書評: 脇田憲一著『朝鮮戦争と吹田・枚方事件-戦後史の空白を埋める-』(明石書店)

「青春の終焉」から「青春の復権」へ

イントロ部】
 三浦雅士はその評論集『青春の終焉』(2001年 講談社)の前書きをこう始める。

  ――「『さらば東京! おおわが青春!』
一九三七年九月二十三日、中原中也は、詩集『在りし日の歌』の後記の最後に、そう書きしるした。享年三十一。詩集原稿は小林秀雄に托された。
『還暦を祝われてみると、てれ臭い仕儀になるのだが、せめて、これを機会に、自分の青春は完全に失はれたぐらゐのことは、とくと合点したいものだと思ふ』
 小林秀雄がそう書きしるしたのは、四半世紀後の一九六二年。友を失った批評家は、生き延びて、六十歳を迎えていたのである。」――

続けて、青春や青年という語の起源と、発展し世に定着する過程、下って60年代後半に急速に萎んでしまった背景などを語っている。例えば「伊豆の踊子」では、青春がエリート層の旧制高校・帝国大学という制度による囲いこみによって維持された、つまりは階級による特権者の独占物であったと語り、主人公はまさにその青春に在り、登場する人々、踊子も栄吉やその女房も青春とは無縁だったと述べる。60年代後半の学生反乱こそは、そうした永く続いたエリート層・特権者の独占構造の大衆化を通じた解体過程、青春の終焉であったと言う。青年という語にはあらかじめ女性を排除する思想性が間違いなく付着しているし、それは保護者の会を父兄会と呼び、労組などでも若い男性と女性全部を一緒にした部会を作り、青年婦人部と呼んでいたことにも正直に表れているとつなぐ。

 事実、70年を前にしたぼくの学生期には、所得倍増の「成果」が創り出したその特権の大衆化の中で、青春や青年といった語は、臨終直前であり、やがて青春・青年はダサい気恥ずかしい言葉として姿を消した。三浦氏が言うとおり、青春文化・青年文化とは呼ばず、代わって若者文化と称したのだ。 (以下、カルチャー・レヴュー37号、http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re37.html#37-2

全文は、 http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re37.html#37-2                                                              

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