Archive for 12月, 2009

歌遊泳&交遊録: アカシアの雨がやむとき

 
『アカシヤの雨がやむとき』から50年。
 
60年6月、国会を包囲した**万余の人々。 樺美智子さんが写っていると言われている記事。
来年2010年は、60年安保闘争から50年です。時あたかも、
普天間-辺野古問題から、沖縄の米軍基地問題・日米地位協定から戦後沖縄に負担を押し付けて来たことへの、根本的見直しの開始が求められています。つまりは、日米安保軍事体制そのものの見直しです(各種密約も明らかになっていることだし)。
自民党だけでなく、マスコミ・政治評論家あげて「普天間県内移設」に反対する社民党バッシングに走り、沖縄負担の拡大再生産として処理されようとしている。民主党政権の正念場です。
民主党政権半信半疑・小沢嫌いのスタンスだった司会者なども、「小沢も社民党には怒っている」と、小沢の威を借りて「アメリカとの信頼関係が崩れてもいいのか」と感情的に大声で吠えている。
ちょっと待ったれや! 逆やろう! 問うべきは、『沖縄の米軍基縮小、負担軽減、日米地位協定観直し を唱えた政権の当初姿勢、沖縄との信頼関係は 崩れてもいいのか?』 やろ。
国会前に横断幕を掲げ、座り込んでいる「9条改憲阻止の会」の60年安保世代(70代)の爺さんが、こう言ってました。
  『「OCCUPIED OKINAWA」。
   ヤマトが 明治政府が そして日米が、沖縄を占領し続けて来たのだ。
    「戦後」というもの総体が、そのことを与件として成り立って来た。
      沖縄はその丸ごとの見直しの開始を、求めている。 』 
 
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松田聖子 http://www.youtube.com/watch?v=jpJjCGVS3-E                                                           高橋真理子・工藤静香 http://www.youtube.com/watch?v=D1rFfFbhxtw                                                                                 戸川純 http://www.youtube.com/watch?v=dean1ozOdsg&feature=related                                                                 フランク永井+ニニ・ロッソ http://www.youtube.com/watch?v=bn_tfRB8zQc&feature=PlayList&p=51193832371DE118&playnext=1&playnext_from=PL&inde                                坂本冬美 http://www.youtube.com/watch?v=SwRO9kCm5vo                                                                                                  石川さゆり http://www.youtube.com/watch?v=VqxUwELbnc4                                                           おおかた静流 http://www.youtube.com/watch?v=GEodr7rHYw0&feature=related                                                               西田佐知子 http://www.youtube.com/watch?v=msSznHB4OyY

この歌、60年安保後に青年が口ずさんだそうだ。
戸川純歌唱の映像に69年の記録フィルムが
使われていますが、どうでしょう? やはり合いませんね。
歌謡曲は時代を映すものなのか、
それとも、人が歌謡曲で時代を思い起こすのか・・・・?
それにしても、若い歌手の表現力、一体どうします?
この中で西田佐知子さんと互角の勝負が出来ているのは、
フランク永井さんかな・・・と思います。
なるほど、この中ではご両名だけが、戦後の焼跡・闇市、貧困と公的「夢」、60年安保闘争を、・・・垣間見たのか?                                                                                                  うんと若いおおかた静流さん、これは別格ですなね。時代を超えている。
 

