Archive for 12月, 2009

歌遊泳:【緒形拳 阿久悠を語る】

緒形拳 阿久悠を語る
 
こんなふうに歳を重ねたいと敬愛していた 故:緒形拳さんの朗読、
時代を観ていたなと思わせた作詞家 故:阿久悠さんのエッセイと歌と歌詞
これは永久保存したい朗読と映像と歌唱だ。
                                                                                                          敗戦を八歳で迎えたお二人・・・。
焼跡・闇市・貧困・ひもじさ・進駐軍・敗戦後空間・日本国憲法・・・。
少年の目と耳と「ハート」に焼き付き沁み付いたものを、
抱えたまま生き抜いたのだろうこのお二人からは、
国や軍に阿(おもね)るような言動はついぞ見聞きできなかった。
ともに、私のちょうど十歳先輩のお二人。
 
「1970年前後にこの国の曲がり角があった」と
多くの識者が語っている、と何度か述べて来たが、それは、
戦後市民社会の乱脈的成熟、生活の家電的発展、駅弁大学的教育の向上、
職場への女性の表層的進出・・・、
そこから一種の変化へ、それまでと違う社会へ、やがてある衰退へ
うねり始める曲がり角だと言い当てていたのか。
阿久悠がその曲がり角に立ち、失われ行くものを視ていた先輩だとしたら、
ぼくや君は**を自称してはいても、所詮は曲がり角の自覚も無く迷走し、時代と明治との地続き性が見えなかった後輩だったのだろうか? 
 
緒形拳:1937~2008、阿久悠:1937~2007。合掌。
 
 
 
【緒形拳 阿久悠を語る】
『白い蝶のサンバ』
『街の灯り』
『あの鐘を鳴らすのはあなた』
『さんげの値打ちもない』
『もしもピアノが弾けたなら』
『時代おくれ』
『熱き心に』
 
 
 【付録】敗戦を8歳前後で迎えた人々
*1936年生まれ
  山崎努、野際陽子、市原悦子、戸田奈津子、つのだじろう、菅原洋一、楳図かずお、
*1937年生まれ
  浅井慎平、山本学、山口洋子、阿部譲二、美空ひばり、つげ義春、
*1938年生まれ
  熊沢誠、大林宣彦、石ノ森章太郎、松本零士、島倉千代子、なかにし礼

歌遊泳:民子さんオホーツクを唄う

前回、森繁「勲章文化」などと偉そうなことを書きましたが、『知床旅情』は広く好まれる歌で、私も好きです。で、歌い手を探りこの歌を遊泳しました。
倍賞千恵子さんには驚かされました。
 
<倍賞民子さん>
倍賞さん。柴又:とら屋の、寅さんの妹:さくら とばかり思っていましたが、
この歌唱は圧倒的です。何か開き直る度胸のある人ですね。
高校時代、地味で目立たないのに意外性を発揮する
(例えば走らせればムチャ速い、寡黙で歌うところなど見たことも
無いのに歌うと抜群、ある時行きがかりで突然ダンスを披露する、
ある日大化けの私服姿を見かける)、各クラスにそんな女の子居りましたね。
あの驚きを思い出します。実に素晴らしい。
そう思うと、山田洋次監督『家族』の(倍賞・笠智衆・井川比佐志)の
民子=倍賞千恵子を思い出しました。
「民子三部作」と言われる山田三作品があります。
『家族』(70年)『故郷』(72年)『遥かなる山の呼び声』(80年)で、 
倍賞さん演ずるヒロインは全て「民子」さんなのですが、
敗戦から四半世紀経た70年(前後)を、山田洋次は
ある視点に立ってしっかり見ていたのかなと思います。
全てが右肩上がりの戦後社会が「ピーク」に来ており、
「ピーク」であればこそ、さて降下が始まるぞ、
「こんにちは、こんにちは♪世界の国から~♪・・・」と浮かれ騒ぐ社会の、
そこここに見える高度経済成長の歪み陰り、
砂上楼閣の崩壊が始まるぞ、いや始まっている・・・。
『家族』の画面は経済発展の象徴=瀬戸内コンビナート、万国博の喧騒、
大東京の緊急医療の貧弱など、70年曲がり角日本を見せつける。
北海道へ向かう『家族』と民子は、途中東京でわが子を、
到着地で夫の父(笠)を失う。 倍賞さんの歌唱姿を聴いて見た時
その民子が、悲しみを越えて、力強く唄っているような気がした。
再録http://www.youtube.com/watch?v=AcQNz2Z_f2E&feature=related(再度消去されてもどこかにアップされると思います)
(この倍賞さんホントに綺麗。よく見ると黒木メイサに似てます)
 
