たそがれ映画談義: 彼は再びピレネーを越えた、今度は逆から。
『日曜日には鼠を殺せ』
(米64年。監督:フレッド・ジンネマン、出演:グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、オマー・シャリフ。音楽:モーリス・ジャール。)
DVD紹介文:
スペイン市民戦争(1936~39)は共和国軍の敗北をもって終った。
市民軍ゲリラの英雄マヌエル・アルティゲスもフランスへ逃れ20年が経った。今(59、60)は、目的も失い無為に日々を送っている。
が、つい数年前まで母国に侵入しては金融機関・行政機関襲撃など、故郷へのゲリラ活動を繰り返していたのだった。
地元警察署長ビニョラスは、何度も捕り逃がしアルティゲス逮捕に執念を燃やし続けていたが、国外では手が出せず、
アルティゲスの病に伏す母が息子に会いたがっていると、偽の情報を流す。
それに気付いた母は「罠」であることを知らせようと、神父に頼むのだが・・・・・・。
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共和国政府(36年樹立、人民戦線政権)の内部は、穏健共和派、自由主義者、社会党、親ソ共産党、
反スターリン派(POUM、ジョージ・オーウェルはここに参加)、労働組合では社会党系UGT、
アナキスト系CNT(人民戦線には参加していない)といった具合の混成だったが、
現代思想と20世紀政治運動の百貨店だったとも言われ、内部混乱は激しかった。
39年1月バルセロナ、3月マドリード陥落。ナチスに支援されるフランコ派の勝利で終った。 ← たそがれ映画談義: 耳に残る幼き者の叫び-①
モーリス・ジャールのテーマ曲は、
フランスで亡命者生活を送る主人公マヌエル・アルティゲスの孤独な「敗残」の、
荒れてうらぶれた「生」を映し出して、もの静かに始まる。
スペイン市民戦争を闘ったアルティゲスは、
かつて敗走の果てに、国境で武装解除に応じ雪のピレネー越えをしたフランス亡命組の一員だった。
(CNT:ツェー・エヌ・テーに属していたのだろうか? POUMだろうか?)。
ドキュメント映像を交えたピレネー越えのプロローグには、
NHK「映像の世紀」の主題曲、加古隆さんの音楽が似合いそうな歴史の重量があった。
やがて、ジャールのテーマ曲は、行かねばならぬ死地への旅立ちを促すように
静かな闘志を後押しするマーチ(しかし実に静かなマーチ)へと変奏して行く。
このモーリス・ジャールの音楽が素晴らしい。(どこかにないかなぁ~)
このまま死ぬまで何も出来ず朽ち果てるだろう亡命者としての「余生」を断ち、
たぶん「罠」だろう、そしてたぶん殺されるだろう最後の「一戦」に起つ・・・・・・、
そんな初老の元闘士が、20年前とは逆にフランス側からのピレネー越えを単独で敢行する。これまでの国境越えとは違うのだ。
抗いがたい『吸引力』に引き寄せられるような最後の日々を描いて忘れがたい作品だった。 ビデオ化を待ち望んでいたが、いつまで待っても実現しなかった。ペックの死が理由なのか
数年前にDVD化されたが、売れる見込みが立たないようで、抱き合わせ作品(駄作)とセット発売となった。 だが、どうしても欲しく、裏技で単独一枚手に入れ、もう会えなくなった人に会えたような気分を味わった。
果たさねばならない「敗残」の課題を抱える者の、行かねばならぬ心、
敗走と決着・・・二度ピレネーを越える者のこころを仮想体験させてもらった。
警察署長の「罠」を知らせようとする神父(オマー・シャリフ)の「現世の法に従うべきか、神の法に従うべきか」
と苦悩する(結局逮捕されるのだが)姿に、内戦時に教会が果たした役割、つまり、
「戦争と宗教」という近現代史への作者の忸怩たる想いが滲み出ていて深い。 (YouTubeでプロローグ映像 発見。タイトル・バックに主題曲が流れている。http://www.youtube.com/watch?v=x37qCdT8SP0 )