つぶやき&歌遊泳: 【おさななじみ】異論

【おさななじみ】にみる『公的記憶の改竄又は無化』
 
1963年発表 作詞:永六輔 作曲:中村八大 
 
おさななじみの 想い出は 青いレモンの 味がする 閉じる瞼の そのうらに おさない姿の 君とぼく                                                                             お手々つないで 幼稚園 つみき ぶらんこ 紙芝居 胸にさがった ハンカチの 君の名前が 読めたっけ                                                                           小学校の 運動会 君は一等 ぼくはびり 泣きたい気持ちで ゴール・イン そのまま家まで かけたっけ                                                                             にきびの中に 顔がある 毎朝鏡とにらめっこ セーラー服が よくにあう 君が他人に 見えたっけ                                                                                        出すあてなしのラブレター 書いて何度も読みかえし あなたのイニシアル何となく 書いてやぶいて捨てたっけ                                                                          学校出てから久しぶり ばったり逢った二人とも アベック同士のすれちがい 眠れなかった夜だっけ                                                                                 あくる日あなたに電話して 食事をしたいと言った時 急に感じたむなさわぎ 心の霧が晴れたっけ                                                                               その日のうちのプロポーズ その夜のうちの口づけは 幼ななじみのしあわせに かおるレモンの味だっけ                                                                             あれから二年目僕たちは 若い陽気なパパとママ それから四年目幼な子は お手々つないで幼稚園                                                                                おさななじみの 想い出は 青いレモンの 味がする 愛の印の幼な子は 遠い昔の君と僕
 
永六輔は、作詞時期=63年当時に高校生か大学生(つまりは16~22)である諸君の少年期を拝借し、彼らが自身の近未来から、個人史を振り返える。
そんな設定で、時代・世代を問わず歌える歌を作詞したに違いない。そうだとは思う。
しかし、当時30歳の永が1933年生まれ、歌い手の初代デューク・エイセスが30年代後半生まれの若いパパ・ママ達であってみれば、                                                                 聞き手がそこで「作り手の幼少期、初恋、結婚なのだ」として聞いたとしても、
それは聞き手の責任ではない。事実、当時誰もがそう聴いたのだ。
  
さて、ぼくの言い分。
歌詞から主人公カップルの年齢を推理すると、
学校出て数年後再会しプロポーズ、
で2年後若いパパ・ママとなり、さらに4年後の今(63年)、
子が幼稚園へ通っている。
整理すると、大卒22歳+数年+2年+4年=30歳前後
ということになる。高卒だとしたら26歳前後。
従って、彼らの生年は、
1963(歌発表年-30=1933 33年(昭和8年)前後、
敗戦時12歳で、戦後を18年間生きた、そういう世代だ(高卒ならマイナス4歳)。
彼らが戦争期を小学生として過ごした体験は強烈に刻印されているはずで、
はたして歌詞にあるような幼児期だっただろうか・・・?
幼き日々の記憶に、わだかまって沈殿しているものこそ、「生」の核心だ。
描かれている世界は我が世代(1947年生)を含む戦後世代の幼児期のように思えて仕方ない。
何故か? 戦争の影、その不在なのだ。
 
歌には、敗戦期を挟んで、戦前戦後を生きた少年少女の証しが、全く無い。 都市部在住なら空襲や疎開もあったろう。
地方を含め、物資不足・勤労動員・ひもじさや父不在、
そうした戦争期の社会構造や風景の中で生きたはずだ。
敗戦後、ギブミーチョコレートと声を上げジープの後ろを追ったかどうかはともかく「進駐軍ジープの排気ガス」、                                                                            焼跡・闇市の雑踏と喧騒、進駐軍・価値混乱・戦後の諸改革を目の当たりにして生きたのだ。
自身でなくとも、父や母、兄や姉、身近な者の「戦争」を因とする受難も見たはずだ。 
 痛苦の記憶の味・匂い・香りを、                                                                                     「青いレモンの味」一本へと変換する装置こそが、公的記憶の無化装置であり、
大衆と呼ばれる存在の生きて行く為の方法論なのだろうか・・・? その装置がこの歌にはありはしないか?
ぼくのようなひねくれ者が聞くと、敗戦を12歳で通過した者の飢餓感や悲哀なんぞは、
明るい未来に彩られた所得倍増社会を生きる者には邪魔だと言っている、と聞こえなくはない。
作者が、当時のサブ・カルチャーの多くと同じく
たとえ無自覚であれ(自覚してであれ)「もはや戦後ではない」という掛け声を容れ、
公的記憶を改竄しその無化に手を貸していると言われてもしかたあるまい。
そう言われては、他で戦時下の児童の体験談などを反戦論として語って来た永は辛かろう。
で、我らは、
戦争期・敗戦期の公的記憶を改竄し無化するような「愛国政治」「衆愚文化」「勲章文化「お上ヨイショ言説」・・・、
そこには決して与しないぞという意志を持っていたい。
それが、我ら「民」の存在論的可能性ではないだろうか・・・? 
自分たちの記憶を結果として無化しては、在日・沖縄・など少数「他者」 の受難の「記憶と現在」への想像力を持ち難いのではないだろうか?
 
