品川塾誇大史: 100枚限定鏡が500枚出土…? バーゲンか?!!
F・K さん
正月早々、産経新聞(他にも出てるかも)が、「卑弥呼の鏡」と大騒ぎ。読まれました?
決着済みのことですが、「なるほど、邪馬台国はやはり奈良か・・・」と思われても悔しいので、反論しておきます。
「邪馬台国」(「邪馬壱国」なのだが)を奈良盆地に持って行く為の外堀埋めの一環です。マスコミの煽り・扇情誘導・お上の意向…、 報道姿勢(大本営発表、イラク戦争、普天間・辺野古、日米信頼関係の危機?報道)は変わりません。
大量の鏡が出土した桜井茶臼山古墳(奈良県桜井市)。
出土品には中国の年号「正始元年」(240年)と刻まれた鏡と同じ鋳型製の鏡片も含まれていた。
同年は邪馬台国の女王・卑弥呼が中国皇帝から金印や鏡を受け取ったとされる倭国の“メモリアルイヤー”。 被葬者が卑弥呼から直接譲り受けた可能性もあるという。
『正始元年鏡は卑弥呼が中国から授与された可能性が極めて高い』 と指摘するのは、
『正始元年鏡は卑弥呼が中国から授与された可能性が極めて高い』 と指摘するのは、
福永伸哉・大阪大大学院教授(考古学)。桜井茶臼山古墳を280年代築造とし、
被葬者が正始元年当時に20代で、60~70歳で亡くなったとすれば、
『生前に卑弥呼から鏡を直接もらったとも考えられる。
邪馬台国と大和政権を結びつける重要な史料』 と話す。
卑弥呼が活躍したころの中国は「三国志」で知られる魏、呉、蜀(しょく)が台頭。
卑弥呼が魏に送った使者が日本に戻ったのが正始元年だった。
【反論】
もしもし!決着済み事項を繰り返さないで下さい!あのね・・・・、
三国志魏書東夷伝倭人条(通称「魏志倭人伝」)には、こうある。
景初二年、魏の天子が女王国の遣い「難升米」らに
「親魏倭王となし、金印紫綬を仮し」
「紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張・白絹五十匹.金八両・五尺刀二口・銅鏡百牧・真珠・鉛丹各々五十斤を賜い」とある。
正始元年には、「太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし」とあり、先方が来倭する。
*畿内説学者がそれと特定した、この三角縁神獣鏡は、困ったことに見つかり過ぎて、すでに「500枚以上」発見されている。
*中には、「景初四年」という存在せぬ年号のものまである(改元を知らず製作…つまり国内製)。
*受領した「景初二年」に、帰国時の「正始元年」刻印の鏡を貰ったの?天子の死を先取り?大胆な。そんなこと在り得ません!
*中国にただの一枚も出土せず。鋳型も見つからず。
◎三角縁神獣鏡は「卑弥呼の鏡」に非ず、国内製、渡来工人+列島内工人。として、決着済み。
◎500何十枚目の「100枚限りの鏡」をまたぞろ持ち出すのかマスコミよ! イラク報道と同じ「垂流し」!!
◎古田武彦氏談:難升米が拝受した鏡は・・・?
『三国志』を書いた陳寿と同じ時期に死んだ人が持っていた鏡が発掘されて出てきた。
洛陽の西晋の墓から出てきたのは前漢式鏡もしくは後漢式鏡である。
そうすると卑弥呼の貰った「銅鏡百枚」の鏡は前漢式鏡・後漢式鏡ではないか。
前漢式鏡・後漢式鏡が出てくるのは、今の糸島・博多湾岸、これが基本的に中心です。
茨木の在野の研究者:故:藤田友治氏著
『三角縁神獣鏡』(ミネルヴァ書房、\2,800)