「民子」なる命名は、山田洋次が希う「民」
(私は、民衆・大衆という語は嫌いですが「民」ならわかり、たい)
のイメージだろう。70年代女性への希いですか?私同様、時代に
立ち向かうべき「男」を描けなかったか・・・・・?。
男たる私は当時、「タコ社長+寅さん」で生き延びていたのだが・・・。
さて、「寅さん」シリーズのマドンナ(「寅次郎忘れな草」のリリーさんが最高)
を繋げてゆくと、山田洋次の女性観が浮かび上がると思うのですが、
さらにそこへ「さくら」と「民子」で決まりですか・・・。
倍賞、家族
ともあれ「日本の曲がり角(70年前後)」から、すでに四半世紀以上です。
戦後、戦後後、少子高齢化社会・ニート・派遣切り・金融恐慌・医療荒廃・・・の21世紀を見通していた。
山田映画はええですね。
次回作は吉永小百合さん・蒼井優・鶴瓶らで『おとうと』です。                      
    
                            
 
 
                                                                                                                    【知床遊泳】
森昌子
夏川りみ:幸田浩子
石川さゆり
加藤登紀子
http://www.youtube.com/watch?v=T40Tx2WS6Ag&feature=related                                                                                        森繁久弥
倍賞千恵子
 
 

 

交遊通信録:趙博+織江 VS 勲章森繁

趙博の「人生幸朗的パギやん日記」11月11日分(下記転載)を読んで、大いに共鳴・・・。彼のホーム・ページ「黄土(ファント)通信」(http://fanto.org/index.html)のパギやん似顔絵が共通の友人の作だという“えにし”もあって、森繁的「胸に勲章」文化に抗おうとする彼の芸の心と志を、そして激しい言葉を吐いた気持ちを、考えた。

(人生幸朗的パギやん日記、11月11日)

So, what?

森繁が死んだ。大衆芸能の分野で文化勲章を初めて貰った大俳優…あははは、大阪を裏切ってのし上がっただけやんけ。藤山寛美の森繁批判を鮮明に覚えている。「大阪の人情をよう演じん人間が、虐げられたユダヤ人を演じられるか。東京は大根役者ほどウケまんねんなぁ…」
市橋が逮捕された…またぞろ馬鹿マスコミが大騒ぎ--ぬるいのぅ。11・8沖縄県民大会は報道しなかったよねぇ…、ねぇ、マスコミ諸君。

 

趙博+織江 VS 勲章森繁

森繁の「社長シリーズ」は、中小企業社長を面白おかしく相対化していて、
観客に「君もやがて社長かも」と、社長業などは手が届く世界なのだよと示し、
サラリーマンと呼ばれた層に「安心」を提供し、支持されたのだと思う。
サラリーマンの悲哀を抱える観客は、加えてもうひとつの「安心」も手に出来たのだ。
20世紀後半、先進国の「都会に出て職に就く」亜インテリ層、企業社会の悲哀(例えば映画なら、『セールスマンの死』『アパートの鍵貸します』『アレンジメント』、日活『私が棄てた女』に見える)・・・
つまり故郷を離れ、貧しくも苦労して高学歴を得、管理的職責に在り、
心ならずもか望んでか、
企業内的上昇志向に染まって成し遂げたささやかな成果と、
否定しようも無くその成果を得んが為に、踏み放ち・打ち棄て・断ち切った「大切なことども」・・・・。
たぶん「社長シリーズ」は、その「事実」を忘れさせてくれたのだ。
自分は、あくせくサラリーマンの処世街道を生きている。けれど、
上り詰めたところで、所詮ほらこの通りのバカ騒ぎの社長様だ・・・。
だから、それは、大東京の、
「大切なことども」を完全には「裏切れなかった」人々、
「のし上がれ(ら)なかった」人々、
そうした勤労サラリーマンにとって絶妙の「カタルシス」なのであった。
そうした観客に媚びた森繁流儀など、
そんなもん認めないぞという趙・寛美の側からの
総てを解った上での「異論」だ。
森繁が「強い」のは、そうした「地べた」からの批判をよく承知していて、
「裏切って」「のし上がった」ワシと、さあどっちが、都会の現代勤労者の心に響く?
と云わば開き直っている点だ。
が、森繁への広範な支持にはやはり、勲章だけではない理由があると思う。
観客は、『完全には「裏切れ(ら)なかった」「のし上がれ(ら)なかった」層』、
『森繁社長の言動に「カタルシス」を見出していたサラリーマン層』なのだ。
己の企業社会人生を振り返り、森繁に赦してもらう「あちら側」
に座る心地悪さといかがわしさを知らぬわけではない。