【参考1963年という年】
映画:「にっぽん昆虫記」「武士道残酷物語」「拝啓天皇陛下様」「真田風雲録」
歌謡:「長崎の女」「高校三年生」「美しい十代」「こんにちは赤ちゃん」
事件:吉展ちゃん事件、松川事件全員無罪、大阪地裁吹田事件全員無罪、狭山事件
商品:電機蚊取機ベープ、コーンフレーク、
造語:カワイコちゃん、三ちゃん農業、ピンク映画、OL、
価格:ビール115円、銭湯23円、大卒初任給\19,400、
 
【1963年に30歳前後だった人々】
作詞者:永六輔が、まさに33年生まれなので、歌の主人公をその世代と仮定する。
1963年に30歳前後(1932、33、34年生れ)はこんな人々(現在74~77歳)だ。
32年:岸恵子、船村徹、滝田ゆう、仲代達也、小田実、遠藤実、渡辺美佐子、
33年:江藤淳、岡田茉莉子、渡辺貞夫、南田洋子、永六輔、伊丹十三、
34年:児玉清、財津一郎、大橋巨泉、山田太一、皇后美智子、米倉斉加年、
 
学童疎開②
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
例えば彼らをウィキペディアで引くと、共通体験、頻度最多事件は学童疎開なのだが・・・。
台東区(旧下谷区)生れの永自身も「学童疎開」の体験者だ。

歌遊泳:  永六輔・中村八大の登場

六・八コンビ

作詞:永六輔、作曲:中村八大は、六・八コンビと呼ばれた。

『夢で逢いましょう』(TV番組主題歌61年)、水原弘:『黒い花びら』(59年)『黄昏のビギン』(59年)、                                               坂本九:『上を向いて歩こう』(61年)、ジェリー藤尾:『遠くへ行きたい』(62年)、梓みちよ:『こんにちは赤ちゃん』(63年)、                                                                              デューク・エイセス『おさななじみ』(63年)(北嶋三郎『帰ろかな』はオリムピック後の65年)                                                                                  敗戦後社会の貧困を脱し(朝鮮戦争<50~53>特需がその出発なのだが)た社会が、                                              東京タワーを完成(58年末)させ、東京オリムピック(64年)へ向かう頃・・・・、何かを置き去りにして発展を謳歌する世に、コンビは歌を提供した。                                                                      さて、上記六・八になる歌は、正に豊かさが始まり全国に行き渡る時期の代表歌謡群だ。

『アカシアの雨がやむとき』(60年)を聴いていた(あるいは歌っていた)学生さんも、                                                                                           60年安保敗北の湿った『挫折』病(?)から立ち直っ(た振りをし?)て、高度経済成長社会(岸退陣後、池田「所得倍増計画」)へ向かう。                                                                         やがて、モウレツ社員と呼ばれることとなる世代だ。六・八コンビの歌は、その時代の明暗の、どちらかと言えば「明」の部分からの逆説、                                                                             個的世界を謳歌することの意味を堂々と主張していたように思う。「戦後」後的なのだ。                                             経済発展に付帯して当然に持つべき「先進国的個人」の「自己主張」の大衆的開始だった(ぼくの中高時代に当たっている)。                                                                   それは、まるで、やがて来る、経済成長が抱えきれない生産と消費の矛盾、侮れない若者の量的存在、など時代的なある「飽和」が、                                                                   個と社会との抜き差しならない関係となり、いわゆる『大衆反乱』(実は学生世代だけの)となる60年代末への予告編でもあった。                                                             60年代末の学生反乱からさらに世紀末の大学、21世紀大学を論じて同世代の論者三浦雅士はこう言っている。                                                                                            「自動販売機に敗れ去るセールスマンの物語『セールスマンの死』(アーサー・ミラー) の五〇年代からさらに加速される変化は、                                                                      六〇年代の『大学=労働力商品の大量生産工場』を経て、 いまや大学は工場でさえなく、『大学自体が自動販売機化』している」                                                                                                                  (『青春の終焉』、2001年、講談社)

