価値を再認識させてくれる。
 
 
【Goo 映画紹介より】
 
『帰らざる日々』
シナリオ作家を志しながら、キャバレーのボーイをしている青年の現在と故郷の高校時代の青春を描く、
中岡京平の第三回城戸賞受賞作「夏の栄光」の映画化。
(78年、日活。脚本:中岡京平、監督:藤田敏八、出演:永島敏行・江藤潤・浅野真弓)
 
『サード』 (この紹介文、ぼくには、ちょいクエスチョン? です)
一人の少年院生が、少年と大人の狭間を彷徨しながらも、成熟に向って全力で走り抜ける姿を描く、
軒上泊原作「九月の町」の映画化。脚本は「ボクサー」の寺山修司。
(78年、ATG。脚本:寺山修司、監督:東陽一、出演:永島敏行・森下愛子・吉田次昭)
 
 
『ヒポクラテスたち』
京都府立医大を卒業した大森一樹監督が自らの体験をもとに、大学病院での臨床実習を通して、
医術を身につけていく若者たちの青春群像を描く。
(80年、ATG。脚本・監督:大森一樹、出演:古尾谷雅人・内藤剛志・伊藤蘭・斉藤洋介・柄本明)
 
『ダウンタウン・ヒーローズ』
旧制高校生(戦後学制改革直前の最後の旧制高校生)たちの恋や友情などの青春群像を描く。
早坂暁原作の自伝的同名小説の映画化で、脚本は山田洋次と朝間義隆が共同で執筆。
(88年、松竹。監督:山田洋次、出演:中村橋之助・薬師丸ひろ子、柳葉敏郎、石田えり)
 
『白線流し』
ひとつの高校で昼間と夜間で同じ机を共有していた男女の学生がお互いにひかれあう出会いを軸に、
                         地方の高校で懸命に生きる若者たちの姿・・・ 
                         (96年1月~3月、フジTV。脚本:信本敬子、出演:酒井美紀・長瀬智也・柏原崇・馬渕英里何)
 
 
 10年ほど前、『白線流し』をレンタル・ビデオ店で借りて来て録画していたら、
大学に通う息子から 「ええ歳して、何を録画しとるんや? アホ臭い」と嘲笑れた。
「人に頼まれてな・・・」と返したが、バレたようで恥ずかしい想いをした。
渉(長瀬智也)と園子(酒井美紀)たち群像の、地方都市に生き残っているかも・・・の
痛い「青春」を描いて稀に見る秀作だった。                                      後日、それを再生して観ている息子を現認。 むろん報復した。                                    
「ええ歳して、何観とるんや?」・・・。 息子はバツの悪い顔をして無言だった。
その息子は、五年前、四年間勤めた外食産業を辞め不足する教職単位取得に専念、
翌年、某市立中学の国語教師になった。

TV画像とスピッツによる主題歌を採録:                                                                                                                              http://www.youtube.com/watchv=d44630XkPgk                                                                                                                                 http://www.youtube.com/watch?v=P-I9Tn6RL0Q                                                                                                                     http://www.youtube.com/watch?v=uHt6-yOLuIM&feature=fvw

歌 遊泳: 栄光に向かって走る

ブルーハーツ
  THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)は、
80年代後半から90年代前半にかけて圧倒的な演奏歌唱を繰り広げ、95年に解散した。
約10年という短い時間を駆け抜けた 奴らの、その足跡は永遠である。
奴らの歌が、日本中のどれほどの少年少女(とぼくら大人)の「生」に光を当て、本来の熱を蘇らせたことか・・・・。
 
ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから
人は誰でも くじけそうになる あゝ 僕だって今だって
『トレイン・トレイン』88年) http://www.youtube.com/watch?v=gbTawfvtHWs&feature=related                                                                        栄光に向って走る あの列車に乗って行こう
はだしのままで飛び出して あの列車に乗って行こう
弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく
 
 『青空』(89年) http://www.youtube.com/watch?v=yXrj2DyJhlQ           
ブラウン管の向う側 カッコつけた騎兵隊が インデアンを撃ち倒した
 
