つぶやき: 失われた記憶と蘇える記憶の交差点

数年前に生れた「K大校友連絡会」という何とも愛校精神(?)に溢れ、同窓会チック(?)な名称(苦肉の命名か?)の会がある。
戦後間もなく生を受けた、つまりは還暦前後の男女の、かつて語り行動した「原初の想い」に照らして
「今、なさねばならぬこと」への強い想いから、「9条改憲気運」への異議申立てから押し返しへ
辺野古問題から日米軍事同盟・・・戦後体制そのものへ・・・などを考え行動する会のようだ。( http://www1.kcn.ne.jp/~ritsu/ 
たぶんに、かつての錯誤・無知・無恥を噛み締める者どもの会のようである。
遅いか? そんなことはない。われら、残された時間に、
己を含めた醜悪と、それでも伝えるべき過去・現在・未来と人の社会について語らなアカンやろうな。
一生一代一仕事!
 
あるとき、女房がその集まりで学生時代には会ったことのない女性に出会って親しくなった。
話すうちに、彼女が夫たるぼくと同じ街で育ち、同じ年の生まれだと分かり、
さらに聞くと同じ小学校出身だと分かった。 曰く「あんたと同じ小学校で同学年らしいで!」
女房がセットして、ぼくや友人が同席しての食事会となった。
 
話してみると、何と小学校の1・2年で同クラスだと分かった。が、互いに全く記憶に無いのだ。
帰って、写真を探し出し見てみると、間違いなく同級生だった。
古い写真を凝視し、記憶を辿る・・・・思い出せない。
が、入学時のクラス写真にはぼくとその女性の面影を湛えた女の子が写っている。
1954年(昭和29年)。敗戦・貧しさひもじさの名残り、占領終了から数年、復興の先にある未来・・・・・識るはずもないそれらを両手に抱え、                                       無邪気とはいえ、まだ学校に慣れない不安と緊張の中で一年生が写っている。
ひとクラス60名近く。 教師の、凛々しく、教育への気概を秘めた表情はどうだ!(小川真由美に似ていた)
その女の子のことは思い出せなかったが、2010年現在だから言える「後出し希い」を想い、時代の空気を思い出せた。
「戦後」と呼ばれる社会のいくつかの可能性を・・・、幼児にとっての昭和29年という時間を・・・・・・・
失われた記憶と蘇える記憶の交差点…それは、私的記憶(例えば、恨みつらみ・悔恨・謝罪・感謝・自責・自負・片恋・などなど)を、
「公的記憶」へと解放(昇華)する舵切り位置を示す海路図上にあるのだろうか?

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