つぶやき: 太陽の国 -天皇在位20周年慶祝-
リダイアリー
(昨年)11月12日、天皇在位20周年慶祝式典があった。
政権(民主党)の主だった面々の参加があり、組曲『太陽の国』が演奏された。
秋元康の総合プロデュースで、序曲「太陽の種」・舞踊「太陽の芽」・歌唱「太陽の花」の
三部構成で成っており、EXILEが二部の舞踊と三部の歌唱を演じた。
秋元康に対しては、映画『象の背中』にイチャモンを吐いたことがある。
映画『象の背中』(原作:秋元康)を観た。肺癌から全身転移で逝くことになる夫(役所広司)、その妻(今井美樹)、夫の愛人(井川遥)、 仕事関係(益岡徹、伊武雅刀)や高校時代の同窓生(高橋克実)、子供たち、故郷の兄(岸部一徳)・・・、
謝っておきたい人(笹野高史)、昔、想いを告げられなった初恋の人(手塚理美)(実際会いに行く)・・・
身につまされるストーリーなのだが、そして役所はぼくなんか
とうていそのように振舞えまいと言えるほど立派なのだが、優秀サラリーマン然として、
夫婦のドロドロも親子のなじり合いも、未然に防止するその立派さには脱帽だ。
「最期の半年の中で夫婦として向き合う」(案内パンフより)と言われても、
都合のいい妻であり、物分りのいい愛人だなあ、と皮肉の一つも言いたくなるのはぼくだけか?
エリートサラリーマンが周りを意識して語る「我が家」でしかない。
巷では、23年ぶりに復縁した玉置浩二と石原真理子が「今度は迷惑をかけないように願います」(お前に何の迷惑をかけたと言うのだ?) とそれを食い物にして来た芸能記者からバッシングを浴びている。たとえ近々また別れたとしても、 石原より、この妻や愛人の方が人として尊重されていると、断言する気にはなれなかった。
剥き出しのドロドロ関係と奇妙な復縁を演じる玉置・石原カップルの23年間、
癌による最期の半年を過ごしたこの夫妻の、それまでの23年間、そこに軽重はない。
謝っておきたい人(笹野高史)、昔、想いを告げられなった初恋の人(手塚理美)(実際会いに行く)・・・
身につまされるストーリーなのだが、そして役所はぼくなんか
とうていそのように振舞えまいと言えるほど立派なのだが、優秀サラリーマン然として、
夫婦のドロドロも親子のなじり合いも、未然に防止するその立派さには脱帽だ。
「最期の半年の中で夫婦として向き合う」(案内パンフより)と言われても、
都合のいい妻であり、物分りのいい愛人だなあ、と皮肉の一つも言いたくなるのはぼくだけか?
エリートサラリーマンが周りを意識して語る「我が家」でしかない。
巷では、23年ぶりに復縁した玉置浩二と石原真理子が「今度は迷惑をかけないように願います」(お前に何の迷惑をかけたと言うのだ?) とそれを食い物にして来た芸能記者からバッシングを浴びている。たとえ近々また別れたとしても、 石原より、この妻や愛人の方が人として尊重されていると、断言する気にはなれなかった。
剥き出しのドロドロ関係と奇妙な復縁を演じる玉置・石原カップルの23年間、
癌による最期の半年を過ごしたこの夫妻の、それまでの23年間、そこに軽重はない。
その時間は当人たちだけのものだ。 と。
今回、その秋元が奉祝曲作詞と聞いて「奴らしいな」と思っただけだった。
ところが、観たTVニュースはこう言ったのだ。
『「太陽の国」というのは、申すまでもなく「日出る国」から来ています。天皇家の祖先聖徳太子が
大国「隋」にたいして堂々と「日出る処の天子」と述べたあの故事に由来しています』 ん?
ぼくの持論がムクムク。在位20周年を奉祝するのは勝手だが、「日出る処の天子」について、
誤報を振り撒くのは止めてもらいたい。何が「申すまでもなく」だ!← 交遊通信録: たそがれ誇大史② 消された「倭国の記憶」
秋元は天皇・皇室を称え、同時に「日出る処の天子」(何故記紀に記載なく、中国史書にしかない? 記載された「一書」は何処に消えた?)を巡る
謎を封印し、近畿天皇家にまつわる事跡だと決め付ける役割の一翼を担っているのである。平然と・・・。(09.11.20)
サブカル「軍国礼賛」、タレント「皇国史観」、文化人「歴史改竄」・・・その波及力、侮ってはなりませぬ。
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上記リダイアリーをブログに転載して青物横丁の喫茶店へ歩く。スポーツ紙を観る。
昨10日。大相撲初日、またぞろ内館牧子女史からお小言。
朝青龍の懸賞の受取方が、作法にもとると言っておられる。感謝と礼儀を込めて
丁寧に手刀を切って受け取る。ぞんざいな鷲掴みは無礼だ。
それは、そうだろう・・・、その通りだと思う。作法の問題だ。
『手刀は神事に基づく作法という説もあり、左は「神産巣日神」、右が「高御産巣日神」、中が「御中主神」、いずれも五穀豊穣を司る神様への感謝の意を表したものだということです。
ただ木村庄之助氏は「この説は後付けで、第一、神様を片手で拝むなどおかしい」とし、名寄岩が「ありがとうございますという感謝の気持ちを表したくて、「心」という字を手刀で書いている」という話に皆が感動して広まったという方が、よほど信憑性も高く良い話だと語っています。』
(http://blog.ko-blog.jp/aburajin/kiji/9010.html 油・量り売りのお店「油甚」さんHPより)
(http://blog.ko-blog.jp/aburajin/kiji/9010.html 油・量り売りのお店「油甚」さんHPより)
ところが、新聞によれば、女史は「両陛下の前で非礼である」との言い分で吠えている。
初日天皇皇后が何年ぶりかの観戦だそうで、普段とは違うのだぞと大いに怒っているのだ。
これが、この脚本家の正体なのだ。文人(?)に於いても敗戦後65年は無効にして、戦前と地続きなのか?
創作の根本=至高の権威に照らして自己の営みの証しがあるのではなく、
創るということそれ自体の犯すべからざる自律を目指す=を考えている者の発言ではない。
それにしても良く似ていますね。陰険さも同じかも。キショイことこの上なし。なんで天皇なんじゃ!いいかげんに止めてほしいね。
つらつら考えてみると万世一系とはなんじゃ。君だっていまここにいるということはアフリカから出て来た
ホモサピエンスのDNAが連綿と続き万世一系じゃないか!…まあ、系図はないけど。
どうも人間は社会性動物なんで、だれかに「ついていく」習性があるらしい。だから神を作ったり
権力におもねたり、天皇なんかを神聖視したりするんだろうね。なんの根拠もないのに…。
しかし康介さんも戦後を引き摺っておりますね。世代はぼくより若いのに。しかし、康ちゃん推薦の歌謡曲なんか聞くと、
時代を彷彿させますね。ぼくが学校に行く前のころ、甲子園の親戚にいくとき、梅田の地下道に浮浪児(戦災孤児といった)
や傷痍軍人、梅田の旭屋書店の裏の闇市に「上海帰りのリル」が流れていましたね。
神田の古本屋にカストリ雑誌探しに行こか。