さて駄話は尽きないが、六・八コンビの歌の中から「ひとつ」と言われれば、私は、『黒い花びら』か『黄昏のビギン』なのだが、                                                                    『黒い花びら』は大ヒットしたしあまりにも有名なので、ここでは【黄昏のビギン】(1959年)としておく。ここでも、ちあきなおみさんが圧巻だ。

前川清
http://www.youtube.com/watch?v=kLhK7PAd2hM                                                                     夏川りみ
http://www.youtube.com/watch?v=KEKFY7yuT8c                                                                  石川さゆり
http://www.youtube.com/watch?v=aSzgIqUTRqM&feature=related                                                                                                 

ちあきなおみ
http://www.youtube.com/watch?v=VcsDsOEU3B0&feature=related                                                                                                                                                 水原弘
http://www.youtube.com/watch?v=SqJJPxwSYho

この歌には、他の六・八歌には無い「陰り」がある。敗戦後社会と経済成長社会との交差期、そのあわいに宿る、                                                                                                     まだ高度成長が身に付かない敗戦後を引きずっているような空気、                                                                                        東京タワーの威容も、見上げれば足許が揺れそうで、シックリ来ないような違和感・・・。傑作です。

だが、実はぼくは、六・八コンビには言いたいことがある。一昨年書いたもので、次回 載せる。

歌遊泳: 酒と泪と男と女

【酒と泪と男と女】


みんな呑兵衛ェなんやろかね!
23歳・46歳とある河島英五さんには、是非60代後半の歌唱を聞かせて欲しかった。
きっと「呑んで呑んで呑まれて呑んで」のところ、力んでは歌えんでしょう。
第一、歳食えばそんなにガブ呑みは出来ませんしね。
ところで、ここでも先日同様、ちあきなおみさんがええね。

                                                                                                                和田アキ子
 http://www.youtube.com/watch?v=lp78rRty0v0&feature=related                                                                                         堀内孝雄
 http://www.youtube.com/watch?v=R1fc0iVhRVo                                                                                   金蓮子(キム・ヨンジャ)
 http://www.youtube.com/watch?v=n_Hj_HnXgn0&feature=related                                                                         鳥羽一郎・五大夏子
 http://www.youtube.com/watch?v=uCCt0B32YOQ&feature=related                                                                                            杉良太郎
 http://www.youtube.com/watch?v=T5Fs63W7VJ0                                                                                                    ちあきなおみ
 http://www.youtube.com/watch?v=gydiqOmRrU8                                                                                          河島英五(23歳)
 http://www.youtube.com/watch?v=-4m1GPE35rg&feature=related                                                                            河島英五(46歳)
 http://www.youtube.com/watch?v=tQG1pt_oUls&feature=related

歌遊泳:いとしのエリー

 「えりぃ・まいら」=『いとしのエリー』
 

20数年の昔。

珍しく家に居た日曜日の午後、
この曲のテープを回していると、二歳少しだった末っ子が、
イントロが始まってすぐ何やら言ったのだが、聞き取れない。
よく聞いてみると「えりぃ、まいら」と言っている。  ・・・つまり「エリー・マイラヴ」だ。
この曲にはイントロからして、
幼子でも反応する磁力のようなものがあるに違いないと思った。
我が子の音楽的資質を過信しているのではないと否定しつつ、
密かに、それがちょっと(いやかなり)嬉しく、
日を置いて同じ場面を再現して親バカの甘い果汁を味わった記憶がある。
初めて触れるような曲想で、イントロはとりわけ新鮮だった。
それに、このシンガー・ソング・ライターの、確かにそれまでなかったような、
オタマジャクシと日本語の音節の操り方は、ホント「革命的」だった。
言葉が溶かされ再構成され音に乗ると、別物になっている。ビックリした。
 