【ウィキペディア(Wikipedia)】より
 ザ・ブルーハーツの詩は、NHK「人間講座」の「言葉の力・詩の力」(ねじめ正一講師)中でも、その文学性が高く評価されている(なお教材本文の講義は2001年度前期のNHK教育テレビ「人間講座」内で放送)。
 1989年、吉本ばなならが『僕の話を聞いてくれ』という、ブルーハーツを絶賛する本を出した。
吉本ばななは、「I Love ザ・ブルーハーツ」というタイトルで寄稿し、本の帯に「ブルーハーツは全員、丸ごとの自分をきちんと大事にしている。 これは大変贅沢で、かなり素晴らしいことに違いない」 と書いた。
 

ほろ酔い通信: 脚本家と役者さん

『たとえば、愛』
大原麗子ファンのM氏へ
 
ユー・チューブで豊島たづみさんをたどっていた時、
目的の『とまどいトワイライト』http://www.youtube.com/watch?v=TD1A9DyL6tE&feature=related を開き、
それがTVドラマ『たとえば、愛』79年)の主題歌だと初めて知った。
そうだったのか・・・。
生活や仕事、熱中事項を抱えていて見逃した映画やTVドラマはあるのものだが、
よほど忙しかったのか「見逃した」という自覚さえない。
そのドラマは、ぼくの記憶情報には無いのだ。
79年といえば、勤めていた会社の破産を受けて職場バリケード占拠を続け、
労働組合による自主経営会社を立ち上げて2年。食うや食わずで(いまもそうだが)、
必死のパッチではあった。
が、自宅でも、輪番で泊り込む職場でも、TVドラマは観ていた。
たまたま縁がなかったのだろうか・・・。
今日『とまどいトワイライト』を開いたとき、そのドラマの断片篇をふと覗いてみた。
(注:以上、すぐ規約違反で消されるかも・・・)
いや~、役者もセリフの掛け合いも素晴らしいねぇ。
どなたか全編持ってません? ビデオ化もDVD化もされてないようで・・・。
 
大原麗子さん、
2009年8月没(享年:62歳) 合掌。 
浅丘ルリ子さんの弔辞は印象的でした。
 
【テレビドラマデータベース】より
『たとえば、愛』
1979.1月~4月、毎木曜日、22:00~放映、TBS。
シナリオ:倉本 聰、出演:大原麗子・原田義雄・津川雅彦・桃井かおり・荒木一郎・石田えり・・・
深夜放送の人気DJ九条冬子(大原麗子)は、六助(原田義雄)と離婚して1年後に別の男(津川雅彦)と再婚することに。 
冬子をめぐる愛を描く。
 
 いやぁ~、クセモノ役者たちの働き盛りというか、かがやく個性の火花が散っていて引き込まれます。
倉本 聰さんのシナリオはスゴイですなぁ~・・・・。このドラマ、ちゃんと全部観たい!
倉本さんのドラマは、
TV版『赤ひげ』(72年NHK、小林桂樹・あおい輝彦)(数回しか観ていない。黒澤流、超人:新出去定ではない小林桂樹の赤ひげは実にいい)、
『6羽のかもめ』(74・75年フジ、夏純子・中条静雄・高橋英樹・蜷川幸夫・加東大介・長門裕之・他)、
『前略おふくろ様』(75・76年日テレ、萩原健一・梅宮辰夫・火野正平・桃井かおり・他)。
『ライスカレー』(86年フジ、中井貴一・時任三郎・藤谷美和子・陣内孝則・北島三郎・他)これは、息子が録っていたビデオがまだ我が家にある。
他に『北の国から』 『拝啓、父上様』 『風のガーデン』(緒形拳さん遺作)など多数。
毎度毎回、納得・脱帽です。役者がいつもと違うのです。個性を発揮するのです。
役者がその作品を気に入っていることが伝わって来るのです。

歌遊泳: 品川宿で見る雪は・・・

二月一日夜半から二日未明にかけて東京に雪が降った。
降雪は二年振りだそうだ。
二日の朝、歯を磨いていると、路地を挟んだお向かいさんの屋根に雪が・・・少し・・・。
口の中に歯磨剤と歯ブラシを銜えたまま、ふと口ずさんでいた。
『東京で見る雪はこれがっ 最~後ねと 寂しそうに君がつぶ~やく ♪ 』
歌が言うのは、春三月の東京名物「春のドカ雪」だろうか?
近年は三月四月の雪は無いそうだ。二月一日でさえ珍しいのだ。
イルカ『なごり雪』には、若い人はもちろん、いい歳したオジサン・オバサンも格別の
思い入れを持っているのだと、NHKの番組で聞いたことがある。
かく言うぼくもその一人だ。ただし、友人Kの錯乱事件にまつわることなのだが・・・
 1980年ころ、30歳半ばの友人Kが恋というのか邪心というのか、
妻子ある身の迷走というのか、5歳ほど下の取引先の独身女性を追いかけ回していた。
今ならストーカーと呼ばれて当然の醜態だった。
ぼくは、その女性もKの女房もよく知っていた。
もう解決というか、その女性が逃げ切っての結末の後だったのだが、両方から話を聞かされた。
その話に『なごり雪』が登場する。
 