先般の両国シアター・カイでの声体文藝館『青春の門・筑豊篇』会場に、
「あちらとこちら」の境界からやって来た観客が居たのなら、
タエさんと織江、そして「織江の歌」には、
その観客を「こちら側」に踏み留ませる、あるいは呼び込む力が備わっていた。
その力の蓄積こそが、やがて大御所森繁への「異論」の体系となって行くだろう・・・。

(ダラダラとくどい当コメントは、もちろん趙さんに送信し、真摯な内容の返信をいただきました)

12月16日(水)には、品川宿での初公演。我が庵から徒歩圏内ではないか!

出張を取り止めて行こうと思う。

趙博 品川宿公園

歌遊泳: 「百万遍のバラ」を見たか?

貴女が歌った『百万本のバラ』、憶えてますよ!
 
この歌「ペレストロイカ」のテーマ曲だったと誰かが言ってましたが・・・?
「希望」の背にはいつも「哀愁」がへばりついている、ということの
見本のようなメロディですね。
敗戦後日本の、焼跡・闇市・GHQ・「憲法はまだか?」的着慣れぬ民主主義・・・と、                                                  何かと響き合うように聞こえたものです。
そして何故かいつも、縁浅からぬ京都「百万遍」のバラと聞こえたのです。
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五輪真弓・徳永英明
http://www.youtube.com/watch?v=elW27dRjoIU&feature=related                                                                                                金蓮子(キム・ヨンジャ)
http://www.youtube.com/watch?v=fnfd6Ea4Zd0&feature=related                                                                                                                                                                                                                                      久保田早紀                                                                                                                 http://www.youtube.com/watch?v=Qjx_KN7Xf4I&feature=watch_response                                                                                          伊東ゆかり
http://www.youtube.com/watch?v=fz_xC9V9XLg&feature=related                                                                                          加藤登紀子(声が出なかった頃やね)
http://www.youtube.com/watch?v=4D6qhcYHabk&feature=related                                                                                  ロシア歌手:アラ・ブガチョワ(が世界的大ヒットさせた) 

 

エッセイ:映画『三丁目の夕日』異論

 

全文は http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re57.html#57-3 でどうぞ。

【イントロは下記】

1958年(昭和33年)。東の都は、帝都の香り匂うがごとく今盛りなり、と華やいでもいた。

 若い勤労者は、社会への目を閉じる限り、上司に『おーい中村君』(58年、若原一郎)と呼び止められても『有楽町で逢いましょう』(58年、フランク・永井)と逢引を謳歌できたし『銀座九丁目は水の上』(58年、神戸一郎)と浮かれることもできた。湘南族の国民的スターは『俺は待ってるぜ』(57年、石原裕次郎)とイキがっていても、東京でひとり働く娘は、母を招いた久し振りの再会に『東京だよおっ母さん』(57年、島倉千代子)と無理して散財し、翌日はまた独り『からたち日記』(58年、同)を書いて自らを慰めるのだった。

 街工場の若者は、旗揚げした組合が暴力経営者に足蹴にされ、不参加者からは『だから言ったじゃないの』(58年、松山恵子)と嘲笑われても、クルリと輪を描いて支持してくれる『夕焼けとんび』(58年、三橋美智也)たちを信じることもできた。村では 駅まで三里の『柿の木坂の家』(57年、青木光一)の青年は『愛ちゃんはお嫁に』(56年、鈴木三重子)と太郎を恨んで泣いていたし、友も『東京の人』(56年、三浦光一)を『哀愁列車』(56年、三橋美智也)で見送ったのだ。

三丁目(小)

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