その半年ほど前、『ふぞろいの林檎たち』という番組が放映されていて、
この曲は、その主題歌に使われたのだが、あまり放送を観る機会に恵まれず、
飛ばし飛ばしに観たのだが、印象深いテレビ・ドラマだった。
投げられた林檎がスローで空を落下するタイトル・バックは今も眼に浮かぶ。
当時、店舗設計施工業を経営(と言っても、それは労組自主経営の
なれの果てなのだが)していて、忙しい事態が「名誉」なのだとでも言うように、
奇妙にシャカリキに働き元気な時期だった。
後年、その『ふぞろい・・・』を通して見たのだが、
それは我らの労組自主経営のように、
偏差値三流四流男女=無名大学卒=ノン・エリート たちの
青春(他の言葉が見つからない)を描いたドラマで、
『党ならざるものによる反乱と社会変革の可能性』なる、我が戯言に重なってもいた。
(シナリオ:山田太一、1983年5月~7月放映。)
 
「えりぃ、まいら」の誕生譚を想像するに、連続ドラマを欠かさず観るといった
律儀さなど希薄な母親が、珍しく熱心に観る連ドラ・・・その傍らで、
少し歳の離れた姉・兄(7歳、9歳、10歳)らは、 
「分からないけど分かる」ようなそのドラマを
「分かっている顔」をして観ている・・・そんな風景に違いない。
末っ子はその横で何度も聴いていたのだろう・・・「えりぃ、まいら」を。
全ては、昨日のことのようだ。

 

ふぞろいの林檎たち

  
 
 
その末っ子は、現在母校で高校教師をしており、幼い二人の娘の父親だ。 
我が家の「ふぞろいの林檎」たちは、父を反面教師に出来たとしても、
父自身は、身に沁み付いた「ふぞろいの林檎」の格別の味を、もちろん棄てる気などない。

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レイ・チャールズ
平原綾香
平井堅
本家
 
「えりぃ・まいら」=【いとしのエリー

たそがれ映画談義: 『カナリア』

『カナリア』  2004年、監督:塩田明彦 出演:石田法嗣、谷村美月、西島秀俊
 
カナリアは、ガスに敏感な鳥として有名だ。
上九一色村「第7サティアン」でも、突入する機動隊を先導していた。
そう、これはオーム真理教をモデルにした映画だ。

「教団の崩壊」による「信者の虚脱」という事態から、
「絶対真理を持つと主張する宗派と構成員」
「人間の共同性と全き個人性の相克」といふ永遠の課題が迫り、
物神崇拝へと至る呪縛から主体的に免れることの隘路と困難、
「個人の復権」への苦闘が痛かった。
「皇国少年の自己解体」と、彼らの戦後の自己再生や、
各種「正義」「教義」と宗派(あるいは党的集団)解体(あるいは脱退)後の
座標軸喪失症候群、あるいは総撤退・総封印(一切放棄)の「病」を想った。
人は「帰属」性の中でではなく、それを取っ払った地点の「孤立」の中で、他者に出逢え己にも出逢える。
実は、そこが「共闘」や「連帯」が始まる契機であり原圏なのだ。
                     
       
ぼくはそう思う。永い時間と人並みに痛手を負ってようやくそう考えている。
若い元信者:伊沢(西島秀俊)の、少年:コウイチ(石田法嗣)への問いかけ
『教団もまた我々が生きているこの醜悪な世界の現実そっくりの、もうひとつの現実だった』
『お前は、お前が何者であるのかを、お前自身で決めなくてはならない』は、13歳コウイチにはあまりにも酷で、難しい。・・・痛々しい限りだ。      社会性を抜きには生きられない存在たるぼくら大人が抱える課題なのだから・・・。

