交遊通信録:趙博+織江 VS 勲章森繁
趙博の「人生幸朗的パギやん日記」11月11日分(下記転載)を読んで、大いに共鳴・・・。彼のホーム・ページ「黄土(ファント)通信」(http://fanto.org/index.html)のパギやん似顔絵が共通の友人の作だという“えにし”もあって、森繁的「胸に勲章」文化に抗おうとする彼の芸の心と志を、そして激しい言葉を吐いた気持ちを、考えた。
(人生幸朗的パギやん日記、11月11日)
So, what?
森繁が死んだ。大衆芸能の分野で文化勲章を初めて貰った大俳優…あははは、大阪を裏切ってのし上がっただけやんけ。藤山寛美の森繁批判を鮮明に覚えている。「大阪の人情をよう演じん人間が、虐げられたユダヤ人を演じられるか。東京は大根役者ほどウケまんねんなぁ…」
市橋が逮捕された…またぞろ馬鹿マスコミが大騒ぎ--ぬるいのぅ。11・8沖縄県民大会は報道しなかったよねぇ…、ねぇ、マスコミ諸君。
趙博+織江 VS 勲章森繁
森繁の「社長シリーズ」は、中小企業社長を面白おかしく相対化していて、
観客に「君もやがて社長かも」と、社長業などは手が届く世界なのだよと示し、
サラリーマンと呼ばれた層に「安心」を提供し、支持されたのだと思う。
サラリーマンの悲哀を抱える観客は、加えてもうひとつの「安心」も手に出来たのだ。
20世紀後半、先進国の「都会に出て職に就く」亜インテリ層、企業社会の悲哀(例えば映画なら、『セールスマンの死』『アパートの鍵貸します』『アレンジメント』、日活『私が棄てた女』に見える)・・・
つまり故郷を離れ、貧しくも苦労して高学歴を得、管理的職責に在り、
心ならずもか望んでか、
企業内的上昇志向に染まって成し遂げたささやかな成果と、
否定しようも無くその成果を得んが為に、踏み放ち・打ち棄て・断ち切った「大切なことども」・・・・。
たぶん「社長シリーズ」は、その「事実」を忘れさせてくれたのだ。
自分は、あくせくサラリーマンの処世街道を生きている。けれど、
上り詰めたところで、所詮ほらこの通りのバカ騒ぎの社長様だ・・・。
だから、それは、大東京の、
「大切なことども」を完全には「裏切れなかった」人々、
「のし上がれ(ら)なかった」人々、
そうした勤労サラリーマンにとって絶妙の「カタルシス」なのであった。
そうした観客に媚びた森繁流儀など、
そんなもん認めないぞという趙・寛美の側からの
総てを解った上での「異論」だ。
森繁が「強い」のは、そうした「地べた」からの批判をよく承知していて、
「裏切って」「のし上がった」ワシと、さあどっちが、都会の現代勤労者の心に響く?
と云わば開き直っている点だ。
が、森繁への広範な支持にはやはり、勲章だけではない理由があると思う。
観客は、『完全には「裏切れ(ら)なかった」「のし上がれ(ら)なかった」層』、
『森繁社長の言動に「カタルシス」を見出していたサラリーマン層』なのだ。
己の企業社会人生を振り返り、森繁に赦してもらう「あちら側」
に座る心地悪さといかがわしさを知らぬわけではない。
先般の両国シアター・カイでの声体文藝館『青春の門・筑豊篇』会場に、
「あちらとこちら」の境界からやって来た観客が居たのなら、
タエさんと織江、そして「織江の歌」には、
その観客を「こちら側」に踏み留ませる、あるいは呼び込む力が備わっていた。
その力の蓄積こそが、やがて大御所森繁への「異論」の体系となって行くだろう・・・。
(ダラダラとくどい当コメントは、もちろん趙さんに送信し、真摯な内容の返信をいただきました)
12月16日(水)には、品川宿での初公演。我が庵から徒歩圏内ではないか!
出張を取り止めて行こうと思う。