つぶやき: 新宿。高層ビルから「富士」、45年前の酒

正月、8日から2010年最初の仕事にかかっている。
当方にしてはデカい現場、西新宿・高層ビルの37階、800坪のオフィス施工だ。
南側の壁面造作が終わり、今日から北側の部屋に移動した。
一月・冬晴れ・日曜日・・・、好条件に「富士山が見えるはず」と
朝一番8時に現場ビル北西窓から視ると、
果たせるかな、北西方向に大きな富士山が白く深く渋く、輝いていた。
 
東京の人は無関心でも、東京以外の人=おのぼりさんは、
クッキリ見える富士に例外なく感激するそうだ。
銀渋の富士、無言の富士に、ご多分に漏れず脱帽。これ、何なのか・・・。
機密性の高い高層ビルの窓は外の雑音は遮断されていて、
文字通り「無言」の富士だ。
江戸の人々が富士に払った敬意が分かる気がした。シャッターを切った。
 
施工は区切りまで仕舞えず、7時終了となった。
帰りに新宿駅・線路沿いの「思い出横丁」に立ち寄り、モツ煮込みと湯割り焼酎。
昔(65年秋・高三)、弟の先輩で日大芸術学部映画学科在学の人を紹介してもらい、頼って上京し、
江古田の映画学科に体験入学と称してもぐり込み、授業を味わった。
夜この横丁に連れられ、呑めない酒を呑んだことがある。45年前になるのか・・・。
様々な事情で、その冬、大学受験はせず、その後パチンコ店などで住込み店員として転々とするのだが、
そのまま日芸に行っていたら、日大闘争に関与したのだろうなぁ・・・             
 壮絶極まる、伝説の「江古田城攻防戦(?) 」 おゝ恐わぁ。    
 http://www.z930.com/index.html (人は思うだろう。この記録収集努力に見える肯定性や、楽天的というかプラス志向、 甘いのう、と。
が、それが日大なのだ。東大的自己否定とは一味違う、全共闘のもう一つの一面だ。ぼくらはそのどちらにも徹せなかったに違いない)
森田童子が言う『もう一度やり直すなら、どんな生き方があるだろうか・・・』     ← 戦後歌謡曲空間「無許可遊泳」:森田童子の磁力に抗して
とは、このことか・・・。 人生は複雑なようで単純だ。単純なようで人様には通用しない手前勝手な味もある。

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