逃亡信者として警察に追われるコウイチに、偶然同行することとなった少女:ユキ(谷村美月)の、
「家庭状況」や早くから発揮する「闘う慈愛」(=母性)、逃避行の中で目を見張る変貌を遂げ 
どんどん成長して行くゆく姿に、
かたくなな狂信少年信者主人公:コウイチに「殺人又は自死」を断念させること、
彼を「再生し生きて」ゆかせること、その『偉業』は
この少女(の母性)にして初めて可能だったと思えるのだった

 谷村美月。 2007年『檸檬のころ』では、素晴らしい若手女優さんに成長していた。

書評: 脇田憲一著『朝鮮戦争と吹田・枚方事件-戦後史の空白を埋める-』(明石書店)

「青春の終焉」から「青春の復権」へ

イントロ部】
 三浦雅士はその評論集『青春の終焉』(2001年 講談社)の前書きをこう始める。

  ――「『さらば東京! おおわが青春!』
一九三七年九月二十三日、中原中也は、詩集『在りし日の歌』の後記の最後に、そう書きしるした。享年三十一。詩集原稿は小林秀雄に托された。
『還暦を祝われてみると、てれ臭い仕儀になるのだが、せめて、これを機会に、自分の青春は完全に失はれたぐらゐのことは、とくと合点したいものだと思ふ』
 小林秀雄がそう書きしるしたのは、四半世紀後の一九六二年。友を失った批評家は、生き延びて、六十歳を迎えていたのである。」――

続けて、青春や青年という語の起源と、発展し世に定着する過程、下って60年代後半に急速に萎んでしまった背景などを語っている。例えば「伊豆の踊子」では、青春がエリート層の旧制高校・帝国大学という制度による囲いこみによって維持された、つまりは階級による特権者の独占物であったと語り、主人公はまさにその青春に在り、登場する人々、踊子も栄吉やその女房も青春とは無縁だったと述べる。60年代後半の学生反乱こそは、そうした永く続いたエリート層・特権者の独占構造の大衆化を通じた解体過程、青春の終焉であったと言う。青年という語にはあらかじめ女性を排除する思想性が間違いなく付着しているし、それは保護者の会を父兄会と呼び、労組などでも若い男性と女性全部を一緒にした部会を作り、青年婦人部と呼んでいたことにも正直に表れているとつなぐ。

 事実、70年を前にしたぼくの学生期には、所得倍増の「成果」が創り出したその特権の大衆化の中で、青春や青年といった語は、臨終直前であり、やがて青春・青年はダサい気恥ずかしい言葉として姿を消した。三浦氏が言うとおり、青春文化・青年文化とは呼ばず、代わって若者文化と称したのだ。 (以下、カルチャー・レヴュー37号、http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re37.html#37-2