ぼくが知るKの女房殿は、アッケラカラカラを演じ、肝っ玉女房然としている。
昔、文芸部に居たとかで、詩を愛し自分でも書いたりしていて、まぁ昔の文学少女の一面もあった。
詩・文学・映画・政治・思想・色恋・・・何を話しても打てば響く応答と、陽気でフェアな態度は、ぼくたちKの友人からは好まれていたと思う。
ぼくやKがかかわる集会や行動にも参加していて、明るく振舞っていた。
ぼくが思うに、たぶん稀代のビビリ屋さんで、肝っ玉を演じることで弱みを覆い隠していたのだ。
ぼくも、密かに好感を抱いていた。子供が二人いて働いてもいる。
少し若い女性の方は、若い頃の岸恵子にちょっと似ていて、地方国立大・文学部を出た女性だった。
これまた文学少女と言うか小説好きなのだが、文学などには縁もゆかりもないKの猛アタックに、
困惑してはいたが悪い気はしないのか、居酒屋に付き合い、映画や芝居、ジャズ喫茶にショットバーなどに誘われるまま同行していたようだ。
芯の強そうな女性だったが、どこか倒れそうな憂いがあり「放っとけない」感じ(?)も漂わせていた。
ヤバイなぁ~と感じた頃、Kがぼくに告白した。「苦しい」、「二人ともオレが居てやらなアカンねん」 ん?
勝手に苦しめと思ったが、女房・子供をどうする気や?と何とも常識的なことを言った記憶がある。
その後の詳しい経過は知らないが、先に述べた両方から聞いた話を書いておく。
 
女房殿
あいつの心情くらい分かるよ。ちょっと独りではやって行けない雰囲気に出会うとコロリといくんや。
失礼やろ、逆に、あいつこそ、独りではやって行けない男やのに。
まぁ、コロリと行くところに邪心だけではないものが含まれているのは認めてやってもいい。
学生のころから、同じこと繰り返して、まだ分かってない。ぶら下がりたいのは自分の方だということが・・・。
ワタシだってぶら下がりたいよ、それを堪えるのが人生でしょうが・・・。
その女性
もう逢わないと言って納得したのに、又やって来て「最後にこれを上げるよ」とイルカのレコードを持って来たのね、「これ、知ってる?」って・・・。
それが『なごり雪』と『海岸通』のダブルA面のドーナツ版だった。
私は、当然知ってたし、『なごり雪』が好きでよく口ずさみもしたけど「知らない」と答えた。
その後の口ぶりで彼が渡そうとしたのは『海岸通』の方だと分かったのよね。 妹? 勝手な…。
不覚にも、一度だけ、背中から抱きつこうとしたことがあるんです。そしたら、逃げるように、反射的にピクリと前に動いた。
彼には、背負う気などないと思った。
 
あれから、30年。パーキンソン病の夫を永い介護の果てに喪ったイルカは60歳、Kの女房もたぶん60前後。女性は57・8だ。
「・・・」(職業名)と結婚して子もいる。K自身はぼくと同じく63歳になる。
先年、久しぶりに会ったKから聞いた。
「女房が、直談判に行き『あいつを上げるけど付録が付いてるよ。あんたとワタシは五分やない。そやから子供二人も連れてって』言いよってん。」
ん?
 これは嘘だろう、Kの作り話に違いない。Kの女房が子供を棄てるはずがない。いや、そう大見得を切って勝負したのか? 
たぶん、その女性とKの女房は、云わば了解しあえたのだ。二人してKを斬ったのだ。
謎は解けないが、間違いなく30年が過ぎたのだ。
今思う。Kが言うように、人のこころは「愛すべきものを複数持てるのだ」と・・・。
失うものを覚悟し、棄てられぬものがあってもそれと別離れられるのなら・・・。
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