歌遊泳:いとしのエリー
「えりぃ・まいら」=『いとしのエリー』
20数年の昔。
珍しく家に居た日曜日の午後、
この曲のテープを回していると、二歳少しだった末っ子が、
イントロが始まってすぐ何やら言ったのだが、聞き取れない。
よく聞いてみると「えりぃ、まいら」と言っている。 ・・・つまり「エリー・マイラヴ」だ。
この曲にはイントロからして、
幼子でも反応する磁力のようなものがあるに違いないと思った。
我が子の音楽的資質を過信しているのではないと否定しつつ、
密かに、それがちょっと(いやかなり)嬉しく、
日を置いて同じ場面を再現して親バカの甘い果汁を味わった記憶がある。
初めて触れるような曲想で、イントロはとりわけ新鮮だった。
それに、このシンガー・ソング・ライターの、確かにそれまでなかったような、
オタマジャクシと日本語の音節の操り方は、ホント「革命的」だった。
言葉が溶かされ再構成され音に乗ると、別物になっている。ビックリした。
その半年ほど前、『ふぞろいの林檎たち』という番組が放映されていて、
この曲は、その主題歌に使われたのだが、あまり放送を観る機会に恵まれず、
飛ばし飛ばしに観たのだが、印象深いテレビ・ドラマだった。
投げられた林檎がスローで空を落下するタイトル・バックは今も眼に浮かぶ。
当時、店舗設計施工業を経営(と言っても、それは労組自主経営の
なれの果てなのだが)していて、忙しい事態が「名誉」なのだとでも言うように、
奇妙にシャカリキに働き元気な時期だった。
後年、その『ふぞろい・・・』を通して見たのだが、
それは我らの労組自主経営のように、
偏差値三流四流男女=無名大学卒=ノン・エリート たちの
青春(他の言葉が見つからない)を描いたドラマで、
『党ならざるものによる反乱と社会変革の可能性』なる、我が戯言に重なってもいた。
(シナリオ:山田太一、1983年5月~7月放映。)
「えりぃ、まいら」の誕生譚を想像するに、連続ドラマを欠かさず観るといった
律儀さなど希薄な母親が、珍しく熱心に観る連ドラ・・・その傍らで、
少し歳の離れた姉・兄(7歳、9歳、10歳)らは、
「分からないけど分かる」ようなそのドラマを
「分かっている顔」をして観ている・・・そんな風景に違いない。
末っ子はその横で何度も聴いていたのだろう・・・「えりぃ、まいら」を。
全ては、昨日のことのようだ。
その末っ子は、現在母校で高校教師をしており、幼い二人の娘の父親だ。
我が家の「ふぞろいの林檎」たちは、父を反面教師に出来たとしても、
父自身は、身に沁み付いた「ふぞろいの林檎」の格別の味を、もちろん棄てる気などない。
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レイ・チャールズ
平原綾香
平井堅
本家
「えりぃ・まいら」=【いとしのエリー】