全文は、 http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re37.html#37-2                                                              

たそがれ映画談義:『サイドカーに犬』

「サイドカーに犬」 2007年、監督:根岸吉太郎、出演:竹内結子、松本花奈、ミムラ、鈴木砂羽。
 
あるアンケートによれば、日本の男の理想の女性は、
吉永小百合さんとルパン三世の峰不二子だそうだ。
竹内結子演ずるヨーコさんは、その両方を兼ね備えた女性で、
原作者と根岸監督の理想の女性なのだろうか……? 
小学校4年生の女の子:薫にとっても、ヨーコさんは特別だった。
母の家出期にやって来た父の愛人ヨーコさん、ときに熱く豪快大胆で大雑把。
ときに泣き虫で、小学生の薫にも解りそうに見えて、謎だらけのヨーコさん。
「大人の女」「かくありたい女性」「カッコいい女」たるヨーコさん。
どちらかと言えば引っ込み思案の薫と、ヨーコさんの規格外の生(ナマ)の個性とが
スリリングに火花を放ってひとつの連帯関係を結んで行く。
「同性」や「同志」としての年長者への目線なのかな。
少女の感受性、邪心も色眼鏡もなく 人を見分ける眼の確かさこそが、
作者の分身たるダメ親父の望むところに違いない。
日差し・土の匂い・アイスクリーム・汗・・・、ヨーコさんに教えてもらって初めて乗った自転車・・・。サイドカーに犬
セリフやストーリーを越えた、映像・音・間(ま)・沈黙、それらが醸し出す映画独自の表現「文法」。
女の子薫の、クラクラするほど刺激的なひと夏。子供から少女へ向かう時間の、はかない値打ちが伝わって来て見事でした。
薫を演じた 松本花奈ちゃんに、90点あげたい。

たそがれ映画談義:『百万円と苦虫女』

 
 
 
『百万円と苦虫女』 2008年、監督:タナダユキ、出演:蒼井優・森山未来・ピエール滝
 
百万円と苦虫女
 
Web評論誌「コーラ」誌上への紹介文:
【品川宿 K
苦虫女の所持金が100万円に戻れば、彼女は決め事を実行し街を去るだろうと
100万円に戻らぬよう寸借を繰り返した学生の彼。
学生生活を羨む心が猜疑心を倍加させてか
「なんで、あなたと女子学生のデート費を私が出さなきゃならないのよ」と言ってしまった苦虫女。
若い意地の張り合いに心当たりはある。
学生が去って行く苦虫女を追った横断陸橋で、
二人を逢わせないラストシーンの「行き違い」はアッパレです。
そう、人生はこの種の行き違いの山で構成されているのですから。
 
【黒猫房 Y
苦虫噛んで「やってられないよ」とばかりに、100万円貯めては次の町々へとさすらう主人公……、
主演の蒼井優がとてもよかったですが、森山未来という男優も、
健気な不思議な存在感がありました。
<学生(森山未来)が去って行く苦虫女を追った横断陸橋で、
 二人を逢わせないラストシーンの「行き違い」はアッパレです。
 そう、人生はこの種の行き違いの山で構成されているのですから>という品川宿さんの指摘は
その通りなのかもしれませんが、なんとか出会って苦虫女を抱きしめてほしいと祈りながら
このラストシーンを観ていた人は私だけではないでしょうね、きっと。
そして、このすれ違いの思いを引きずってしまうのは学生のほうだけなのか?
……けれどもその思いも、いずれは怠惰な時が癒してしまう。
したがってこの映画のラストシーンは、「華奢な感じ」に見える苦虫女がまあちょっとぐらいは
振り返ったとしても、その姿は凛として町を立ち去ってゆく……という「アッパレ」な結末というわけですね。
 
再論:
 
【品川宿 K
我ら二人、偶然同じ映画を取り上げましたね。ええ歳したオッサンが二人、
ネット社会の片隅(?)で、蒼井優的若者への共感・声援の、
キーボードを密かに叩いていたのか・・・、あの苦虫女に届けたいね!
ラストのすれ違いを、
「なんとか出会って苦虫女を抱きしめてほしいと祈りながら観ていた」のは、
ぼくも同様なんです、もう泣きそうになって・・・。
学生が控えめに発した言葉「自分探し・・・みたいなことですか?」に蒼井優が返す、
「いえ・・・。むしろ探したくないんです。探さなくたってイヤでもここに居るんですから」 と。
続いて苦虫女は弟への手紙で、こう独白する。
「姉ちゃんは、自分のことをもっと強い人間だと思っていました。でもそうじゃありませんでした。」
ナチュラルであるのに、そのナチュラルこそがむしろ
生きにくい理由の根本を構成している。
という転倒状況が若者たちを覆う今どき。
ラストのすれ違いは、その「今どき」の若者が強いられる「社会」からの「要請」を、
容れて・学んで・こなして行くのではなく、ナチュラルの側に身を置き続け
「ここに居る」とする、若い苦虫女=蒼井優の宣言だなぁ・・・と思えて、
その立ち姿に「アッパレ」と拍手したのでした。
この二人、苦虫女と学生は必ず再び出逢います(現実場面でなくとも)。
ナチュラルということそのものに棲む「無知・過信・無謀」を、痛手を負って思い知り、
その代価を支払い、年齢と経験を重ねても
「社会」の「要請」の核心とは決して和解しないぞと生きる限り・・・。
                                                                                                                                                                                   
【黒猫房 Y
いやあ~「よい読み」ですね! さすが「映画オヤジ」(喝采)。
あのラストシーンには学生君の「必死さ」に対して、「あんたには頼らないわよ」
という「見かけによらない、芯の強い女」のメッセージ性と爽快感がある
とアンケートの初稿ではそのことを書いたのですが、「見かけによらない、芯
の強い女」というのは監督の狙いではないだろうし、現在のフェミニズムの達成点は
> 「いえ・・・。むしろ探したくないんです。
>  探さなくたってイヤでもここに居るんですから」
>「姉ちゃんは、自分のことをもっと強い人間だと思っていました。
>  でもそうじゃありませんでした。」
と、苦虫女に言わせる境地じゃないでしょうか?
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交遊通信録:K大校友連絡会御中

K大校友連絡会事務局御中  http://www1.kcn.ne.jp/~ritsu/dai3kaisiminnkouza.doc  を受けて。
 いつも、ご苦労様です。  参加したいテーマでしたが、あいにく仕事で品川宿から出られません。
 会のご盛況と深い論議を願っています。各位によろしく。
 
 
  
                                                                                   
 
さて、本当に、辺野古から世界が見える、「戦後」総体が見える・・・・ですね。
この問題の核心は「戦後」「日米安保体制」「占領」「憲法」だ、との貴論は正に慧眼。
いま民主党政権というより 「戦後」が岐路にあり、 
戦後史総体がズシリと迫って来ます。 
 国会前で、辺野古新基地建設反対!普天間基地即時撤去!嘉手納統合策動粉砕!                                                      と大きく書かれた横断幕の下に座った「9条改憲阻止の会」の親爺さん(たぶん70歳過ぎ)が、次のように語っていた。                                      
12.13 国会前③
 
『「OCCUPIED OKINAWA」。
 ヤマトが 明治政府が そして日米が、沖縄を占領し続けて来たのだ。
 「戦後」というもの総体が、そのことを与件として成り立って来た。
沖縄はその丸ごとの見直しの開始を、求めている。 』 
 
 保守二大政党というものが、この親爺が言う与件を前提とする「合意」によって
成り立つとしたら、保守二大政党ということがすでにして『大連立』なのだと思う。
親爺さんと「大連立」は真反対に居る。  選挙民が選んだのは、保守二大政党でも大連立でもない!
  
 【OCCUPIED】
 沖縄では、牛乳やジュースの1リットル・パックは1000CCではなく、
946CCだそうです。54CCズルかましているのではありませんよと教えられた。
聞くと、946CCとは、ガロン=3785CC の≒4分の1。クウォーター・ガロン。
生活の深層部に居座る米軍政下のなごり、その一例だそうです。
ちなみに、「日本国憲法」が沖縄における最高法規となった日はいつ?
さて、現在沖縄にそもそも「日本国憲法」の効力が及んでいようか?
憲法より日米安保条約が優先されているから、
だからアメリカによる「占領」がなお続いている・・・という議論は一面その通りだ。 が、占領は誰が誰を何時から・・・
 
 筑摩書房『OCCUPIED JAPAN』(半藤一利、保坂正康ら)を読了しました。
占領ということ、他者による統治、GHQ占領期を活写する対談集
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』の時代、
OCCUPIEDの実感を当時の若者が語っていて
面白かったのですが、OCCUPIED状況を語りながら、
彼らにして、日本の「戦後」を保障してきた前提である沖縄への眼差し・言及が無い。
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